2019年4月17日 正午 一部加筆修正
2018年RIETIコラムで韓国の福島産を中心としたわが国水産物輸入制限に関するWTOパネル報告(注1)について解説したが(川瀬 2018)、当該案件の上級委員会報告書(注2)が日本時間4月12日未明に公表された。ここ数日報道やネット上で発言が溢れかえり、日韓共に極めて本件に関心が高いことから、2018年の拙稿のフォローアップを兼ねて簡単に解説しておきたい。
それにしても本件の結果には筆者も驚かされた。これは日韓政府共に同様だろう。両政府閣僚は、パネルの判断が大きく変更されないとの予測のもと、まず菅官房長官が8日の記者会見では措置撤廃の期待感を示し(産経2019.4.8)、韓国の文成赫海洋水産部長官も着任前の公聴会で、「敗訴したとしても最長15カ月間の履行期間がある。この期間を最大限活用し、国民の安全と健康を最優先に、対策を講じる」とコメントしていた(聯合2019.4.11)。ところが結果を見ると、実質的に主要な争点についてほぼ全てパネルの判断が破棄されている。
事実関係およびパネル判断の詳細は2018年のコラムに譲るとして、2018年のパネル判断のポイントは以下の通りであった。
-韓国の措置は不必要に貿易制限的である(SPS協定5条6項違反)。
-韓国の措置は日本産水産物に対して差別的である(同2条3項違反)。
-韓国の措置は暫定措置として位置付けることはできない(同5条7項違反)。
WTO上級委員会の判断概要
それでは上記の主要争点3点それぞれについて、以下上級委員会がどのようにパネルの判断を評価したかを簡単に紹介したい。
(1) 韓国の措置は不必要に貿易制限的である(SPS協定5条6項違反、AB(注3): 5.18–5.37)
5条6項によれば、より貿易制限的でなく、かつ「適切な保護の水準(appropriate level of protection-ALOP)」を充足する代替措置があれば、当該措置は不必要に貿易制限的になる。パネルは本件での韓国のALOPが
「①通常の環境における食品の放射能レベルに維持すること、よって②1mSv/年を上限として、③合理的に達成可能なできるかぎり最低限(as low as reasonably achievable–ALARA)に食品の放射能汚染を維持すること」
であると認定した。SPS協定はこうした複合的なALOPは禁止されていない。にもかかわらず、パネルはもっぱら②にのみ焦点を当て、3要素がそれぞれ別個であるか、それらがどのように相互作用するか、また②がALOPの質的側面である①、③を内包するのか、などの問題を検討していない。
パネルは日本が提案する代替措置(セシウム100Bq/㎏以上の食品のみ輸入制限、これで1人当たり年間被ばく量を1mSv/年以下にできる水準)が韓国の複合的なALOPを達成できるか否かを検討する責務がある。しかしパネルは韓国のALOPの3要素全てについて検討せず、代替措置が1mSv/年を著しく下回る被ばく量を達成できる、としか判断しなかった。
5条6項においてALOPの設定はSPS措置を取る加盟国の専権でもあり義務でもある。またALOPは必ずしも定量的な基準でなくともよいが、SPS協定の適用を妨げないように、十分に詳細に定められなければならない。パネルは加盟国による提示と実際の措置に反映されるALOPが異なる場合、証拠に基づき理由を示してALOPを決定する。パネルは①、③が有意なALOPの一部たり得るかについて疑問を呈しているようだが、結局その点を判断していない。
以上のことからパネルの判断を破棄する。
(2) 韓国の措置は日本産水産物に対して差別的である(SPS協定2条3項違反、AB: 5.53 –5.93)
「同一又は同様の条件の下にある加盟国の間」の差別を証明する2条3項の下では、関連する「条件」を特定しなければならない。2条3項の「条件」は、問題の措置が関係するSPS協定附属書A(1)上の保護される利益に対応する特定のリスクによって定まる。韓国は2条3項の文言(「自国の領域と他の加盟国の領域との間を含む。」)から領域的な条件の重要性を強調するが、上級委員会は2条3項の関連条件も領域的条件に含まれると考える。5条2項によれば危険性評価には領域における「生態学上及び環境上の状況」が関係するので、このことも2条3項の条件の範囲に影響する。取引される産品に内在する危険のみが、2条3項に関係する条件ではない。適切な2条3項の解釈によれば、産品に潜在的に影響があるかぎり、領域的条件など他の条件も考慮される。
本件パネルの判断を検討すると、発生源に近いところでのより大きな汚染の可能性や、特定の放射性放出事故が地域的・漸進的な潜在的食品汚染に帰結することなどを認定した。にもかかわらず、パネルはこうした潜在的に食品汚染に影響する他の領域的条件に関する認定と一致させることなく、食品中の実際の汚染水準だけに依拠した。
以上のことから、パネルの判断を破棄する。
(3) 韓国の措置は暫定措置として位置付けることはできない(SPS協定5条7項違反、AB: 5.104–5.122)
日本はパネル設置要求書で5条7項違反の請求を行っていない。また、韓国も5条7項により他のSPS協定の条文の義務につき正当化あるいは適用除外を申し立てていない。単に2条3項、5条6項に関する反論の中で言及したに過ぎない。よって、この問題は付託事項の範囲外であるから、パネルの判断は、紛争解決了解(DSU)7条1項、同11条にある自己に付託された問題を検討するパネルの責務を踰越している。よって、パネルの判断は無効である。
判断の解説
前節の概要は上級委員会の判断をできるだけ忠実に要約したため、翻訳調で少し分かりにくくなった。それぞれについて、簡単に解説しておきたい。
(1) について
SPS協定5条6項はSPS措置がALOPの達成に必要な以上に貿易制限的であることを禁止しているが、同項注釈によれば、ALOPが達成可能で、貿易制限の程度が相当に低い代替措置が合理的に利用可能であれば、当該SPS措置は不必要に貿易制限的とされる。ここでは日本が示した代替措置(被ばく量1mSv/年が達成できる水準として100bq/kgの産品のみ輸入制限)が韓国のALOPを満たすか、を審査するにあたり、そもそも韓国の設定したALOPが何か、パネルはそれを適切に特定したか、が問題になった。
通常のALOPのイメージは、例えば「摂取量成人一人当たり一日x mg未満」のように閾値がはっきりしたものだろう。しかし韓国のALOPは明確な閾値だけで構成された単純なALOPではなく、いくつかの要素からなる「複合的な(multi-faceted)」なものである。つまり、上記に説明したとおり「通常の環境における食品の放射能レベルに維持すること、よって1mSv/年を上限として、合理的に達成可能なできるかぎり最低限に食品の放射能汚染を維持すること」である。この韓国のALOPは明確でなく、例えば食品が1mSv/年を上限として、それ未満でもALARAおよび「通常の環境下」要件がかかる、ということなのか、それとも1mSv/年基準は他の2要件を反映したものなのか、特に前者だとすれば、具体的にALARAおよび「通常の環境下」要件はどんな基準なのか、といったことが明らかではない。
本件上級委員会のパネルに対する批判は、要するにこの3要素で構成される複合的なALARAの一部である1mSv/年基準だけを充足するか否かで日本の代替措置を検討し、ALARAおよび「通常の環境下」要件の位置付けや、代替措置はこれらを充足するかどうか(あるいはこれらはALOPとして無関係として無視していいか)をパネルは検討しなかった、というものである。上級委員会の先例によれば、ALOPは定量的でなくてもいいが、SPS協定の義務の実施を妨げないように「詳細な(precise)」なものでなくてはならず、SPS措置を取る国がこれを設定する専権および義務がある。仮に不明確な場合、問題の措置に内在的なALOPをパネルが探ることができるが、証拠に基づき判断し、理由を説明する必要がある(AB: 5.34/P: 7.157–7.160)。上級委員会が指摘するとおり、パネルはALARAおよび「通常の環境下」要件は無視していいと考えていることはパネル報告書の記述より分かるが(P: 7.164-7.170)、これを明示的に結論づけなかったことを問題にしていると理解できる。
しかしこの上級委員会によるパネル判断の評価については、筆者は必ずしも同意できない。パネルの議論を注意深く読み解くと、パネルはALARAおよび「通常の環境下」要件はそれ自体で意味を持つものではなく、韓国の複合的なALOPは結局全て1mSv/年基準に収斂することを説明しているように理解でき(P: 7.164-7.170)、また、上級委員会もパネルがALARAおよび「通常の環境下」要件に呈した疑義に気づいている(AB: 5.35–5.36)。結局のところパネルと上級委員会の違いは、この説明の明確性のレベル感と、上級委員会としては、ALARAおよび「通常の環境下」要件は単独では意味をなさず結局は1mSv/年基準を意味する、という結論をパネルは明確にすべきだった、ということに尽きるように思われる。
また、ALOPの設定は韓国の権利であると同時に、義務でもある。これが明確でない場合パネルが措置から探ることができるが、その場合に上級委員会はパネルに重い説明義務を課す一方、韓国がALOPの正確性を担保する義務を問うていない。これでは加盟国としてはALOPを敢えて分かりにくく定め、真のALOPの説明責任をパネルに負わせる方が有利になってしまい、これではALOP設定の義務は空洞化するおそれがある。そもそもパネルがALOP探しの必要に迫られるのは、SPS措置を取る国がこれを明確に定める義務を果たさないからであり、そのリスクをパネルおよび他の加盟国に負わせるのは不合理であろう。上級委員会の判断はALOP設定の権利に偏りすぎるきらいがある。
(2) について
SPS協定2条3項は、SPS措置が恣意的・不当な差別になってはいけないと規定する。ただ、例えばBSEが発生している国の牛肉だけを輸入制限したとして、発生していない国の牛肉との比較で、差別だと指摘しても意味はない。3項はあくまで「同一又は同様の条件の下にある加盟国の間(自国の領域と他の加盟国の領域との間を含む。)において」差別になることを禁じている。
パネルと上級委員会の判断の違いは、「同一又は同様の条件」を、食品自体の放射能汚染のレベルだけで比較するか、食品汚染に関わる生産国の環境も含めて比較するかの違いである。パネルはこの点、過去の度重なる核実験や1986年のチェルノブイリ原発事故等から特に半減期の長い放射性物質による食品汚染の可能性は世界中の食品にあり、日本の水産物の汚染水準もそれ以上ではないことから、これだけを制限することは「同一又は同様の条件の下にある加盟国の間の」差別だと結論づけた。
これに対して上級委員会は、「条件」がSPS措置が対処する危険性が何であるかと関係すること、2条3項に「(自国の領域と他の加盟国の領域との間を含む。)」とあること、5条2項によれば危険性評価において各国内の生態系・環境が考慮されることから、加盟国領域の生態系・環境上の事情も「条件」に含まれるとした。この点、実はパネルは、特定の放射線放出事故周辺地域の汚染水準や潜在的な食品汚染が高まる可能性や、特定事故からの放射能の分散も各国で一様ではなく、地理的・気象上の違いによって異なることなどを認定しているが、これを勘案しなかった。また、食品自体の汚染水準についても、パネルは食品の実際の汚染レベルがパネルが認定するところの韓国の安全基準(セシウム100Bq/kg)を下回るかにのみ着目し、日本とそれ以外の地域での放射能汚染の状況の違いもたらす潜在的な食品汚染について検討していないことを指摘している。
この過程で上級委員会は潜在的(potential)という言葉を多用している。つまり、製品に内在する放射能についても、現在の汚染が一定の安全基準を下回るか否かを静態的に評価するのではなく、放射能の残留や今後の分散の可能性等を踏まえて、動態的に検討することを求めている。上記のとおり、上級委員会はSPS協定附属書A(1)との関係で2条3項の「条件」は特定の措置が対処するリスクと関係することを指摘している。本件では放射能汚染がそのリスクであるから、このような動態的な視点が重視されたということだろう。
(3) について
日韓両国は互いが主張していない論点についてパネルの判断が下されていることに気づかなかったことを意味する。WTO紛争解決手続は当事者主義であって、当事国が提起しない請求をパネルが判断することはない。手続上、パネル設置要請書(DSU6条2項)に明記されていない問題および主に被申立国が審理の過程で提起した抗弁以外、付託事項としてパネル審理の対象外となる。付託事項の範囲に齟齬があれば、意見書提出や口頭審理のプロセスで先決判断(preliminary ruling)をパネルに求め、特定の問題が付託事項内かどうかの判断を求めることができる慣例になっている。
また、中間報告書(パネル報告書のいわば「下書き」)を当事国にのみ回覧し(対外厳秘)、報告書の誤りを検討するが(DSU15条2項)、その際にも付託事項の誤りに気づくことはできる。韓国が上訴の際に初めて5条7項違反の請求が付託事項外であると主張しているが、パネル段階で先決判断を求めないばかりか、おかしなことに中間報告段階で5条7項違反に関する判断理由・認定についてコメントし、加筆・訂正さえ求めている(P: 6.18–6.21)。もし付託事項外と考えるなら、遅くともこの時点までに申し出るのが通常だ。その後の最終報告書の配布まで、当事国、パネリスト、事務局の担当法務官、誰もこれほど大きな誤りに気が付かなかったのは、若干信じがたい。
本件の示唆 ―上級委員会判断の正しい受け止め方―
この数日さまざまな日韓両政府の反応、報道、ネットの書き込みを目にしたが、これらについて本件の判断の内容や射程、そして示唆についての理解が正確ではないものが少なくない。また、ネットの書き込み等ではニュース報道について「なぜひっくり返ったかを説明してくれ」というコメントをよく見かけた。時間が経つにつれてテレビ、新聞、ネットニュースでも、判断理由に触れる報道が増えてきてはいるが、短いスペースと時間で的確に伝え切ることは失礼ながら専門外のマスコミには難しいし、また実際看過しがたい不正確なものもいくつかあった。そこで、WTO法の専門家として、この「なぜ」を的確に読み解き、またどのような意味合いがこの判断にあるのかについて誤解を解いていくことが筆者の役割であり、本稿の目的である。「なぜ」の説明は既に上記に述べたとおりだが、いくつか目についた報道や政府関係者・識者のコメントを上に分析した判断概要に照らして巷の誤解を解きつつ、本判断の射程や示唆を説明する。
「米国は上級委員会が個別の紛争案件の解決に不要な法的判断をし、『行き過ぎた解釈をしている』と強調。今回の韓国との紛争案件で上級委員会が「慎重姿勢」を示した背景には、こうした「米国の不満も微妙に影響している」(通商筋)との声も聞かれる。」
(日本経済新聞電子版2019.4.12)
全く同意する。上級委員会危機と米国の不満については、詳しくは(川瀬2019)を参照。本件は放射能汚染の防止という極めて機微な問題に対する韓国の規制主権に立ち入る判断になることから、上級委員会は過度にこれを抑制しないよう、慎重かつ厳しくパネルの判断を精査したように思われる。特にSPS協定については、これまでも加盟国の規制主権をなるだけ制限しない方向で解釈する傾向が見られた。加えて、目下の上級委員会の置かれた事態と相俟って、このような判断に至ったと見るべきであろう。
この点は特に5条6項の判断に現れている。上級委員会は、ALOPの設定が加盟国の「専権(prerogative)」であることを重視したように見受ける。もちろんALOPが正確性を欠く場合には、措置からパネル自身がALOPを探ることは妨げられない。しかし措置を取る国のALOPをそのまま丸呑みしない場合、パネルによるその理由の説明義務を高く設定しているように感じた。この点は先に指摘したとおりである。
「風評に科学が負けた国に負けてしまった」
「この判決は科学的に間違っているので政府は十分に反論すべき。」
(アゴラ2019.4.12)
「アゴラ」がまとめたネットの反応および伊藤民武氏(産業技術総合研究所)のコメント。これらの指摘は誤りである。今回はそもそも日本は韓国の措置の科学的な正しさを争点にしていない。韓国の措置は不当な対日差別か(2条3項)、韓国が設定したALOPの達成のためには輸入禁止が過剰規制であるか(5条6項)しか争われていない。
もし措置の科学的な正しさを争うのであれば、日本は2条2項、5条1項違反を提起すべきであった。しかし日本は韓国のALOPの本質は1mSv/年基準であると見切っていたので、この基準を下回る産品の輸入さえ認められればそれで良い(日本の水産物は楽にこの基準をクリアできる)、それ以下の部分の規制は韓国のALOPを1mSv/年に設定してしまえば自ずと5条6項で過剰規制として撤廃される、と考えたものと思われる。1mSv/年基準は日本も受け入れている国際的基準であるから、それも含めた放射能規制そのものの科学的正しさを争うことはそもそも無益であるし、不要だ。むろん1mSv/年未満の低線量被曝の部分だけ科学的正しさを争う戦略もありうるが、こうした困難かつ評価の分かれる科学的論争に踏み込まなくとも、上記のとおり所与の目的は達成できる。加えて、こうした科学的・政治的に機微な問題を専門機関ではないWTOに判断を委ねることは、過剰な政治的負担をWTO に課すもので、その正統性を損ないかねない。加盟国としてこれを避ける日本の判断は賢明だ。
その意味で2条2項、5条1項違反の請求を提起しなかった日本の訴訟戦略は合理的であり、その時点では致し方ない選択だと評価する。むろん予備的にこれらを提起しておけばよかった、ということはできるが、それは後知恵でしかない。
「日本産食品は科学的に安全であり、韓国の安全基準を十分クリアしているとしたWTOパネルの事実認定が、上級委員会でも維持された。」
(河野太郎@konotarogomame 2019.4.11-17:12PM)
まず、パネルによる事実判断の維持に関するコメントについては、このままではミスリーディングなので、もう少し説明がいる。大前提として、上訴審で事実判断が維持されるのは当たり前である。上級委員会は法律審であって(DSU17条6項)、パネルが認定した事実を上級委員会が自発的に見直したり、評価することは制度上あり得ない。もしあるとすれば、それはパネルの事実認定がDSU11条のパネルの責務(審査基準)に反する場合だが、その場合も事実の正しさを検討するのではなく、パネルの事実認定の方法の妥当性を問うだけで、上級委員会自体は客観的な事実の認定を改めてやり直すことはできない。また、今回両当事国からパネルの事実認定に関する上訴は行われていない。確かに日本産水産物の汚染水準についても上級委員会は覆していないが、上訴で争われなかったから、と明確に説明している(AB: 5.37)。つまり、正確には、上級委員会はパネルによる日本産品の汚染水準に関する事実判断を、「能動的に肯定も否定もしていない」というべきである。
次に、パネルが韓国の安全基準をクリアしたと認定した、と理解するのは、上記の5条6項に関する議論から正確ではないことがわかる。上級委員会曰く、パネルは複合的な要素からなる韓国のALOPの全3要素について日本の代替措置(つまり、年間被ばく量1mSv/年が達成できる水準としてセシウム100bq/kg超の産品のみ輸入制限)が合致するかを判断せず、1mSv/年基準のみを達成できるとだけ判断した(AB: 5.36)。パネルはこの不十分な韓国のALOPの検討に基づき、韓国の許容水準をセシウム100bq/kg未満と認定し、日本の水産物がこれを大きく下回ることを認定している。よって、韓国の3要素で構成される複合的なALOP全体から導かれる韓国の許容水準に日本の水産物が本当に適合しているかどうかは判断しておらず、維持される一審の事実認定の中にそのような認定は含まれていない。含まれている事実は、日本のほぼ全ての水産物の放射能汚染は韓国の設定したセシウム100bq/kg基準に適合する、という認定だけだ。もしその部分を指して、日本産食品は科学的に安全、というならその認識は正しいが、本当に正しく理解された韓国のALOPに基づく韓国の安全基準が何かについては、そもそもパネルは議論できなかった(これができていたら、そもそも上級委員会はパネルの判断を覆す必要はなかった)。よって、それに日本の水産物が適合しているかどうかは、正しくは、「判断されていない」というべきであろうし、上級委員会もまたその点については何も判断していない。
「韓国の措置が協定に整合的であると認められたわけではございません。」
「上級委員会の判断はですね、(略)日本の食品の安全性を否定するものではないと私は考えております。」
(吉川農林水産大臣記者会見 2019.4.12)
今回の判断を極めて正しく理解している。上記のとおり、日本食品の安全性については、上級委員会は全く議論しておらず、パネルの認定を否定も肯定もしてない(AB: 5.37)。日本がセシウム1mSv/年を満たす水準(つまり100bq/kg)で食品の放射能規制を行っていることも否定はされていない。
韓国の措置に関するコメントについては、上級委員会の判断は、わが国の申し立てたSPS協定違反の根拠に基づき韓国の措置がSPS協定違反であると認定するには、パネルの審理は足りてない、というものであって、それ以上のものではない。韓国の措置がここで検討されたSPS協定2条3項および5条6項にも適合していると認定されたわけでなく、単にこれらの条文への違反立証には議論が足りない、とされただけで、実際はどうであるかは検討されていない。ましてやここで検討されなかったSPS協定の他の条文に対する適合性は全く保証されない。
「日本は韓国の禁輸解除をてこに、日本産食品の輸入を規制している他の国・地域への解除要請を強める戦略だったが、水を差された形だ。」
「韓国を突破できなければ輸出なんて増えるわけがない」
(時事通信 2014.4.13)
韓国以外にも、今も中国、台湾、シンガポールなど23の国・地域が、福島県産などの水産物の輸入を制限しているという。前段のコメントには基本的に同意するが、戦略は韓国への勝訴をテコに他加盟国の説得に乗り出すという当初戦略だけではない。今回の上級委員会の判断自体については、別の見方、使い方ができる。
WTO上級委員会の判断は先例拘束性が強く、今回の上級委員会による2条3項、5条6項の解釈については、今後の紛争においてこれらの条文の解釈のガイドラインとなっていく。したがって、将来のパネルは今回のような「ミス」を犯す可能性は下がる。また、解釈の道筋が示されたことで、日本としても訴訟戦略は立てやすくなる。
また、当然のことながら、今回の判断は日韓両国間における韓国の特定の措置に関する紛争に対するものであって、他の加盟国との関係では何ら法的効力はない。そして、これらの国々の措置は韓国のそれとは細部において異なるものだろう。そうであれば、今回韓国の違反が認定されなかったことは、これらの国々の措置が正当であることを示唆しない。他に悪質な措置があるのであれば、今回の上級委員会判断を十分に研究した上で、わが国はWTOに紛争を提起することをためらうべきではない。
その意味では後段のコメントには同意できない。逆に中国、台湾やシンガポールの措置についてWTOで協定違反の認定を取りながら、韓国を追い込むことも可能だからだ。これは自民党の水産関連会議における出席議員の「怒号」と報じられているが、与党議員の諸賢には政府への前向きな激励を期待したい。
他方、2条3項違反の立証はハードルが上がった。被災地と他の通商制限対象となっていない国々との生態系上・環境上の差異やその潜在的影響についても動態的に勘案した上で差別を立証しなければならないことは、わが国にとって負担になろう。
「日本政府は、上級委は韓国の禁輸措置の是非について判断せず、同委の本来の目的である紛争の解決に資する判断をしなかったと意見表明する予定だ。」
(朝日新聞2019.4.16)
あくまで法律審である上級委員会は、パネルが必要な事実認定を行なっていないかぎり、パネルの判断を破棄はできても自判はできない。今回は2条3項については地域ごとの放射能汚染や食品汚染の潜在的可能性、5条6項については韓国の複合的なALOPの本当の内容や適用方法など、上級委員会が自判のために参照できる事実認定をパネルが行なっていない。よって、結論を出せないのは当たり前であって、この意見表明は失当に思われる。それとも、日本政府は上級委員会にマンデートを超えて事実判断を行え、というのだろうか。
本来であれば、こういう事案は破棄・差し戻しだが、WTO手続には差し戻し制度がない。よって、本件で明確な解決に至る判断ができないのは、制度的限界の結果である。
本件の教訓と今後 ―ルール外交のリテラシーを上げるために―
最後に本件判断からわれわれが得るべき教訓を議論したいが、学術的な判例評釈ではないので、敢えて本件判断の法的示唆について述べることは避けたい。日本のルール外交のリテラシーを上げるために、この敗戦をどう受け止めるかについて筆者の考えをお伝えしたい。
今回の敗訴はたしかに想定を超えることは確かであり、日韓両国にとって驚きであったことはここ数日の報道を見れば明らかだ。しかし、パネルの不十分な審理や誤った協定解釈による判断が上級委員会で覆され、結果完全敗訴になったケースは正直初めてではない(注4)。その点、外務省幹部が「『1審』の判断を上級委員会が覆すことは、普通はあり得ない」(産経2019.4.12)とコメントするようではやはり油断であり、またその意味では、2018年のコラムでもパネルが「上級委員会の審理に耐えうる判断を行った」と記した筆者自身も、この分野の研究・教育に携わる者のひとりとして、自らの浅学を率直に猛省したい。
政府はもとより、マスコミ、そしてわれわれ市井の一人一人が今なすべきことは、この事態を矮小化して誤魔化すことでも、虚勢を張ることでも、悲観することでも、誰かを非難することでも、ましてや陰謀論や韓国を「disる」ことで自己満足を得ることではない。法的・政策的視点に基づいた冷徹な思考と謙虚な姿勢で敗訴の原因、パネル・上級委員会報告書の正確な射程や問題点を分析し、今後残る他の国々の措置にどう対処するかを真摯に考え抜くことがわれわれに求められていることだ。この拙い小稿がその一助になることを願ってやまない。
その意味において、菅官房長官が「韓国が措置を強化した際に周知義務などを果たさなかったことを協定違反と認めた1審の判断も支持されている。したがって、わが国が敗訴したとの指摘はあたらない」(NHK2019.4.12)と述べたことは、遺憾に思う。日本としては極めて周辺的な手続的論点でひとつ請求が認容されただけで、苦境にある被災地を救うべく措置の撤廃に追い込めなかったことは、この紛争を提起した目的を達せられないのであり、紛れもない「敗訴」だ。安倍政権に被災地復興のために日本水産物の販路を拓かんとする真に強い思いがあればこそ、今後の実効的な戦略に結びつけるべく、特に政権中枢には今回の結果を正面から受け止めてほしい。この点は「霞ヶ関のシンクタンク」RIETIの末席を汚す者の使命として、敢えて苦言を呈しておきたい。
今回の敗訴が経済分野でのルール外交における日本の敗北だとすれば、中長期では広く貿易・投資の国際ルール、つまり国際経済法に関するリテラシーを底上げする必要がある。正直なところ、今回の事態で、日本では政府、マスコミ、ネットも含めて、驚くほど通商ルールが浸透していないことを、筆者は改めて痛感した。しかし、18歳人口の減少・法科大学院の不振の中で、むしろこの分野の教員ポストは各大学法学部で削減傾向にあり、司法試験科目から選択科目さえ削られる現在、ますます大学での教育機会は縮小しつつある。これではとても人材育成はおぼつかない。
これに対して、概して韓国の方が通商ルールに関心が高い。筆者の皮膚感覚で言えば、韓国の方が(加えて言えば、中国、台湾、シンガポールも)通商分野で国際的に活躍する研究者、実務家は多く、また米国のロー・スクール(特にアメリカ人が入る正規のJDコース)に進学する学生も多いように思う。韓国は今回パネル敗訴の後に省庁横断的な体制を整え、民間から専門家をスカウトして担当課長に据え、この「功臣」が勝利に導いたという(朝日2019.4.12)。そしてこの「功臣」、チョン・ハヌル産業通商資源部通商紛争対応課長は正にそうした若きアメリカン・トレード・ロイヤーの出身なのだ(中央日報2019.4.15)。WTO上級委員も2012年に大島正太郎氏が退いて後、韓国に枠を取られたままになっているが、これを取り戻すためにも我が国の通商法人材に厚みが必要だ。
通商ルールに知悉する必要性に迫られるのは、小さな内需でグローバルな市場開拓に乗り出さないと生き延びられない韓国固有の事情に起因することとはいえ、少子高齢化時代の日本にとっては明日の姿だ。国の威信をルール外交に賭け、国益を守った韓国の執念と努力を賞賛する度量こそが、明日の日本の成長と勝利をもたらすのではないだろか。