RIETI ポリシーディスカッション

第8回:東アジアでFTA盛行 日中だけ「空白」は損:ディスカッションルーム

津上 俊哉
上席研究員

「東アジアでFTA盛行 日中だけ『空白』は損」について

外交問題評議会上席研究員 エドワード・リンカーン

津上俊哉氏が「選択」に寄稿したFTAの急激な拡大に関する論文は興味深いものですが、私見では典型的な日本流の見解を体現するものです。津上論文には次のような特徴が見られます。

(1) 東アジアで起こった事象の動機づけに日本が果たした役割を誇張しています。そもそも日本がFTAをシンガポールに持ちかけたのかどうかすら怪しいものです。まずシンガポールから日本に働きかけがあり、その結果、日本政府が従来のFTA反対路線を見直すことになったのが実情でしょう。これは、特に1997年の金融危機以降ASEAN依存体質からの脱却を図ろうとしたシンガポールの既定路線に沿ったものでした。日本がシンガポールとの交渉を始めたために中国がASEANに近寄っていったという説明も、私にはあり得ないもののように思われます。

(2) FTAに関し、東アジアで活発な動きが見られるというのも誇張された見方です。ASEANは域内のFTAについて10年以上前に合意し、それ以来ゆっくりと、また国ごとに異なったペースで当該合意を実施してきました。シンガポールは積極的に動いています。日本はシンガポールとの協定を締結し、メキシコと交渉中です。韓国はチリとのFTAに調印しました。ASEANは中国と交渉中です。しかしながら、これらの動きを世界的に比較してみると、他の諸国の方が非常に活発に動いていることが分かります。米国は既に複数のFTAを締結しており(カナダ、メキシコすなわちNAFTA、ヨルダン、シンガポール)、更に多くを交渉中です(FTAA、中米、モロッコ、豪州)。世界的に見ると、過去10年間にこうしたFTAは100ばかりも締結されてきたのです。こうして見れば、東アジアで起きていることはたいして「エキサイティング」なものとは思えないのです。

(3) このことは、FTA交渉を前進させるのに四苦八苦している日本について特にあてはまります。日本は、政府が関与した研究会が立ち上がってから数年経つにもかかわらず、韓国やASEANとのFTA交渉を開始できずにいます。いずれ交渉は開始されるのかも知れませんが、遅延していることは明らかです。

(4) 津上論文は、日中FTAの利点を賞揚していますが、そんなものは日本政府のレーダー・スクリーンには全く映っていません(検討の俎上には全くありません)。それには理由があります。中国は、WTO加盟に伴う約束の実施についてすらまだまだ遠い道のりを行かなければならない状況にあります。先進国とのFTAに本気で参加できるようになるまでにはずっと時間がかかります。

最後に、こういうことを言うのは私の他にはジャグディシュ・バグワッティ教授ぐらいのものかも知れませんが、私は、FTAはよくない考えであると思っており、米国政府がFTA交渉に熱意を見せていることを強く遺憾に思うものであります。

ご関心のある方は、今年後半に外交評議会とブルッキングス研究所の共同出版物として公表される拙著においてこれらの問題を分析しておりますので、ご参照ください。

2003年6月30日

#この投稿の原文は英語であり、著者から転載と翻訳の許諾を得て掲載しております。 原文はNational Bureau of Asian ResearchのJapan-U.S. Discussion Forumのアーカイブ、またはRIETI Policy Debate(英文サイト)で読むことができます。

リンカーン氏への反論

上席研究員 津上 俊哉

私の反論はこうです。もし私の論文が日本の役割を強調し過ぎとの印象を与えたとすれば、それはまさに私が日本の政策当局者の注意を喚起したかったからです。日本の政策当局者の一部は、中国・ASEAN自由貿易協定(FTA)が急浮上したのを見て被害者意識にとらわれています。「中国は東アジアにおける日本のプレゼンスを低下させようと画策しているのではないか」と感じているのです(「中国陰謀説」と「中国脅威論」の組み合わせ、といえるでしょう)。しかし、アジア地域におけるFTAの連鎖反応を引き起こしたのは、意識してしたことではなかったにせよ、実は日本の方でした。シンガポールの方が先に日本にアプローチしてきた(1999年夏)のは事実です。しかし、彼らをそうさせた理由のひとつに日本が韓国との二国間FTAの可能性を追求し始めたというニュース(1999年春)があったことは間違いないと思います。日本がそうした挙に出るのは前代未聞のことでしたから。

リンカーン氏はまた、「日本がシンガポールとの交渉を始めたために中国がASEANに近寄っていったという説明」は、「あり得ない」と思われると述べています。

次の点を付加的に述べれば、私の議論は説得力を増すでしょうか。中国が懸念したのは、ただ単に日本がシンガポールとFTAの交渉をしている(あるいは韓国との間でそれを模索している)ことではなく、アジア地域に日本を中心とする特恵貿易網が出来上がることでした。これが周囲で聞こえる「中国脅威論」と結びつくならば、中国は経済政策のみならず外交政策面でも孤立することになってしまいます。このように解釈するのは、当時が微妙なタイミングにあったからです。日本とシンガポールとの交渉(あるいは韓国との「共同研究」)は、ちょうど中国がWTO加盟交渉の最終コーナーに差しかかったときに始まりました(ようやくの思いでゴールにたどり着いてみれば、そこには誰もいなかったという状況を思い浮かべてください)。私の見解では、中国が自国版地域貿易協定構想を打ち出したのは、攻撃的動機によるものではなく、防御的動機に出たものでした。

リンカーン氏はまた、次のようにも述べています。「FTAに関し、東アジアで活発な動きが見られるというのも、誇張された見方である。世界的に見ると、過去10年間にこうしたFTAは100ばかりも締結されてきた。こうして見れば、東アジアで起きていることはたいして『エキサイティング』なものではない」と。

そうかも知れません。しかし、これまで東アジアが世界のFTAの動きにずっと乗り遅れてきたことを思えば、最近の政策変更はやはり驚くべきものです。リンカーン氏がこの新しい動きを批判的な目で見ている理由が私には分かりません。新人がベテラン選手ほど「エキサイティング」なプレーができないからといって、批判すべきでしょうか。

リンカーン氏は更に、「日本は、政府が関与した研究会が立ち上がってから数年経つにもかかわらず、韓国やASEANとのFTA交渉を開始できずにいる。いずれ交渉は開始されるのかも知れないが、遅延していることは明らかだ」としています。

私には、公式交渉開始を躊躇したのは韓国であり、その逆ではないように思えます。報道によれば、最近の日韓首脳会談において、日本から交渉開始に向けた「共同宣言」を打診したものの、韓国政府はこれを丁重に断ってきたそうです。その理由のひとつはもう1つの隣国(中国)の反応を懸念したということのようです。たしかに、中国の一部には日韓FTAもまた中国を孤立させるための策略ではないかと疑う向きもあります。

ASEANに関しては、関係諸国は日ASEAN・FTAよりも日本と二国間FTAを個別に結ぶ方に力を入れています。その理由のひとつは、シンガポール以外のASEAN諸国は、既に完成した日星FTAとのバランスを回復する必要があるということです(注)。別の理由として、日本との二国間FTAを推進することで、中ASEAN・FTA交渉の急速な進展とのバランスをとる必要があるという点もあるかも知れません。なぜなら日ASEAN・FTAは当然ながら時間がかかり、それでは中ASEAN・FTAの急な動きについていけないと思われるからです。もっともこう言うと、またリンカーン氏から「日本の役割を誇張している」と批判されるかも知れませんが。いずれにせよ、日本がASEAN各国と進めている個別FTA交渉の見通しがはっきりしないことは認めます。ただ、交渉は既に始まっているのです。

(注)私が勤務する研究所においてシンガポールのゴーチョクトン首相が行ったスピーチ(特に質疑応答の部分)を参照してください。

リンカーン氏は続けて、私の論文は「日中FTAの利点を賞揚しているが、そんなものは日本政府のレーダー・スクリーンには全く映っていない(検討の俎上には全くない)」と述べています。

私は「日中FTAの利点を賞揚」したつもりはありません。現実を直視する必要性を訴えただけです。「選択」の論文に書いたとおり、日中間の事実上の経済統合は、FTAがあろうがなかろうが、急速かつ不可避的に進行しています。残念なのは、今のままだと恐らく日本では統合によるメリットをデメリット(すわなち空洞化)が上回ってしまうことです。しかし私は、統合で得ようと思えば得られるメリットを享受できない責任は日本にあると思っています。そういうメリットを得るためには、日本の側で改革を加速しなければなりません(アジアを見下してきた日本人の心理面での調整も含めて)。日中FTAはこの目的のために有用です。したがって、官僚たちが現実を直視したがらないとか怖がっているといったこととは関わりなく、日中FTAは今、「日本政府による検討の俎上」になければならないのです。

日中FTAを検討すべきだと私が考えるのには、もうひとつ理由があります。上述のとおり、いまは日中双方の側に「相手方のFTA政策には悪意があるのではないか」と疑う人がいます。韓国が日韓FTA交渉の開始をためらった理由のひとつもそうした中国側の猜疑心を恐れたからでした。残念ですが、これが今日の日中関係のもう1つの現実です(米国の友人にはそういう現実に満足しないでもらいたいと望みます)。しかし、他方で日中双方の側にはそのようなゲームから両国が得るところは何もないことを既に自覚している人々もいます。日中双方がお互いのFTAについて態度を明らかにしないままだと、東アジアのFTAの動きに深刻な萎縮効果が生じかねません。日中間で制度的なFTAを締結するのに時間がかかろうとも、東アジア経済統合の究極の姿について明確なビジョンだけは今、持つ必要があります。これが相互の猜疑心をうち消すために有効な処方なのです。

最後に、リンカーン氏は「FTAはよくない考えであると思っており、米国政府がFTA交渉に熱意を見せていることを強く遺憾に思う」と述べています。

リンカーン氏が本当にそう思っているのなら、彼が東アジア以外のFTAがいかに「エキサイティングで積極的」であるかを示すために長々と実例を挙げている理由が理解できません。彼はそこで「米国の場合、既に複数のFTAを締結しており(カナダ、メキシコすなわちNAFTA、ヨルダン、シンガポール)、更に多くを交渉中である(FTAA、中米、モロッコ、豪州)」云々と述べていますが、米国の政策当局者が如何に愚かであるかを示すためにそうしているようにはどうも見えません。

リンカーン氏は、私の論文を「『典型的な』日本流の見解を体現するもの」と述べていますが、それを言うのであれば、私には彼の一連のコメントは米国のアジア専門家の一部に見られる「典型的な」願望を如実に体現するものだと思えます。私はそれより「(FTAについて)米国政府が熱意を見せていること」の方が現実的であり建設的な態度だと思います。もし将来日中FTAが本当に実現しそうになれば、両国は太平洋の向こう側(米国)からの介入に直面することになるでしょう。或いは、それは太平洋をはさんだ「文明の衝突」を避け、東アジアに対する米国の建設的コミットメントを確保するために、むしろ日中両国が歓迎すべきことかも知れません。また、私は、そうすることが米国が東アジアにおける利益を確保するために最善の方法だと思います。議論に建設的に参加したらいいではないですか。また、アジア側には作戦会議の時間を与えてくださいね。しばらくは安心して見ていて大丈夫です。(東アジアの動きに)時間がかかることは請け合いですから。

ご関心のある方で、日本語読解に問題のない方は、拙著「中国台頭:日本は何をなすべきか」を読んでみてください。上記の議論について更に詳しく書いてあります。

2003年6月30日

#この投稿の原文は英語であり、著者から転載と翻訳の許諾を得て掲載しております。 原文はNational Bureau of Asian ResearchのJapan-U.S. Discussion Forumのアーカイブ、またはRIETI Policy Debate(英文サイト)で読むことができます。

若干の補足

外交問題評議会上席研究員 エドワード・リンカーン

日本の自由貿易協定構想をめぐる議論に、津上氏、その他の方々が興味深い見解を付言していた。ついては若干の補足をしておきたい。

中国が東南アジア諸国連合(ASEAN)に自由貿易協定(FTA)を提案したことについて、津上氏は興味深い解釈を示している(FTAに対する日本の新たなる前向きな姿勢をみてとり、遅れをとるまいとした)。わたしは中国内政の専門家ではないが、この解釈は当てはまらないのではないかと思う。中国政府は(a)FTAをめぐる世界の流れを読んだ、(b)東南アジア諸国との関係向上に手っ取り早い方法を探していた、とみるのがはるかに妥当ではないだろうか。中国とASEANとの貿易は比較的少なく、よって経済面ならば対処しやすい(市場を開いて著しい損害を被る国内産業は、いずれの側にもそう多くない)。かたやASEANのほうは、中国が世界貿易機構(WTO)加盟をはたしたからには、ASEANに投資している外国企業が中国に工場を移転するのではないかと、「巨大な吸引音」におびえていた。この危惧はいまや膨れあがっている(1997年以来、ASEANへの外国直接投資は下降傾向にあるが、中国への外国直接投資は高水準を維持している。しかしこれは主として、インドネシアの政情不安、1997年の金融危機に続くその他の一時的な現象によるものであって、中国のWTO加盟とはほとんど関係ない)。したがって、日本が新たに打ち出したFTA政策が、中国政府にASEANとの協調路線を決断させた必須要因であったとはいえない。

津上氏はまた、FTAへの取り組みが鈍いと、わたしがなぜ東アジアを「悪く言う」のか訝っていた。だがわたしはべつに非難したわけではなく、世界の他地域の動向に照らしてみると、FTAへのシフトがさほどに目立っていないという興味深い事実を指摘したまでである。この事実は、いくつかの疑問―FTAという時流にこれらの国々がもっと早く乗らなかったのはなぜか、その一部の国がかくも慎重にことを進めてきたのはなぜか―を提起しているように思える。

中国の重圧に対抗するために、ASEAN諸国は日本とFTAを結びたいのだとするストーンヒルおよび津上両氏の意見には賛成である。ASEAN諸国は中国との交渉開始にあきらかに前向きだったが、地域の報道機関はおしなべてこのプロセスを疑問視してきた。こうした状況にあって、小泉首相が2002年1月にシンガポールで政策演説を行ったさい、ASEANと同様の交渉を開始する意向を示さなかったことに対するASEANの落胆ぶりは、手にとるように伝わってきた。それから1年余を経たが、日本政府はいまだに、ASEAN全体に対しても、シンガポール以外の個々の加盟国に対しても、FTAの確固とした提示はしていない。おそらく1~2年のうちにはなされるだろうが、ASEANと中国の交渉が日本にとって競争圧力となるのは歴然としているにもかかわらず、動きが鈍いのは気になるところだ。津上氏をはじめ経済産業省の関係者や外務官僚はこの3~4年、積極的な自由貿易圏交渉の政策を進めるべく身を粉してきたのだが、農林水産省の強い抵抗に遭っていたのである。

その間に新しい要素が加わった。この地域とワシントンおよび国際通貨基金(IMF)との間に一線を引こうとする意図があっても、FTAによってその目的が達成される(津上氏は最近就任したポストでそう指摘している)とはかぎらない。昨年10月、アメリカ政府はASEANとの新たなイニシアチブを発表し、個々のASEAN加盟国とのFTA交渉を提示している(推測するに、ミャンマーを含めたASEAN全体との協定締結は不可能とみたからだろう)。第一回目のFTA交渉候補国はフィリピンとタイが有力である。これらの国々が日本と交渉する前にアメリカとの交渉をはじめるとしたら、いささか皮肉な成り行きである。

最後に、私のコメントを深読みしないよう津上氏にお願いしたい。津上氏は、私がFTAに関するアメリカ政府の最近の活動を列挙したことに触れ、適切な政治選択として私がFTAを見限ったことと矛盾するのではないかと示唆している(「アメリカの政策立案者のばかさ加減を示したいがためにしているとは思えない」)。アメリカ政府のFTA政策に関わる活動を列挙したのは、リストの読者に対して、現状に関するいくばくかの事実を提供するためである。一連の協定や交渉をリストアップしたからといって、なにもアメリカの政策を支持しているわけではない。FTAを現在のグローバルな貿易政策における不幸な事実とは認めているが、私はあくまでも、われわれ全員が地域・二国間取引よりもWTOに注力すべきだという立場である。

2003年7月1日

ディスカッションルーム

2003年7月1日掲載