インタビュアー:尾崎 大輔(日本評論社『経済セミナー』編集長)
所属・役職はインタビュー当時のものです。
1. 経済学の実証分析に惹かれた学部時代
尾崎:
このインタビュー・シリーズでは、独立行政法人経済産業研究所(RIETI)で学術研究・政策研究に取り組む皆さまに、政策現場に近いところでの研究の実際や、その醍醐味を伺っていきます。今回は松本広大さんです。まずは自己紹介から、よろしくお願いします。
松本:
RIETIで政策エコノミストを務めている、松本です。専門は労働経済学で、現在は生活保護や障害者雇用に関する実証分析に取り組んでいます。加えてRIETIでは、経済産業省と連携した政策評価業務に適宜関わっています。学部卒業後に地元の市役所に就職し、働きながら神戸大学大学院経済学研究科で博士号を取得しました。
尾崎:
学部生の頃から経済学を学ばれていたのでしょうか。
松本:
はい。学部で経済学を学び始めた頃は、特に経済学の数学的なおもしろさに惹かれていました。限られた条件の中で人や企業がどのように選択するか、仮定を置き、式で組み立て、結論まで導いていく。論理が積み上がっていく感覚が心地よく、考えるほどに深まっていく学問だと感じていました。
一方で、理論として導かれる結論が現実でも同じように成り立つのかを確かめたくもなりました。制度や政策について印象や経験だけで議論するのではなく、実際に何が起きているのかをデータに基づいて考えたいと思うようになり、実証分析への関心が強くなっていきました。その転機の1つは、大竹文雄先生の『経済学的思考のセンス』(注1)を読んだことです。経済学が単なる理論ではなく、現実の課題にデータを使って答えていく学問であることが具体的に見えてきました。「現実を見て、検証し、政策に返す」という姿勢に、強く惹かれました。
2. 市役所で生活保護のケースワーカーとして働く
尾崎:
大学卒業後は市役所に就職されましたが、当時はまだ大学院進学は考えておられなかったのでしょうか。
松本:
大学院に進学して実証分析に本格的に取り組みたいという思いは学部生の頃から持っていました。ただ、大学院一本で進むよりも、いったん就職して社会に出て、働きながら大学院に通う方が、視野も選択肢も広がるのではないかと考えました。万が一、大学院でうまくいかなかったときにも、選択肢が1つしかない状態より複数の道を持っていた方が、精神的にも楽に、長く、前向きに挑戦を続けられると思ったからです。
加えて、就職して政策の現場に身を置くことで、「自分が研究者として向き合うべき社会問題」をみつけたいという気持ちがありました。机上の関心だけでテーマを決めるのではなく、現場で実際に起きていることに触れながら、問いを育てたいと思ったのです。
さらに、「できることなら、経済的にも自立した形で大学院に進みたい」とも考えていました。働いて生活を安定させたうえで学び直す。そうした順序の方が、自分の納得感を持って研究に向き合えると考え、まずは就職する道を選びました。
尾崎:
市役所ではどのようなお仕事を担当されたのですか。
松本:
市役所で最初に正規の職員として配属されたのは生活保護の担当部署でした。生活保護に関しては就職前から就労との関係に関心を持っており、採用面接でも福祉に関わる仕事への関心について話していたため、希望に沿った配属だったように思います。ケースワーカーとして日々相談を受ける中で、生活保護が「最後のセーフティネット」として人々の生活を支えており、その制度が実際に機能するためには、窓口での支援や判断、関係機関との連携など、現場の運用が大きな役割を持つことを実感しました。
また、生活保護を受給されている状態から就労につなげていくためには、本人の状況を丁寧に把握し、必要な支援を組み立てる作業が欠かせませんでした。体調、家族の事情、職歴、生活の安定度などが絡み合い、単に「働けばよい」とは言えないケースも多くあります。
こうした経験を通して、私は生活保護と就労の関係にいっそう関心を深めました。生活保護は、国が定める最低生活費を基準に、そこから世帯の収入を差し引いた差額が保護費として支給される制度です。この構造のもとでは、就労などで収入が増えるほど給付される保護費が減少することになり、両者が相殺されて手取りの増加が小さくなりえます。そのため、「働いて収入を増やすインセンティブが弱くなりうる」という問題が生じます。
ケースワーカーとして制度に向き合う中で、私はこの点を特に意識するようになりました。就労支援や制度設計を議論する際には、理念や印象だけでなく、制度の仕組みが行動に与える影響をデータで確かめる必要があると考え、制度変更が就労行動に与える影響をデータに基づいて確かめたいと思うようになりました。
また、生活保護に関する経済学研究は、他分野と比べると未開拓の論点が多い印象もありました。もちろん研究は存在しますが、制度の細部や運用の実態、対象者の生活条件をふまえた検証など、掘り下げる余地は大きい。現場経験を持つ自分だからこそ立てられる問いがあるのではないか。そう感じたことも、この分野で研究してみたいと思う動機になりました。
3. 働きながら大学院へ
尾崎:
こうしたお仕事を通じたご経験と、以前からお持ちだった大学院で実証研究をしてみたいという思いが重なって、働きながら大学院へ進学されたわけですね。
松本:
そうですね。市役所に就職してから3年後に、神戸大学大学院経済学研究科の修士課程に進学しました。神戸大学を選んだ理由は、経済学研究が盛んであることに加え、現在は実施されていませんが、当時は土曜日の授業を中心とする、一定の社会人経験を前提とした社会人向けのコースが設けられていたためです。授業が土曜日中心であったことから、仕事と両立しやすいと感じました。行政で担当する領域と研究テーマをつなげれば、現場で得られる知識や経験を研究に生かせると思い、これは自分にとっての強みになるだろうと考えていました。
とはいえ、働きながら学ぶ生活は、正直に言えば非常に忙しかったです。仕事を終えた後や週末の限られた時間で文献を読み、分析を進める。理想通りに進むことばかりではなく、修士課程には休学期間も含めて5年間在籍することになりました。
大学院は大変ではあったのですが、労働経済学がご専門で、『日本の労働市場』(注2)という書籍でも生活保護の章を担当された勇上和史先生にご指導いただけたおかげで学び続けることができました。大学院のゼミ生も多くご多忙だったと思うのですが、私の質問にもいつも非常に丁寧に答えてくださり、基礎からご指導いただきました。問いの立て方、先行研究の読み方、データの解釈といった研究の基本に加え、推定の組み立て方や統計ソフトのプログラム(コード)の書き方・直し方など、細部まで見ていただきました。修士論文では、生活保護費の減額が就労に与える影響をテーマとして執筆しましたが、勇上先生のご指導を通じて、「もっと深く研究したい」という思いが固まっていき、博士課程へも進学することになりました。先生には大学院在籍時だけでなく現在も継続して多くの助言と支援をいただいており、研究を進めるうえで大きな支えとなっています。
4. 研究者として歩むことを決断
尾崎:
博士課程でも、市役所のお仕事と研究の両立を続けられたのでしょうか。
松本:
いえ、博士課程に進む際には市役所の自己啓発休業を取得し、研究に専念する道を選びました。働きながら学ぶことの価値は大きい一方で、研究には「集中して掘り下げる時間」も不可欠です。ここで一度、研究に軸足を移し、自分がどこまで到達できるのか挑戦したいと思いました。この頃には、仕事を続けながら研究するというよりも、一定期間は研究に専念したいという思いが強くなっていました。
博士課程に進んでからは、生活保護受給者への就労支援事業の効果を実証的に研究しました。この研究は博士論文の一部となりましたが、ある自治体に提供していただいたミクロデータを用いて、公的な就労支援事業が生活保護受給者の就労を促進したか否かを検証したものです。当然、支援事業に参加する方々は、参加しない方々よりも元から就労に積極的であり、単純に比較しただけでは事業の効果が過大に評価されてしまいます。そこで、傾向スコア・マッチングを用いてこのバイアスを調整することで、より厳密に政策の効果を推定しました。この研究は査読付き国際学術誌への掲載につなげることができました(注3)。
そのほか、修士課程から取り組み続けてきた生活保護費が就労に与える影響に関する研究も発展させ、博士課程でも引き続き、生活保護政策と就労に関する実証研究に取り組みました。その結果、3年間で博士号を取得することができました。その後の仕事については大学への就職なども考えたものの、政策に強い関心を持っていたこともあり、政策シンクタンクで働くことも希望していました。結果として、学位取得のタイミングでRIETIに政策エコノミストとして採用していただくことができ、市役所を退職して本格的に研究者の道を歩むことに決めました。
今振り返ってみると、行政の現場で経験を積みながら研究の道へ移行できたこと、そして挑戦の過程で複数の選択肢を持てていたことが、精神的な安定にもつながっていました。研究は、うまくいくことばかりではありません。だからこそ、挑戦を続けられる条件を自分なりに整えることが大切だと感じています。
5. 生活保護と障害者雇用の二本立てで研究に取り組む
尾崎:
続いて、現在RIETIで従事されている研究についても教えてください。大学院の頃から取り組んでいた生活保護に関する研究は、現在も続けておられるのですね。
松本:
はい。現在は主に生活保護と就労の研究と、中小企業の障害者雇用に関する研究に力を入れて取り組んでいます。生活保護研究では、一貫して就労との関係に関心を置き、制度変更や支援施策が行動に与える影響を実証的に検証してきました。修士から継続的に研究しているテーマの1つが、2013年8月の生活保護費の減額です。当時、私はケースワーカーとして現場にいたのですが、受給者の方々の減額に対する反応の大きさを強く記憶しています。ただ、労働経済学的に私が関心を持っていたのは、生活保護費の減額が就労可能な受給者の就労行動にどのような影響を与えたのか、という点でした。理論的には、給付額の減額が就労インセンティブを高める可能性があります。そこで、実際にそのような変化が生じたのかを、政府統計の二次利用申請を通じて得た個票データに基づいて、実証的に確かめる研究を行っています。
また、RIETI・東京大学・一橋大学が過去に大規模に実施してきた「JSTAR(くらしと健康の調査)」のデータを用い、生活保護受給が幸福度に与える影響に関する研究を行いました(注4)。生活の安定や就労だけでなく、ウェルビーイングの観点から政策を捉えることも、今後ますます重要になると感じています。
尾崎:
障害者雇用に関する研究は、どのようなきっかけで始められたのでしょうか。
松本:
きっかけは、博士号取得後に、勇上先生から障害者雇用に関する共同研究に誘っていただいたことでした。もともとこのテーマでは、勇上先生のゼミ出身の奥村陽太さんが貴重な企業データを用いて研究を進めており、その成果を発展させる形で論文としてまとめることになりました。ただ、そのためには企業データの結合作業など難しい処理が必要であったため、勇上先生、森本敦志さん、そして私が加わり、共同研究として進めることになりました。研究を進める中で、制度変更に対する企業の反応を分析するおもしろさを感じるとともに、政策評価としても意義の大きい研究だと実感しました。最終的には、この論文を国際査読誌に掲載することができました(注5)。
障害者雇用をめぐっては、制度面で大きな動きが続いています。法定雇用率の引き上げや納付金・調整金制度の対象範囲の拡大、除外率の縮小などにより、これまで以上に中小企業も制度の影響を受けやすくなっています。統計上は雇用者数や実雇用率が伸び、過去最高水準に達している一方で、法定雇用率の未達成企業がなお多いという現実もあります。
諸外国を見ても、差別禁止や雇用割当などの制度は重要ですが、制度をつくれば雇用が自然に増えるわけではありません。制度設計によっては、企業が慎重になりすぎたり、罰金を支払うことで雇用を回避する行動が増えたり、形式的な雇用に偏ったりするおそれもあります。制度は万能ではなく、その運用のあり方が企業行動に大きく影響すると考えています。
日本の特徴は、未達成企業からの納付金と、達成・超過雇用企業への調整金を組み合わせた仕組みにあります。企業間で負担を分かち合いながら雇用を促すものですが、実際にどの程度企業行動を変えてきたのかは、データに基づいて検証する必要があります。過去の制度変更を分析すると、中小企業でも一定の行動変化はみられる一方で、その効果は小幅であり、長期的な持続性には課題がある可能性が示唆されました。全体としては、追加雇用をより強く促したのは、報奨よりもペナルティの側であった可能性が高いと考えています。
今後は、こうした流れをふまえ、採用数の確保にとどまらず、定着や雇用の質の向上につなげていくことが重要だと考えています。中小企業では、多能工体制のもとで業務の切り出しが難しく、支援の負担が現場に集中しやすいため、採用が先行しても定着に結びつきにくい場合が少なくありません。たとえば、ジョブコーチや地域障害者職業センターなどの外部資源を活用しながら、小さく始めて改善を重ねていく発想が現実的だと思います。実習、業務の再設計、研修、定期面談といった取り組みのうち、どのような組み合わせが定着に効果的なのかをデータで検証し、政策と現場の双方に還元していくことが重要です。
さらに、現在は障害者雇用と企業の生産性の関係についても研究を進めています。雇用促進は理念だけでなく、企業にとっても持続可能である必要があります。企業側の負担感を丁寧に把握し、どのような支援や設計が実効性を高めるかを明らかにすることが、政策研究の役割だと感じています。
6. おわりに
尾崎:
最後に、研究の醍醐味と今後の展望についてお聞かせください。
松本:
社会人大学院時代は、「研究は休日にするもの」という生活を続けてきました。特にRIETIに就職してからは研究に使える時間が増え、研究者として非常に恵まれた環境にあると感じています。もっとも、現時点では、まだ私の研究が直接政策に影響を与えられているというわけではありません。実際には、まずは論文という形で成果を積み上げることが中心です。ただ、行政の現場で抱いた問題意識を、検証可能な問いとして整理し、データで確かめるという作業自体に、研究の手応えとおもしろさを感じています。
今後は、これまで培ってきた政策評価の考え方や実証分析の経験を生かしつつ、他分野にも研究の幅を広げ、たとえばIT 導入が雇用に及ぼす影響といったテーマにも取り組んでいきたいと考えています。制度や政策を直接動かすことは容易ではありませんが、まずは着実に研究成果を論文として積み重ね、政策議論にも耐えうる形でエビデンスを発表していくことを目指しています。
[2026年2月25日収録]
※本記事は『経済セミナー』誌(日本評論社)とのコラボレーション連載です。