第21回

政治問題化するセーフガード・メカニズムをめぐる現状と課題

川瀬 剛志
研究員

2004年末で設立10年を迎える世界貿易機関(WTO)に関するさまざまな評価が行われているが、我が国では特に、米国の鉄鋼セーフガード事件や日中間の農産物セーフガード事件のように政治問題化されるセーフガード制度が注目を集めている。経済産業省において実際にWTOの担当官として渦中を経験した川瀬剛志研究員にセーフガード協定の現状や課題についてお話を伺った。

RIETI編集部:
WTOのセーフガード・メカニズムをめぐる現状を教えて下さい。

川瀬:
セーフガードが使われないツールであることが今の問題だと思います。これまではダンピング防止関税(antidumping duty)のほうが多用されてきました。WTO設立にあたり、セーフガードをちゃんと使えるようにしよう、使えることによってかつて日米がやってきたような、関税と貿易に関する一般協定(GATT)の枠の外側での輸出自主規制(Voluntary export restriction)をなくしていこうということで、協定を作りました。しかしながら実際にセーフガードを使ってみようとすると現行協定には問題が多いことがこれまでのWTOの紛争の中で明らかになってきました。

今のところセーフガード協定は使う側にとって厳しく、これまでの8件のセーフガード協定に関する紛争のうち、全件でセーフガードを発動した側が敗訴しています。負けた案件のうち、かなりのものがアメリカの案件なのですが、アメリカの議会はその結果、協定の出来具合、解釈・運用に関して大きな不満を持っています。

RIETI編集部:
どうしてそのような「使いにくい協定」になってしまったのですか?

川瀬:
私は2001年の日中間でおこったネギ、しいたけ、畳表などの農産物をめぐる紛争の際、セーフガード協定を発動する側の仕事に従事していました。そのとき痛感したのは、協定の起草がとてもお粗末であるということ、それに加えて上級委員会による協定の解釈が非常に曖昧でガイドラインがきちんと示されていないので、どうすればセーフガード措置が適法に機能するか、はっきり見えてこなかったことです。逆に日本が鉄鋼セーフガードの被発動国となり、米国のセーフガードをWTOで争う立場に身を置いたときは、相手方の措置の協定違反を見つけやすいことを実感しました。

RIETI編集部:
セーフガード協定の改正は進んでいるのでしょうか?

川瀬:
ドーハ・ラウンドの議題にアンチダンピング、補助金相殺関税ははいっていますが、いわゆる輸入救済法(trade remedy)の中でセーフガードだけが議題から抜け落ちてしまいました。セーフガードの問題は徐々に顕在化してきていますが、先ほど述べたアメリカ議会の不満は2001年11月のドーハの閣僚会議よりも後にでてきたため、セーフガードがドーハ・ラウンドの議題にならなかったという状況があります。

RIETI編集部:
セーフガードの条文は曖昧だということですが、これはWTO関係者が明確なセーフガード協定にあまりコミットしたくないという雰囲気を表していると言えるでしょうか。

川瀬:
そういう側面はあると思います。ウルグアイ・ラウンドでは多国間交渉なのではっきりした条文に合意するのは難しいので、セーフガード協定に限らず、条文をわざと曖昧にしたということはあります。セーフガード協定に関して言えば、アメリカの1974年通商法201条に準拠してアメリカ自身が協定を作成するイニシアティブをとったので、確かに条文の文言はこのアメリカ法に似ているのですが、他方で微妙な違いがあります。アメリカはアメリカの当局とWTOのパネルの解釈の違いに不満を持っており、2002年末に商務省が議会に対して提出した報告書の中でも、セーフガードの判断に対する不満に多くのページをさいています。

RIETI編集部:
セーフガードは通商政策上の重要なツールだとお考えですか?

川瀬:
経済的な最適(optimal)を考えると、一度開放した市場に制限を加えることは当然すべきではないでしょう。自由貿易の原則から言えばセーフガードの濫用を防ぎ、使いにくくしておくことは正しいのだと思います。ただ、セーフガード協定が想定しているように本当に輸入競争に敗れた産業が市場から退出するとか、他の業態に転換をはかるとか、ある程度の時間を経て競争力を回復するということは起こりえないシナリオだとは思いません。ですから限られた場合にはきちんと使えるような、バランスを模索する制度であるべきだと思います。

RIETI編集部:
セーフガードはどの程度「使える」制度であるべきなのでしょうか?

川瀬:
どこまで発動を許してどこまで制限するのか、というのはWTO加盟国全体の判断、交渉によるバランスによると思いますので、政策的にどこが最適ということは言えません。ただしセーフガード発動の基準がWTO加盟国にわかるよう、基準を明確化するべきで、そのような改正を目指すべきでしょう。他方、基準が明確でないということは、輸入救済法(trade remedy)といわれるアンチダンピングと補助金相殺関税協定のいずれにもあてはまる指摘です。セーフガードに関しては、アメリカの鉄鋼のケースや日本のネギのように政治的な重大性のある事案であり、アンチダンピングや補助金相殺関税よりも政治化されやすい案件です。ですから、これらの改正に併せてセーフガード協定も改正すべきだと思います。

RIETI編集部:
日本政府はセーフガード協定の改正を促していくべきだとお考えですか? 他にすべきことはあるとお考えですか。

川瀬:
日本政府は問題を提起する前に、実際にセーフガードを使ってみればいいと思います。保護主義を奨励しているわけではありませんが、日中間のネギやタオルのセーフガード問題の際も最終的にセーフガード発動までには至りませんでした。日本政府が実際にセーフガードを発動することによって、どのような問題点が内在しているのかということが理解できると思いますし、実のある改正提案ができるようになると思います。

RIETI編集部:
日本政府にはWTOの法制度に詳しい担当官が少ないということもありますか?

川瀬:
もちろん中には大変な知見をお持ちの方もいらっしゃいますが、日本政府全体としては、WTO関連の法律専門家の欠如は深刻だと思います。省庁の人事サイクルはおよそ2年毎で、広い政策分野の中で異動が起こりますので、通商に限らず、欧米のような真の専門家が育ちにくい人事制度といえます。また先ほども申しましたが、日本政府自身が通商法や輸入救済法を発動するという習慣がありません。ですから省庁でも実務法曹でも、通商法の専門家に対する需要がこれまであまりなかったのだと思います。省庁内でもWTOに関する法律専門家を養成する仕組みをそろそろ真剣に考えなければならないと思います。

RIETI編集部:
研究者であられながら実際に経済産業省でWTOの担当官となられた感想はいかがですか。

川瀬:
一般論でいうとWTOやGATTのことを歴史的な経緯を含めて体系的に理解している人がいて政策に対してアドバイスするということは、通商当局にとって有益な体制だと思います。逆に一研究者としては、現実に通商政策がどうやって形成されるのか、WTOの紛争処理や通商交渉はどう進行し、管理されているのかというプロセスをすべて見ることができたのは大きなプラスになりました。そのような機会を与えていただいたことに感謝しています。

RIETI編集部:
『WTO体制下のセーフガード』が出版されました。

川瀬:
この本の中で、現行セーフガード協定のすべての問題に答えられたとは思っていません。読者の皆様のご批判を仰ぎたいと思います。しかしながらセーフガード協定が締結されてからこれまでの9年間の主要な論点をかなり網羅的に議論できましたので、当局の人達や研究者のレファレンスとして使っていただけるものと自負しています。

取材・文/RIETIウェブ編集部 熊谷晶子 2004年8月13日

2004年8月13日掲載