ノンテクニカルサマリー

デジタル製品パスポートの国際通商法上の課題―WTO整合性と国際標準化の観点から―

執筆者 内記 香子(東京都立大学)
研究プロジェクト 現代国際通商・投資システムの総合的研究(第VII期)
ダウンロード/関連リンク

このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

貿易投資プログラム(第六期:2024〜2028年度)
「現代国際通商・投資システムの総合的研究(第VII期)」プロジェクト

1. デジタル製品パスポートと経済安全保障

近年、グローバル・サプライチェーンをめぐる国際通商法上の課題は多様である。本稿では、欧州連合(EU)が循環型経済(サーキュラーエコノミー)政策に基づき導入を始めている「バッテリー・パスポート」(あるいは「デジタル製品パスポート」)が、国際通商にどのような課題をもたらすか、検討した。バッテリーなど製品に対するデジタル・パスポートとは、製品に識別子をつけて、製品の様々なライフサイクル情報(原材料情報から廃棄・リサイクルまで)をサプライチェーン上で収集し共有、QRコードなどを使って情報のアクセスを管理する仕組みをいう。

EUが主導していることから、サプライチェーン上のカーボンフットプリントや人権侵害・環境汚染などサステナビリティ情報の収集が主たる目的と思われることもあるが、サプライチェーン上で収集して伝達される情報はそれだけではない。経済安全保障の観点から重要なのは、バッテリーについては使用済みのバッテリーを回収して、重要鉱物のリサイクル材を使用することが求められることである。つまりサーキュラーエコノミーとは、資源循環の側面を有しており、経済安全保障の問題なのである。この重要性は日本でも認識されており、経団連は2026年3月の提言のなかで「[サーキュラーエコノミー]への移行は、単なる環境政策にとどまらず、経済安全保障に直結するものである」(日本経済団体連合会「資源安全保障に資するサーキュラーエコノミー推進に関する提言」2026年3月17日6頁)と述べているし、政府の「循環経済行動計画(2026年4月)」では、「重要鉱物、金属資源等のリサイクル、再生材の活用等を通じた循環経済への移行は、もはや環境保全にとどまらない、経済安全保障のための喫緊の課題である」(内閣府、循環経済に関する関係閣僚会議決定「循環経済行動計画」令和8年4月21日1頁)とされている。

2. 国際通商法上の課題―物品規制とデータガバナンスの2側面

バッテリーがファースト・ケースとなっているデジタル製品パスポートは、今後、化学品や繊維製品など拡大することが想定されており、国際通商法上どのような課題があるか検討することには一定の意義がある。バッテリー・パスポートの整備・構築は、バッテリーをEU市場に販売するためには事業者に対して前提条件として課されているため、国際通商法上の問題である。バッテリー・パスポートの導入は、すでにEU域外の産業にも影響を及ぼしているが、バッテリー・パスポートとは基本的には「情報の義務」である。バッテリーをEUへ輸出する企業には、(1)パスポートを構築するための技術とシステムを導入し、パスポートの運用に関する一定の技術的要件を充たすことが求められ、(2)バッテリーのサプライチェーン全体にわたって信頼性のある情報を収集し、適切な検証を経て当該情報を伝達する、という局面においてコストが生じる。また、情報を収集するだけではなく、一定の要求事項を充たすこと(カーボンフットプリントの閾値、デューディリジェンス義務の遵守、再生材のミニマム含有率など)を求められる点において「物品規制」として機能する。

さらに、国境を越えたデータ共有の仕組みの相互運用性(インターオペラビリティ)に関する懸念も指摘されている。この点、企業情報とデータの機密性は、EU域外のバッテリー産業にとって大きな懸念であり、企業にとっては、現地の供給業者や調達先に関する情報、バッテリーの寿命や劣化状態に関するデータは機微情報となる。したがってEU域外の産業にとっては、EU向けにデータと情報がどのように送信され、審査されるのかが懸念となっており、デジタル・パスポートにはこうした「データガバナンス」の側面の問題もある。

以上を背景に本稿では、バッテリー・パスポートのWTO協定上の法的問題(差別性)を検討した上で、国境を越えてデータ連携をする観点から、インターオペラビリティやデータへのトラストに関する国際標準化や国際協調の動きについても追った。最近は、バッテリー・パスポートに類似した情報システムの構築に向けて中国や韓国の法政策にも動きがあることから、日本への政策的インプリケーションとしては、日本の産業界においても、単にEU市場への輸出利益を越えて、バッテリー・パスポートの構築がひとつの社会的価値として認識されるようになることが重要である。バッテリー・パスポートが、資源循環およびデータ循環の重要な手段であることを考えると、日本国内で現在取り組みを始めている大手企業だけではなく、サプライチェーン上の数多くの中小企業の参加をサポートしながら、動脈と静脈のアクターを連携する動的なエコシステムの構築が求められる。