| 執筆者 | 伊藤 匡(学習院大学)/田中 清泰(ジェトロ・アジア経済研究所) |
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| 研究プロジェクト | 企業のグローバルな経済活動が直面する課題と直接投資の効果に関する研究 |
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。
貿易投資プログラム(第六期:2024〜2028年度)
「企業のグローバルな経済活動が直面する課題と直接投資の効果に関する研究」プロジェクト
1. 導入:制裁の「抜け穴」と石油の洗浄
2022年2月のロシアによるウクライナ侵攻を受け、欧州連合(EU)はロシアの戦費調達能力を削ぐため、2022年12月からロシア産原油の海上輸送を禁止し、2023年2月からは石油製品の海上輸入を禁止する大規模な禁輸措置を導入した。しかし、この前例のない規模の制裁にもかかわらず、ロシアの戦争継続能力に顕著な低下は見られていない。その背景として、第三国を経由してロシア産石油が「洗浄(Laundering)」され、法的な形を変えてEU市場に流入している可能性が指摘されている。本研究では、この「石油の洗浄」仮説を計量経済学的な手法を用いて検証した。この仮説の根幹は、EUの制裁ルールにおいて、ロシア産原油の直接輸入は禁止されているものの、第三国で精製された石油製品については、原料がロシア産であっても輸入が明示的に禁止されていないという「抜け穴」にある。
2. 分析手法とデータの裏付け
本研究では、世界100カ国以上の貿易データを網羅するUN Comtradeデータベースを用い、2018年から2024年までの国際的な貿易パターンの構造的変化を分析した 。具体的には、重力モデルとイベント・スタディ分析を組み合わせ、EUの禁輸措置が「Laundromat(洗濯屋)諸国」と呼ばれる仲介国(中国、インド、トルコ、シンガポール、アラブ首長国連邦)の貿易行動にどのような影響を与えたかを推定した。ロシア産原油のLaundromat諸国への輸出急増と、それら諸国からEUへの石油製品輸出の増加が同時に発生しているどうかが分析の焦点である。
3. 明らかになった「洗浄」の実態
図表1が示すように、ロシア産原油の貿易には劇的な変化が見られた。様々な経済的影響を制御した重力モデルの推定結果から、2021年を基準とすると、Laundromat諸国によるロシア産原油の輸入額は、2022年に271%、2023年には5,360%、そして2024年には10,894%という驚異的な伸びを記録している。この急増は、EUが直接輸入を止めたことでロシア産原油(ウラル原油)の価格が下落し、高度な精製設備を持つ中国やインドにとって、安価な原料を仕入れて精製品を輸出するという強い経済的インセンティブが働いた結果である。
同じタイミングでLaundromat諸国からEU市場に流入する石油製品も急増した。特に禁輸措置が完全実施された2023年には前年比で105%、2024年には59%の増加が確認された。国別の詳細を見ると、中国からの流入はエネルギー危機に直面した2022年から増加し始め、インドからの流入はEUの禁輸措置のタイミングと完璧に一致して、2023年から急増していることが判明した。対照的に、米国、日本、カナダ、オーストラリアといった他の制裁国では、このような第三国経由の輸入増は見られなかった。
4. 政策的含意:垂直統合されたサプライチェーンへの視点
本研究の結果は、上流(原油)のみを対象とした制限が、垂直統合されたサプライチェーンの下流(精製品)を通じて容易に無効化されることを示唆している。また、パイプライン経由の輸入継続を認められているチェコやハンガリーなどの「制裁免除国」では、Laundromat諸国からの輸入増が見られなかったというプラセボ・テストの結果からも、この貿易パターンの変化がEUの禁輸措置によって直接引き起こされたことが裏付けられた。政策的含意として、制裁の効果を維持するためには、単なる直接輸入の禁止にとどまらず、第三国での精製プロセスを含むサプライチェーン全体のトレーサビリティ(追跡可能性)の強化や、製品の原産地規則の厳格化といった政策的調整が必要不可欠であると言えよう。