ノンテクニカルサマリー

日本の期待インフレーション:予測修正と予測トレンド

執筆者 翟 唯揚(富山大学)/吉田 裕司(滋賀大学)
研究プロジェクト 為替レートと日本経済
ダウンロード/関連リンク

このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

マクロ経済と少子高齢化プログラム(第六期:2024〜2028年度)
「為替レートと日本経済」プロジェクト

世界中に影響を与えた1973年のオイルショックの時には20%を超えるインフレを日本でも経験している。しかし、バブル経済崩壊後には2%を超えるインフレはほとんどなかった。この期間はおよそ30年間となる、低インフレ・ゼロインフレ時代である。またこの時代は、量的緩和政策やゼロ金利政策等の非伝統的金融政策を日本が採用していた時期とも重なる。特に2013年からは黒田日銀総裁によるインフレターゲットにより、2%のインフレ目標が掲げられた。しかし、10年間の任期中に一度たりとも2%のインフレを実現することはかなわなかった。

金融政策において「期待(予測)」が重要であることは、経済学研究でも政策現場でも古くから認識されている。ノーベル経済学賞を2004年に受賞したキッドランド、プレスコット両氏の1977年の研究や、バロー、ゴードン両氏の1983年の研究では、政策当局の政策決定において民間の合理的期待が重要な位置づけにある。現代の金融政策においても民間のインフレ期待を考慮して、事前に将来の金融政策を明示する「フォワードガイダンス」が行われている。

経済学研究において、情報が民間部門全員に共有されるような「完全情報」であり、合理的期待の下では「予測誤差」は長期的に見ると平均ゼロになると考える。ここで、「予測誤差」とは、実現値マイナス予測値であり、数学的な表現を用いると「期待[予測値]=実現値」ということを示している。これは、回帰分析のような統計分析を行うと、「予測誤差」に対して説明力を持つ経済変数は存在しないことになる。

コイビオン、ゴロニチェンコ両氏は、完全情報ではなく、一部の人にしか情報が伝わらなかったり、個々が受け取る情報が正確でない場合の「硬直的情報」の下では、「予測修正」が説明力を持つことを2015年の研究で示した。ここでの予測修正とは例えば、2026年5月のインフレ率に対して、2025年12月の予測と3カ月前(2025年9月)に立てた予測との「差」を示す。コイビオン達は米国のインフレ予測データを用いたが、日本のインフレ予測データにおける予測誤差(青色実線)と予測修正(オレンジ点線)を図1に示している。本研究では、新規の研究要素として「予測トレンド」(緑色破線)の重要性を提唱している。

図1. 予測誤差(実線)、予測修正(点線)、予測トレンド(破線)、1993Q4~2025Q1
図1. 予測誤差(実線)、予測修正(点線)、予測トレンド(破線)、1993Q4~2025Q1
(図注)予測誤差は「一年先インフレ実現値」-「一年先インフレ予測」。予測修正は「一年先インフレ予測」-「一年前の二年先インフレ予測」。予測トレンドは「一年前の二年先インフレ予測」-「一年前の一年先インフレ予測」。

コイビオン達が提唱した「硬直的情報の下では予測修正が予測誤差に対して説明力を持つ」を日本のデータで検証した結果が図2である。図の解釈の仕方は、二つの破線の両方がプラスの領域にあれば、予測修正が説明力を持っていることを示し、その時には硬直的情報下で合理的期待が行われていることを示す。

リーマンショック時の特殊な時期を除くと、90年代、00年代、10年代、「予測修正」は説明力を持たない。これは、日本では人々は完全情報の下でインフレ予測を合理的に行っていたことを示唆している。「来年もどうせ低インフレであろう」という予測が、実際に翌年には実現されていた時期であるので納得できる結果である。一方、コロナ回復からのインフレ期である2022年からは、「予測修正」が予測誤差に対して説明力を持つようになっている。現在は、我々はノイズの多い「硬直的な情報」を受け取っていることにもなる。

図2. 予測修正が予測誤差に与える影響、時変的パラメーター推定
図2. 予測修正が予測誤差に与える影響、時変的パラメーター推定
(図注)(緑)実線が回帰分析による時間と共に変化する推定値を示し、二つの破線が統計的に信頼できる区間を示している。両方の破線が同時にプラス領域にあれば、予測修正が説明力を持つことを示している。

政策インプリケーションとしては、次の二つが挙げられる。(1) 2019年までのインフレ期待と2020年以降のインフレ期待の期待形成にシフトが確認されているので、2000年代・2010年代に日銀内で培ったインフレ期待形成とは切り替えたマクロ経済評価が必要となる。(2) 直近では、予測修正と予測トレンドが有意であり、かつインフレ上昇に対して過小的な反応であることが得られた。そのため、日銀のフォワードガイダンスでは本分析で得られた期待形成までを考慮するのであれば、期待インフレをより極端にガイダンスする必要がある。

参考文献
  • Barro, Robert and David Gordon, 1983, Rules, discretion and reputation in a model of monetary policy, Journal of Monetary Economics, 12, 101-121.
  • Kydland, Finn and Edward Prescott, 1977, Rules rather than discretion: The inconsistency of optimal plans, Journal of Political Economy, 85(3), 473-492.