ノンテクニカルサマリー

Productivity J-curveは韓国経済のスローダウンを説明できるか

執筆者 乾 友彦(ファカルティフェロー)/金 榮愨(専修大学)
研究プロジェクト 包括的資本蓄積を通した生産性向上
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

韓国経済の「生産性パズル」とProductivity J-Curve
― 無形資産をめぐる隠れた力学 ―

韓国は近年、GDP比で世界最高水準の研究開発(R&D)投資を行い、デジタル分野における積極的な導入と投資でも注目を集めてきた。電子政府の整備、高い教育水準、先端インフラなど、技術的基盤は国際的に見てもトップクラスである。しかしながら、2000年代以降、成長率の鈍化とともに全要素生産性(TFP)の停滞が顕著に現れている。なぜ、これほどの投資が行われているにもかかわらず、生産性は伸び悩むのか。このような「韓国経済の生産性パズル」を指摘する声が研究者や政策関係者から出ている。

本研究は、この「パズル」を読み解くために、Brynjolfsson, Rock, and Syverson (2021) が提唱した Productivity J-Curve 仮説を韓国経済に適用した。彼らの分析枠は直感的に以下のように説明できる。新技術の導入と投資は単独では効果を発揮せず、人的資本・組織改革・ビジネスプロセスの革新といった補完的な無形の投資を必要とする。ただし、これらの補完的な投資はほとんどの場合、直接観察されない。そのため、導入の初期には観察されない投資コストだけが先行し、生産性が一時的に低下するように計測され、従来の方法による計測では「新技術導入の成果が出ていない」ように見える。しかし、直接観察されない無形投資が十分に蓄積すると、生産性が上昇し、結果的にはJ字型の軌跡を描く(Productivity J-Curve)。この視点は、「新技術導入は経済的効果がない」のではなく、「計測困難であることと投資の成果が現れるまでのタイムラグ」が存在することを示唆している。

本研究は、R&D、ソフトウェア、組織資本などへの投資とともに投資・蓄積される、観測されない無形の資産を、韓国の企業データの分析をもとに推定し、(本来は観測できない)その無形の資産が韓国経済の生産性成長にどれほどの影響を持つかを明らかにする。

そのために、企業レベルのデータ(NICE 上場企業データ)を用いて、R&D、ソフトウェア、組織資本などと企業価値の関係を推計した。そこから推定される無形資産の価値と、マクロレベルの統計(KIPデータベース、国民経済計算,投入産出表)を用いて、修正されたTFP成長率を構築した。

主な結果として、企業レベルでは、R&Dやソフトウェア投資に付随して「観測されない無形資産」が一貫して存在し、その規模は近年拡大していることが確認された。また、マクロレベルでは、2010年代の韓国TFP成長率が、従来の方法では平均して 年率約1%程度過小評価されている可能性が示される(図1、2)。この乖離は典型的な Productivity J-Curve 効果を反映しており、無形投資が蓄積することで近年は差が縮小しつつある。

図1. 韓国における従来のTFP成長率と修正TFP成長率の比較
図1. 韓国における従来のTFP成長率と修正TFP成長率の比較
出典:KIP2022、韓国国民経済計算、NICE企業データによる著者推計
注:従来のTFP上昇率はKIP 2022の生産性上昇率、修正TFP上昇率は無形資産を考慮して修正された生産性上昇率。
図2. 韓国における従来のTFP成長率と修正TFP成長率の差
図2. 韓国における従来のTFP成長率と修正TFP成長率の差
出典:KIP2022、韓国国民経済計算、NICE企業データによる著者推計
注:「従来の生産性成長率-修正された生産性成長率」の値の推移。3年移動平均。

分析結果は、政策的な統計の整備の必要性を示唆する。現在の会計基準や国民経済計算の体系でもR&Dやソフトウェアなどの一部の無形資産は反映されているが、直接の観測が難しい人的資本や組織の改編などに伴う組織資本、デジタル資産といった補完的無形投資をも含めた無形資産統計の構築が必要であろう。また、R&D支援に加え、無形資産の活用を可能にする企業の組織能力や労働力育成への支援が、長期的な生産性向上のためにも重要となってくる。

韓国経済の停滞は、「技術導入の失敗」より、無形資産投資の計測困難性とその成果の遅れに起因している可能性がある。本研究は、Productivity J-Curveを実証的に検証している。今後の経済成長戦略を考えるうえで、「見えない資産」をどう捉え、どう活かすかが決定的に重要になるだろう。