ノンテクニカルサマリー

急成長によるZipf's lawの新たな説明

執筆者 荒田 禎之(研究員)/吉川 洋(東京大学 / 財務総合政策研究所)/岡本 慎吾(税務大学校)
研究プロジェクト 経済の非対称性と日本経済の課題
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

産業経済プログラム(第六期:2024〜2028年度)
「経済の非対称性と日本経済の課題」プロジェクト

企業の売上や個人の所得といった、一見全く異なる経済データに、共通してZipfの法則と呼ばれる分布パターンが見られる。これは、上位のごく少数が、経済全体の売上・所得の大部分を占めるという、いわゆる「べき乗分布」に関する法則である。この異なる現象で生じる不思議な共通性について、経済学では長年にわたり多くの理論が提案されてきた。

しかし近年、これら既存モデルの多くには大きな問題があることが指摘され始めている。それは、巨大企業や超高所得者になるまでに非常に長い年月がかかると想定している点である。逆に言えば、「お金持ちになるにはまず長生きが必要」という、現実とは乖離した結論になってしまうのである。例えば、イーロン・マスクは世界一の富豪であるが、決して何世紀も生きて財を築いたわけではない。実際のデータを詳しく見ると、Zipfの法則は高齢の企業や個人によって形作られているわけではなく、むしろ比較的若い段階で既に成立している。

本研究は、こうした既存モデルの矛盾を解決する新たな説明を提示するものである。特に、企業売上や個人所得のどのような成長パターンがZipfの法則を生むのか、この点を理論・実証の両面から明らかにする。

本研究では、Zipfの法則がどのような成長パターンによって形成されるのかに特に注目する。例えば、ある企業や個人が10年間で大きな成長を遂げ、巨大企業や超高所得者になったとする。それでは、この企業や個人はその10年間、どのような成長経路をたどったのだろうか?どのような成長パターンが最も起きやすいのだろうか?

ランダムウォークの前提で確率過程の理論を適用すると、成長パターンは大きく2つ、「コツコツ型」と「ジャンプ型」に分かれることが知られている。そして、そのどちらが生じやすいかは「ある1年に非常に大きな成長が起きる」というイベントが起こりやすいか否か(つまり、成長率の分布のテールが厚いか薄いか)で決まることが分かっている。ある年に大きな成長が起きるということが極めて稀な(成長率の分布のテールが薄い)場合、大きな成長を遂げるためには、企業や個人は毎年少しずつ成長を長期間にわたって積み重ねるしかない。この場合、巨大企業や超高所得者になるためには、必然的に長い時間が必要になる。従来のモデルの想定はまさにこうした「コツコツ型」であった。一方で、ある年に大きな成長が発生し得る(成長率のテールが厚い)場合、ある年の急激な成長、つまりは「ジャンプ」が発生する。この場合、巨大企業や超高所得者になるために必ずしも長い期間を必要とせず、「ジャンプ」によって短期間のうちに巨大企業や超高所得者になり得る。

つまり、巨大企業や超高所得者になるパターンとしては、この「コツコツ型」と「ジャンプ型」という2つがあり得るが、実際の企業や個人のデータはどちらを支持しているのだろうか?本研究では、日本の大規模データを用いて、この問いに答える。

私たちは、日本における企業と個人の大規模データを用いて、このどちらのケースが現実に近いかを検証した。企業の売上については東京商工リサーチの企業レベルのデータを、個人の所得については税務大学校による確定申告データを使用している。分析の結果、企業売上・個人所得のいずれも、成長率の分布はテールが厚い、つまり「ある年に非常に大きな成長が起こる」ことがあるという特徴が確認された。これは、最も起こりやすい成長パターンは「コツコツ型」ではなく、「ジャンプ型」であるということを意味している。つまり、従来のモデルが想定してきた「長生きしてようやく成功する」という姿ではなく、「短期間の爆発的な伸び」によって短期間で巨大企業や超高所得者になるというパターンが一般的なのである。私たちの分析は、Zipfの法則という普遍的な法則の背後にあるメカニズムが、このような「ジャンプ」であることを実証的に示した。

本研究の結果は、経済政策に対して重要な示唆を与える。日本牽引する次世代の巨大企業の育成は、経済産業政策の重要な要素だが、私たちの研究は、そのような巨大企業が長年の小さな成功の積み重ねではなく、短期間の急激な成長、つまり「ジャンプ」によって生じることが一般的だということを示している。言い換えれば、「着実だが爆発力のない成長」だけを支援していても、日本経済を牽引するような企業はなかなか現れない。どの企業がジャンプするかを事前に特定することは現実的には困難だが、稀ではあっても「一発当てる」可能性のある企業を許容し、後押しする環境づくりが求められる。もちろん、そうした企業は大きなリスクを抱えるが、データは「ジャンプなしには巨大企業は生まれない」ことを示している。日本経済の活力を高めるためには、こうした不確実だが爆発的な成長の芽を摘まない政策が必要である。