執筆者 | 浦田 秀次郎(特別上席研究員(特任))/白 映旻(東京都立大学) |
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研究プロジェクト | 世界経済の構造変化と日本経済:企業と政府の対応 |
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。
貿易投資プログラム(第六期:2024〜2028年度)
「世界経済の構造変化と日本経済:企業と政府の対応」プロジェクト
近年、グローバル化の進展に伴い、生産工程が複数の国にまたがって配置される「グローバル・バリューチェーン(GVC)」が拡大している。GVCへの参加は企業の生産性を高めるという利点がある一方で、所得格差を拡大させることから、反グローバリゼーションの動きを助長する要因となっているという見方もあり、注目されている。
本研究では、日本の製造業を対象に、企業のGVC参加が労働者の賃金水準や賃金格差にどのような影響を及ぼしているのかを実証的に検証した。「経済産業省企業活動基本調査」と「賃金構造基本統計調査」を企業–労働者レベルでリンクさせ、従来の産業レベルや企業平均では捉えきれなかった労働者の属性に着目し、より詳細な分析を行っている。さらに、本研究の特徴の一つは、企業のGVC参加を「直接参加」と「間接参加」に区別して分析している点にある。従来の研究では、輸出入を行う企業(直接参加)に焦点が当てられてきたが、GVC企業との取引を通じて国際分業に関与する間接参加企業については、十分に検討されてこなかった。下図は、2019年時点の企業のGVC参加状況ごとに、生産性(上段)および賃金(下段)の分布を比較したものであり、こうした区分が有効であることを視覚的に示している。図からは、直接参加企業が最も高い生産性と賃金水準を示し、次いで間接参加企業、非参加企業の順となっている。すなわち、企業のGVCへの関与の深さが、生産性や労働者の賃金との間に正の相関を持つことが読み取れる。この傾向は、本研究の主要な実証結果を端的に示すものである。
分析の結果、GVCに参加する企業(直接・間接ともに)は、非参加企業と比べて全体的に高い賃金を支払っていることが明らかになった。特に、直接GVC企業は間接GVC企業よりも大きな賃金プレミアムを提供しており、GVCへの直接的な関与がより高い報酬につながっている。さらに、性別(男性・女性)、職種(生産職・非生産職)、業務内容(ルーティン・非ルーティン)といった属性において、GVC企業では非GVC企業と比べて賃金格差が小さい傾向が見られた。GVC参加が、こうした側面での格差是正に寄与している可能性が示唆される。
一方で、雇用形態(正規・非正規)や業務の性質(頭脳労働に該当するコグニティブ業務と、身体的作業中心のマニュアル業務)においては、GVC参加がむしろ賃金格差を広げる傾向を持つことも明らかになった。GVC企業では、正規雇用者やコグニティブ業務従事者がより大きな賃金上昇を享受しており、非正規やマニュアル業務従事者との格差が拡大している。この傾向は、国際貿易理論におけるストルパー=サミュエルソン定理とも整合的であり、先進国である日本においては、GVC参加によって資本・技能集約的な業務の需要が相対的に高まり、労働集約的な業務が海外に移転されることで、国内の低技能労働者が不利な影響を受けていると考えられる。
これらの結果は、長期にわたる賃金停滞を背景に、GVC企業と非GVC企業の間に大きな賃金格差は存在しないのではないかと予想されていた日本の労働市場に対し、重要な示唆を与えている。日本では、高度技能を要する業務は国内にとどまる一方で、低技能の工程は海外に移される傾向があり、この構造がGVC企業の賃金体系にも反映されている。2024年以降、大手企業を中心に賃上げの動きが進む中、GVC企業がその先頭に立つことが期待されるが、同時に、コグニティブ業務とマニュアル業務、正規と非正規といった労働者間の格差がさらに広がる懸念もある。特に、国内市場の縮小が進む中で、今後はGVCへの依存度を高める企業が増えると見込まれ、格差拡大への備えが一層重要になる。したがって、GVC参加による恩恵を持続的かつ広く社会に行き渡らせるには、非正規労働者やマニュアル業務従事者を対象としたリスキリング・アップスキリングといった人材育成政策を通じて、変化する労働需要に対応できる基盤を整えることが不可欠である。
