ノンテクニカルサマリー

空間的移動の経済学:スマートフォンデータを用いた理論と実証

執筆者 宮内 悠平(ボストン大学)/中島 賢太郎(ファカルティフェロー)/Stephen J. REDDING(プリンストン大学)
研究プロジェクト 都市における集積の経済と都市政策
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

地域経済プログラム(第六期:2024〜2028年度)
「都市における集積の経済と都市政策」プロジェクト

我々の日々の移動にはどのような特徴があり、それは経済活動にどのような影響を与えるのだろうか。スマートフォンデータは、このような我々の日々の移動について、高い空間的・時間的解像度のもとで計測を行うことで、その特徴についての理解を劇的に進めている。

本研究では、移動パターンの中でも特にトリップチェーン(論文中ではtravel itineraryと呼ぶ)、つまり、自宅を出発して、複数の中間地点を訪れてから、自宅に戻るという移動パターンに注目する。トリップチェーンは、人々が、各目的地に個別に往復する場合よりも、総移動コストを抑えながら複数の目的地を訪問することを可能にするものである。本研究では、このトリップチェーンと呼ばれる人々の移動パターンが都市の構造にどのような影響を与えるのかについて検証する。

本研究では、株式会社ゼンリンデータコムが提供する「混雑統計®」を用いて分析を行った。「混雑統計®」データは、NTTドコモが提供するアプリケーションの利用者より、許諾を得た上で送信される携帯電話の位置情報を、NTTドコモが総体的かつ統計的に加工を行ったデータ。位置情報は最短5分毎に測位されるGPSデータ(緯度経度情報)であり、個人を特定する情報は含まれない。

図1は、人々の移動パターンを示した図である。灰色で示されているのは、1日あたりの、15分以上滞在した場所の数である。平日は平均2.65箇所、休日は平均2.27箇所を訪れていることが示されている。一方で、黒で示されているのは、一日あたりのトリップチェーンの数である。平日・休日ともにトリップチェーンの数は1回強となっている。これは人々が、一度自宅があると推定されるエリアを出たあと、複数の滞在先と推定されるエリアを経てから、自宅があると推定されるエリアに戻っていることを示している。

図1 一日あたりのトリップチェーン回数
図1 一日あたりのトリップチェーン回数
「混雑統計®」©ZENRIN DataCom CO., LTD.

また、トリップチェーンには、通勤を伴うものも存在する。我々は日常的に、仕事の帰りに、職場近くのレストランに立ち寄ったり、買い物をしたりしてから帰宅することを行っているだろう。我々のデータからはそのような通勤を伴うトリップチェーンも、実際に非常に多く観察されることが示されている。

本研究では、このトリップチェーンに注目し、このような移動行動を取り入れた数量的都市経済モデルを構築した。数量的都市経済モデルを利用することで、様々な政策・施策が都市の構造(企業立地・人々の居住地・地価等の分布)にどのような影響を与えるのかについての反実仮想シミュレーションを行うことができる。本研究では、リモートワークと交通インフラ整備についての反実仮想シミュレーションを行った。

図2は、コロナ禍をきっかけに定着したリモートワークの影響について検証した結果である。リモートワークが普及することで、都心のオフィスに滞在する機会は減少する。トリップチェーンのない世界では、話はこれで終わりであるが、トリップチェーンがある世界では、これはさらに都心における通勤途中の滞在を減少させることになる。パネル(A)はコロナ禍前の2019年と、コロナ禍後の2023年との間の、東京23区内各大字における人々の、非通勤目的と推定される滞在件数の変化である。都心においては、30%以上、非通勤目的と推定される滞在件数が減少していることが、この地図からわかる。パネル(B)は、我々のモデルが予測した2019年から2023年にかけての、非通勤目的と推定される滞在件数の変化である。データと同様、都心部の落ち込みが予測されている。一方で、パネル(C)は、我々のモデルからトリップチェーンを消した上で同じシミュレーションを行った結果である。ここでは都心の落ち込みは見られない。つまり、リモートワーク普及による都心来訪者の落ち込みは、トリップチェーンなくして説明できないのである。

このように我々の研究は、トリップチェーンという人々の移動行動を取り込んだ数量都市経済モデルによって様々な施策・政策効果を推定できるフレームワークを構築した。本研究で行った政策だけでなく、都市再開発や土地用途規制政策など、様々な都市に関する政策評価に利用できることが期待できる。

図2 リモートワークに伴う非通勤目的と推定される滞在件数の変化
図2 リモートワークに伴う非通勤目的と推定される滞在件数の変化
「混雑統計®」©ZENRIN DataCom CO., LTD.