ノンテクニカルサマリー

政治指導者の地政学リスク認識を計測する

執筆者 伊藤 亜聖(東京大学)/林 載桓(青山学院大学)/張 紅詠(上席研究員)
研究プロジェクト 米中対立のミクロデータ分析
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

貿易投資プログラム(第六期:2024〜2028年度)
「米中対立のミクロデータ分析」プロジェクト

政治指導者の認識や行動は、実体経済に影響を与えるのだろうか?もし何らかの影響を与えるとすれば、その程度やメカニズムはどのようなものだろうか?政治指導者個人の質が一国の経済成長率に影響を与えることは既存研究で示されてきた。近年では、政治指導者個人に関する多頻度のデータを用いた分析も増えており、政治指導者個人の発言や行動が実体経済に影響を与える事を示している。例えば米国ドナルド・トランプ大統領の言動に関する研究が蓄積されつつある。トランプ政権第一期にトランプ大統領はツイッター(現X)への投稿で中央銀行や個別企業を名指しで批判したが、こうした発言が金融市場に影響を与えていたことが報告されている。

本稿が注目するのは中国の事例である。2010年代に入り国家主席兼中国共産党総書記への権限が集中してきた。政治指導者に強い権限が集中している体制において、例えば、政治指導者の地政学的リスクに対する認識は、実体経済に影響を与えているのだろうか。本論文はこうした問題意識から、中華人民共和国の習近平国家主席に関する報道テキストデータを用いて地政学的リスク指数を構築し、その指数が中国企業の行動に与える影響を分析した。我々はテキストデータから地政学リスクを計測するCaldaraらの計測手法を踏襲し、中国語の習近平関連報道テキストから辞書方式で地政学リスク指数(XiGPR)を計測した。

計測の結果を図1に示した。XiGPRは2016年4月、2018年6月、2022年4月に急上昇を示している。これらの期間は特定の地政学的な出来事と対応している可能性がある。2016年には北朝鮮が多数の弾道ミサイル発射実験を実施した。この時期の注目すべきニュースとしては、ワシントンで開催された第4回核安全保障サミットにおける習近平国家主席の演説がある。さらに、2016年8月30日には、キルギス共和国の中華人民共和国大使館で自動車による自爆テロが発生し、中国の近隣国でのテロ活動への警戒が強まる時期となった。この手法では該当記事の内容に基づいて、指数の構成を分解することができ、図2にカテゴリーの構成を示した。2016年にはアフガニスタンではテロ事件が発生し、バングラデシュでは人質事件が起きるなど、これらを反映して「テロリズム」に関連する言及が増加している。また2018年のピークについては、直接的な因果関係を確立することは難しいものの、米中関係の緊張の高まりが一因である可能性がある。この時期には、習近平国家主席による中国人民解放軍の各種基地視察が特に注目され、米国との外交関係の緊張がXiGPRの上昇に影響を与えた可能性がある。

図1 計測された月次レベルXiGPRと関連指標
図1 計測された月次レベルXiGPRと関連指標
図2 四半期レベルXiGPR指数の構成(2013第一四半期から2024第四四半期)
図2 四半期レベルXiGPR指数の構成(2013第一四半期から2024第四四半期)

また2022年にはロシアのウクライナ侵攻の影響を受けてXiGPRの上昇が確認できる。図2によると、2022年のXiGPRの上昇は、軍備強化や平和の脅威に関連する要因によって引き起こされたことが示唆される。ロシアによるウクライナ侵略は同年2月に始まったが、XiGPRのピークは4月に記録されており、一定の時間差があることには注意が必要である。他の地政学リスクや不確実性の指標との関係を確かめると、XiGPRが特定の変数の直近の動向(月次で3期ラグまで)から強い影響を受けていることは確認されなかった。ただし、グレンジャー因果性検定の結果、グローバルな地政学リスクから影響を受けている可能性が示された。ある種当然のことであるが、政治指導者はグローバルな地政学リスクの高まりを認識し、それを反映した演説や対外発信をしていると考えられる。

残る疑問は実体経済への影響である。最後に、我々はXiGPRが実体経済に与える影響を確かめるために、四半期レベルの中国の上場企業データと結合し、投資決定関数を推計した。推計の結果、一四半期前のXiGPRの上昇は、企業の投資率の低下と相関していることが示された。具体的には、XiGPRの100%の上昇は、企業投資の14.1%の減少と連動していた。こうした関係はグローバルな地政学リスクや各種の他の要因をコントロールしたうえでも確認できた。さらに役員が中央政府での勤務経験を持っていたり、中国共産党員であるような政治的なつながりを持つ企業は、XiGPRによる影響を受けにくく、地政学的リスクの負の影響を緩和していることが示唆された。

以上のように本研究は、中国語というローカルな情報源を活用しながら、政治指導者の認識という着眼点から地政学リスクを検討し、政治的コネクションが地政学的リスク下で果たす調整効果を示すことで、地政学的リスクに関する実証研究の系譜を発展させるものである。