ノンテクニカルサマリー

博士課程卒業者の労働市場成果

執筆者 森川 正之(特別上席研究員(特任))
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

その他特別な研究成果(所属プロジェクトなし)

1. 趣旨

日本の研究力の低下が懸念されており、その一因として博士課程進学者の減少が指摘されている。そうした中、政府は、博士課程学生の処遇向上、研究に専念できる環境の確保、博士号取得者のキャリアパス整備等に取り組んでいる。このような動きを見ると、博士課程卒業者が労働市場で不遇な状況に置かれている印象を受けるが、実際のところどうなのかはデータに基づくエビデンスを確認する必要がある。

欧米では博士学位を持つ労働者の賃金に関する実証研究が多数存在し、博士の賃金が修士よりも高いこと―「博士賃金プレミアム」の存在―を示している。日本における大学院卒業者の労働市場成果を四年制大卒者と比較した研究は、筆者自身のものを含めて近年いくつか行われているが、データ制約のため修士と博士が区別されていないという限界があった。しかし、「就業構造基本調査」(総務省)は、2022年から調査項目のうち最終学歴の区分を細分化し、修士と博士を区分したデータが利用可能になった。そこで、このミクロデータを使用し、博士卒と修士卒を分けて大学院卒業者の労働市場成果を概観した。

2. 結果の要点

分析結果の要点は以下の通りである。第一に、博士卒は修士卒に比べて就労確率が高く、男性よりも女性で差が大きい。第二に、修士卒は学部卒に比べて25%以上高賃金だが、博士卒は修士卒よりもさらに40%以上高賃金である(図1参照)。第三に、細分化した職種をコントロールすると博士卒と修士卒の賃金差は10%程度に縮小する。博士卒の就労者のうち多くが働いている研究者、技術者、医師、大学教員という職種に絞って見ると、技術者と大学教員は博士卒の賃金の方が高いが、研究者と医師では博士卒と修士卒の賃金が逆転する。すなわち、博士卒が高賃金の産業・職種にself-selectしていることが示唆される。博士卒は修士卒以上に特定分野の深いスキルを獲得しているため、それを活かせる職業へのマッチングの重要性が極めて高いと解釈できる。第四に、博士卒は修士卒よりも就労率の男女差が小さいが、賃金の男女差は同程度ないしやや大きい。博士卒という高学歴者においても、現時点でかなり男性との賃金差が存在する。第五に、博士卒の生涯所得の割引現在価値は、修士卒よりも男性で17%、女性では36%高い。一定の仮定を置いた上で博士課程進学の投資収益率を概算すると男性、女性とも10%前後である(図2参照)。女性の場合、就労率の差が投資収益率に及ぼす寄与度が比較的大きい。

3. 含意

平均的に見る限り日本において博士課程進学は有効な人的資本投資であり、労働市場における処遇が低いために博士課程進学者が過小になっているとは言えない。ただし、大学卒や修士卒と比べると少ないものの、博士課程卒業者の中にも低賃金(年収300万円未満)の就労者が一定割合(男性10%、女性23%)存在する。また、博士課程に進学しても卒業できない人や、卒業までの年数が長くかかる人もいる。つまり博士課程進学という投資にリスクがあるのも事実である。奨学金制度や日本学術振興会の特別研究員制度などを通じて、能力があるにも関わらず資金制約によって進学できない学生を支援する政策は重要である。

図1. 大学院卒業者の賃金プレミアム
図1. 大学院卒業者の賃金プレミアム
(注)週労働時間、年齢、勤続年数をコントロールした推計結果に基づいて作図。
図2. 大学院進学の投資収益率とその要因分解
図2. 大学院進学の投資収益率とその要因分解
(注)四年生大学卒との比較での投資収益率。投資額は学費及び就労時期が遅れることによる逸失所得。割引率3%、年間の学費150万円を仮定。