ノンテクニカルサマリー

暗号資産取引における異常検知のための要素技術の検証

執筆者 池田 裕一(京都大学)/青山 秀明(ファカルティフェロー)/初田 哲男(理化学研究所)/日高 義将(京都大学)/白井 朋之(九州大学)/相馬 亘(立正大学)/家富 洋(立正大学)/Abhijit CHAKRABORTY(インド科学教育研究所 / 理化学研究所)/藤原 明広(千葉工業大学)/中山 靖司(SBI金融経済研究所)/新井 優太(麗澤大学)/Krongtum SANKAEWTONG(京都大学)
研究プロジェクト 暗号資産や実体経済における価格ダイナミクスとその複雑ネットワーク
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

産業フロンティアプログラム(第六期:2024〜2028年度)
「暗号資産や実体経済における価格ダイナミクスとその複雑ネットワーク」プロジェクト

背景

サイバー空間における経済活動である暗号資産取引において様々な犯罪行為が発生しており、暗号資産の信頼性を著しく毀損している。金融庁は取引の異常性を監視し、適切な対応に取り組んでいる。異常事象は、取引量の増加や価格の大幅な変動を伴うことが多く、価格操作やマネーロンダリングなどの犯罪行為が原因となっている。本研究では、暗号資産の大きい価格変動に寄与する取引を異常事象と定義する。暗号資産取引における犯罪行為を自動検知することは、社会的に大きい意義がある。そのためには、暗号資産取引の動的グラフにおける異常事象を検知するための数学的基礎を体系化することが必要である。

目的

本研究では、主要な暗号資産に対して、(課題1)価格に先行する取引の先行指標はあるか?(課題2)流通速度と価格の間に相関はあるか?(課題3)取引ネットワークでハーディング現象は見られるか?に答えるために、グラフ理論、位相幾何学、高次元統計解析に基づく各種の異常検知手法が有効であることを検証する。ここで、課題2の流通速度とは、暗号資産が一定期間に何回取引に使われるか、つまり暗号資産が経済においてどの程度循環(ループ)しているのかを表す指標である。フィッシャーの交換方程式から、流通速度は価格水準に比例する。通常の国際送金(例えば、移民の母国への送金)では、ループは存在しない。ループは、マネロン、市場操作などの異常事象に対応すると考えられる。また、課題3のハーディング現象とは、ネットワークを構成するほとんどのノードが、価格が大きく変動した際に同じように変化することを意味する。株式市場におけるハーディング現象が知られている。

手法

図1に、グラフ理論、位相幾何学、高次元統計解析に基づく各種の解析手法を図示する。(a)指標1:クラスタ係数、(b)指標7:1次ベッチ数、(c)指標4:エッジ発生時刻を考慮した取引ループ数、(d)指標5:ホッジ分解による取引ループ成分の割合、(e)指標8:平均リッチ曲率、(f)指標9:相関テンソルの最大特異値である。

結果

図2に、解析結果を示す。図1に示す各種の異常検知手法が課題に答えるために有効であることが明らかになった。(課題1)に関して、指標1、2、3、5、7、9と価格の時系列を比較した結果、これらの取引の指標が価格に先行することが分かった。図2(a)では、取引ネットワークのクラスタ係数は、価格に先行して増加した。図2(b)では、取引ネットワークの1次ベッチ数(穴の数)は、価格に先行して増加した。ただし、平常時における増加もある。(課題2)に関して、指標3、4、5、7は、ループが増加していることを示しており、価格高騰期には流通速度が増加することが分かった。図2(c)では、時刻を考慮した取引ループ数は、価格高騰期に有意な増加がみられた。図2(d)では、価格高騰に先行して、ループ成分の増加がみられた。同時に、ポテンシャル成分も増加して、ループ成分の割合は減少した。(課題3)に関して、指標6、7(ベッチ数)、8、9から、価格が大きく変動した際に、ネットワークを構成するほとんどのノードが同様に変化するハーディング現象が発生することが分かった。図2(e)では、価格高騰期において、平均リッチ曲率は増加した。価格高騰に影響が大きい送金者と取引を特定できる可能性がある。図2(f)では、価格高騰に先行して、相関テンソルの最大特特異値は減少し、価格と負の相関を示した。

政策的含意

暗号資産の異常取引は、しばしば犯罪行為を示唆するものであり、暗号資産の信頼性にとって大きな脅威となる。したがって、こうした異常取引を検出することの社会的意義は、非常に大きい。現在、暗号資産取引に関わる企業、特にマネーロンダリングなどの犯罪行為の検出に携わる企業は、異常取引を特定するために、手作業による個別対応に頼っている。金融機関や取引所市場運営者は、規制当局の要請に応える形で、様々な異常取引を定期的に金融庁などの規制当局に報告している。日本では報告される異常取引の件数が他国を上回っている。しかし、提出される報告書の質的なばらつきが大きく、これらの異常取引の報告を金融庁で有効に活用することを妨げている。したがって、異常検出プロセスの自動化によって報告書の質の均質化と高水準化が可能になれば、大きい社会的なインパクトをもたらすことができる。

本研究では、数理的な解析から得られる複数の取引指標によって、大きい価格変動を事前に検知できることを示した。しかも、これらの取引指標のうち複数の指標は、マネロン、市場操作などの異常事象に対応する可能性の高いものである。一方で、ある指標は異常を示していても、別の指標は異常を示さない場合があり、異常事象の確実な特定は容易ではない。そこで、複数の検証済みの数学的手法を用いて異常事象の個別指標を推定し、それらの指標を入力して、異常事象の総合指標を推定する異常検知AIシステムの開発が有益であると考える。さらに、この異常検知AIシステムでは、総合指標が異常を警告した場合に、異常事象の原因となった送金者と取引を特定できる機能が必要である。

本研究では、大きい価格変動を異常事象としたので、大きい価格変動の原因となった送金者と取引の特定を対象としている。一方、金融機関や取引所市場運営者は、金融庁などの規制当局に様々な異常取引を報告するために、犯罪行為につながる可能性の高い送金者や取引を特定している。この金融機関や取引所市場運営者が特定した送金者や取引と、我々の異常検知AIシステムで特定する大きい価格変動の原因となった送金者と取引との対応関係を系統的に調べることは、危機管理上の課題として大きい意義を持つと考える。このような機能をもつ異常検知AIシステムの実現によって、 金融機関や取引所市場運営者における異常検出プロセスの自動化による報告書の質の均質化と高水準化、および金融庁における報告書の有効な活用を可能とするように今後の研究を進めていく。

図1 解析手法
図1 解析手法
図2 解析結果
図2 解析結果