執筆者 | 藤澤 啓子(慶應義塾大学)/深井 太洋(学習院大学)/LE Quang Chien(慶應義塾大学)/中室 牧子(ファカルティフェロー) |
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研究プロジェクト | 日本におけるエビデンスに基づく政策形成の実装 |
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。
政策評価プログラム(第五期:2020〜2023年度)
「日本におけるエビデンスに基づく政策形成の実装」プロジェクト
あらゆる家庭の子どもが保育所や幼稚園等の就学前教育施設を利用することを前提とする、幼児教育・保育へのユニバーサルアクセスが求められる今日的な状況において、その質の担保と向上は大きな政策的イシューの一つである。それは、2023年12月に閣議決定された「こども未来戦略」においても、「幼児教育・保育について、量・質両面からの強化を図ること、(中略)量の拡大から質の向上へと政策の重点を移すこと」とされたことにもみられる。今後、国民的同意を共にした政策的・財政的注視を実現するためにも、幼児教育・保育の質の効果やその向上に関する具体的な方法についてのエビデンスを蓄積していくことが求められている。
上記の問題意識をもとに、本研究はStudy 1において、良質な幼児教育・保育の質が良好な短期的・中期的アウトカムをもたらすかという点を検証した。Study 2において、保育者の専門性向上プログラム(Professional Developmentプログラム:PDプログラム)の効果検証をおこなった。
Study 1
東京都A市では調査時点において待機児童が発生しておらず保育需要が満たされていたことを確認し、幼児教育に対するユニバーサルアクセスが可能であったと判断した。A市における保育所の幼児教育・保育の質に対する保護者のセレクションバイアスがほとんど作用しないことを確認できたことから、幼児教育・保育の質はアウトカム指標と因果関係的に関連していることが示唆できる。
学術的に信頼性や妥当性が確認され、国際的に広く利用されている保育の質評価尺度である『保育環境評価スケール第3版』 (Early Childhood Environment Rating Scale, 3rd edition, Harms et al., 2015;埋橋訳, 2016)を用いて評価した、5歳児クラスでの幼児教育・保育の質は、同時点での子どもの発育状況に対しては明確な効果は見られなかったものの、良質な幼児教育・保育は、親の子どもに対するポジティブな感情や良好なメンタルヘルスをもたらす効果のあることが示された。さらに、5歳児クラス時点での良質な幼児教育・保育は、小学2年生時点での高い学力をもたらしたことが示された(図1)。
Study 2
Study 2では、保育環境評価スケールで評価される項目について、スコアが3(スコアは最低1~最高7)を下回った項目のみに焦点を当て、なぜそのスコアになったのか、改善するとすればどのような方法が考えられるかを専門家がクラス担当保育者と施設長に対して説明するとともに、施設側と結果について議論することを中心とするプログラムを考案した。所要時間は約1時間である。Study 1とは別の年度に、東京都A市内の幼稚園と保育所を介入群(PDプログラムの対象)と対照群にランダムに割り付け、介入群にのみPDプログラムを実施した。分析の結果、PDプログラムの実施により保育環境評価スケールの全体スコアが有意に上昇し、保育者の子どもに対する態度に関連する指標群や物(教材や玩具など)に関連する指標群で改善が示され、本プログラムの効果が示された(図2の結果の概要を示した)。
本研究は、幼児教育・保育の質が就学後の子どもの学力に影響を与えるという、幼児教育・保育の質と子どもアウトカムとの因果的関係を日本の幼児教育の文脈で初めて示した研究といえる。また、良質な保育の質が子どものみならず親のメンタルヘルスを向上させていたという点は、就学前教育施設が有する子育て家庭をサポートする機能の効果が示されたともいえる。良質な幼児教育・保育が、特に困難な家庭背景をもつ子どもだけではなく、どのような家庭に育つ子どもにとっても良い影響をもたらすことを示す本研究の結果は、幼児教育・保育の質に対する政策的、財政的投資をすすめて行くうえで重要なエビデンスとなるだろう。
本研究で考案した質向上のための専門性向上プログラムは、その対象が客観的な観察評価によって現れた改善ポイントのみに絞られる体系的かつ明確に定められたものであり、改善の有無や程度が測定可能であるという点で、日本の幼児教育の現場で日々行われている質向上のための試みとは異なる強みがある。また、所要時間がわずか約1時間という非常に短い時間である点は、研修の時間を確保することが難しい保育現場においても受け入れやすいかもしれない。外部者である専門家による短時間の介入という本研究で提案した効率的なプログラムだけではなく、保育者間の対話や省察を時間をかけておこない、個々の現場に固有の事情や実態に即した子ども理解や実践の向上を目指す試みとが相補的に行われることによって、より質の高い幼児教育の提供が可能になると考えられる。