ノンテクニカルサマリー

雇用保護政策が起業・経済成長に及ぼす波及的効果の検証

執筆者 片桐 満(法政大学)
研究プロジェクト イノベーション、知識創造とマクロ経済
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

イノベーションプログラム(第五期:2020〜2023年度)
「イノベーション、知識創造とマクロ経済」プロジェクト

現在、多くの国において解雇規制など何らかの雇用保護政策が存在するが、その経済に与える影響は多岐にわたる。雇用保護政策の一義的な目的は、労働者の失業や所得に係るリスクを低減させることにある。しかし、過度な雇用保護は、企業間での柔軟な労働移動を阻害し、経済全体の雇用者数や賃金に悪影響を与えることが、様々な学術研究によって指摘されている。本稿では、そのような解雇規制をはじめとする雇用保護政策が及ぼす影響の中でも、特に、起業活動への影響を通じて経済成長を阻害する可能性について、マクロモデルを用いた検証を行った。

下図では、雇用保護と起業・雇用期間の関係を国ごとのデータで示している。左図は、OECDが作成した雇用保護指数(横軸)とGlobal entrepreneurship monitorにおける起業率(64歳以下の成人に占める起業家の比率、縦軸)の関係を示している。この図から、厳しい雇用保護政策を採る国では起業率が低いことが読み取れ、雇用保護が起業活動に有意に負の影響を与えていることがわかる。一方、右図では、同じくOECDの雇用保護指数と勤務継続期間が10年以上の労働者の比率の関係を示している。ここでは、有意に正の関係が観察され、雇用保護が長期雇用の実現に寄与していることが分かる。

図

雇用保護が、起業のインセンティブに与える影響を考える上で、労働者の人的資本形成が重要となる。まず、日本や欧州のように雇用保護が強い国では、労働者は「企業特殊的人的資本」(現在働いている企業でのみ通用する人的資本)を相対的に多く蓄積する。このことは、逆に、雇用保護が弱い米国のような国では、解雇や転職によって職場が変わる頻度が高くなるため、他社でも通用する「一般的人的資本」の役割が大きくなることとは対照的である。企業特殊的人的資本を蓄積することは、より企業文化や事業内容等に沿った効率的な人的資本の蓄積に繋がる一方、労働者からすれば、転職や起業によって失う人的資本が大きいことを意味する。モデル分析では、解雇や転職の確率の違いが、日米間における企業特殊的人的資本と一般的人的資本の役割の違いを概ね説明できることが示される。加えて、賃金と勤続年数の関係から示唆される企業特殊的人的資本の効果に基づくと、雇用保護によって人的資本形成が企業特殊的なものに偏ることが、雇用保護と起業の負の相関関係を概ね説明することが示される。

こうした雇用保護がもたらす起業の低迷が、どの程度、経済成長に負の影響を与えているのかを考えるうえで重要となるのが、企業年齢と成長率の関係である。日本に限らず多くの国において、若い企業の成長率は、それ以外の企業の成長率と比べて有意に高いことが知られている。本稿では、「経済産業省企業活動基本調査」のミクロデータを用いて企業年齢と成長率の関係を推計し、雇用保護を緩和することで得られる起業の増加が、どの程度、経済成長に寄与するのかの試算を行った。その結果、仮に日本が雇用保護を米国並みに緩和した場合、起業の促進を通じて、企業の参入率を3%ポイント程度高めるとともに、成長力の高い若い企業が増えることで、経済全体の成長率が0.4%ポイント程度上昇するという結果が得られた。一見すると経済成長への影響は大きくないようにも見えるが、成長率への影響は経済活動の水準に対して累積的に影響するため、短期的に大きな成果は得られないものの、長期的には経済活動に対して大きな影響を及ぼすと言える。

以上の結果をまとめると、(1)日本をはじめとして、解雇規制等の雇用保護が強い国では、労働者の人的資本形成が企業特殊的なものに偏ること、(2)そうした人的資本の偏りは、起業や転職によって失う人的資本を増加させ、起業のインセンティブを大きく押し下げること、(3)その結果、雇用保護は起業の低迷を通じて、無視しえない負の影響を経済成長に与えていること、が示される。もっとも、こうしたモデル分析から得られた雇用保護と経済成長の関係については、以下の点に留意する必要がある。一点目は、雇用保護の撤廃・緩和が及ぼすプラスの効果は長期に及ぶため、その果実が若年層や将来世代に偏る点である。特に、本稿のモデル分析では、現時点で40代以上の労働者にとって、雇用保護の撤廃は生涯所得に対してマイナスの効果を与えることが示唆される。これは、40代以上の労働者は、雇用保護が存在することを前提に相当の企業特殊的人的資本を既に蓄積しているほか、若年層に比べて、将来の経済成長がもたらす賃金上昇のメリットを享受できる期間が短いためである。二点目は、雇用保護の本来の目的である失業リスクの低減効果は、本稿の分析では考慮されていない点である。したがって、単に雇用保護だけを撤廃した場合、経済成長にプラスの効果が及んだとしても、失業リスクが高まることで必ずしも家計の厚生改善に繋がらない可能性に留意が必要である。

こうした点を踏まえると、日本のように雇用保護が強い国では、雇用保護の撤廃・緩和によって起業のインセンティブを高め、経済成長を促していくことの効果は大きいと考えられるが、その実施にあたっては、以下のような点に留意する必要がある。第一に、雇用保護が失業リスクの軽減に役立っていたことを考えると、それに代わるセーフティーネットの整備を同時に進めていく必要がある。新型コロナ感染拡大時における雇用調整助成金の活用拡大に代表されるように、伝統的に日本では、企業部門における雇用保護政策が失業リスクの軽減に大きな役割を果たしてきた。雇用保護を撤廃・緩和する場合、こうした失業リスクに対するセーフティーネットを公的部門が提供していくことが求められる。第二に、雇用保護を前提として人的資本を蓄積してきた現役世代の存在を勘案すれば、雇用保護の撤廃・緩和を一気に実現することは現実的ではないうえに、公平な政策であるとも言い難い。しがたって、雇用保護の撤廃・緩和は、例えば、既存の労働契約には適用せず、これから新卒や転職で労働市場に参入する労働者にのみ部分的に適用しながら、徐々に導入していくといったやり方が考えられる。雇用保護の撤廃・緩和は、その経済成長へのプラスの効果が長く将来世代に及ぶものの、短期的には、現役世代に対して相応の負の影響が発生するため、より長期的な視点で改革を進めるリーダーシップが特に求められる政策であると言える。