ノンテクニカルサマリー

社会条項の復活?:アジア太平洋地域の地域貿易協定(RTAs)の労働条項に関する批判的考察

執筆者 中川 淳司(ファカルティフェロー)
研究プロジェクト 持続可能性を基軸とする国際通商法システムの再構築
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

貿易投資プログラム(第五期:2020〜2023年度)
「持続可能性を基軸とする国際通商法システムの再構築」プロジェクト

貿易協定で「国際的に承認された中核的労働基準」の遵守を義務付ける「社会条項」をめぐっては、ガット・WTOでこれを多国間貿易協定上の制度として導入することを画策する先進国と、これに抵抗する途上国の間でしばしば議論された。しかし、1996年のWTOシンガポール閣僚宣言は、中核的労働基準の問題はILOに委ねると宣言し、WTOに社会条項を導入する先進国の試みは挫折した。閣僚宣言を受けてILOは1998年に「労働における基本的原則及び権利に関する宣言」(「ILO宣言」)を採択し、4つの中核的労働基準(結社の自由、強制労働の廃止、児童労働の撤廃、雇用・職業における差別の排除)の遵守を全ての加盟国に義務付けた。ILO加盟国は、これらの中核的労働基準に関わる8本のILO条約を批准していると否とを問わず、この義務に服するとされた。

2000年代に入ると、貿易協定でILO宣言に言及し、その尊重を締約国に求める例が出てきた。社会条項の復活である。これを主導したのは米国である。2010年代に入ると、EUもこの慣行を採用するようになった。日本を始めとするアジア太平洋諸国はこの慣行を採用してこなかったが、米国やEUと締結した貿易協定で社会条項の挿入に同意した。このDPは韓国、ベトナム、日本を取り上げて、これらの国が米国・EUとのFTAの社会条項に基づいて結社の自由や強制労働の廃止を受け入れて国内法を改正し、関連するILO条約を批准した経緯を分析した。そして、こうした国内法の改正とILO条約の批准があくまでも自発的な措置としてとられたことを明らかにした。つまり、これらの国はFTAの社会条項を公式には受け入れたものの、その対応はあくまでもILO条約の自発的な批准として位置づけられる。

貿易協定による社会条項の復活には、本来は自発的になされるべき中核的労働基準関連ILO条約の批准を締約国に強制するという問題点がある。アジア太平洋諸国の事例は、この問題点を認識して、貿易協定の社会条項を実質的に骨抜きにするという政策対応がありうることを示した。

社会条項をめぐる締約国の紛争の解決プロセスにILOが関与する事例が出てきており、これは貿易協定による社会条項の復活をILO自身も容認しているとも解される。日本はこのような態度とは一線を画し、貿易協定による社会条項の復活には慎重な姿勢を崩すべきではない。他方で、中国が社会条項を持つCPTPPへの加入を申請していることには注意を要する。中国が加入するには、共産党主導の労働者全国組織以外の労働組合を認めていない現行制度を改正し、独立の労働組合を認めることが必要である。しかし、労働者全国組織は中国の労働者管理の根幹をなす制度であり、中国がこの改革に応じることは考えにくい。この点からも、中国のCPTPP加入の実現は現実的にはあり得ないだろう。