ノンテクニカルサマリー

最低賃金が企業ダイナミクスに与える影響分析

執筆者 深尾 京司(ファカルティフェロー)/金 榮愨(専修大学)/権 赫旭(ファカルティフェロー)
研究プロジェクト 東アジア産業生産性
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

産業・企業生産性向上プログラム(第五期:2020〜2023年度)
「東アジア産業生産性」プロジェクト

近年の最低賃金上昇は、人件費を上昇させて、非効率的な企業を退出させるクレンジング効果がある一方、企業の退出による競争の低下で生産性の高い企業の参入と成長が活発になり、企業ダイナミクスを促すことが考えられる。製造業事業所・企業を中心に行われてきた先行研究に加え、本研究では、総務省『経済センサス-基礎調査』と総務省・経済産業省『経済センサス-活動調査』の調査票情報も利用して、非製造業を含める市場経済で、最低賃金の上昇が企業・事業所の参入・退出、資本蓄積、雇用の変動など、企業ダイナミクスに与える影響を分析した。

2011~2015年の期間、企業レベルのデータを用いて県別の生産性動学分析を行った。最低賃金上昇率との関係を見ると(図)、県レベルで最低賃金上昇率は参入効果と正の相関を持っている。最低賃金の上昇が参入費用を増加させ、比較的生産性の低い企業にとっては参入障壁になったこと、その結果、生産性の高い企業の参入が相対的に多くなったことによると考えられる。

一方、最低賃金上昇率は退出効果と負の相関を持っている。一般的に最低賃金の上昇は生産性の低い企業の退出を促し、生産性を改善すると考えられるが、少なからずの県、特に最低賃金が大幅に上昇した県(例えば6.5%以上の最低賃金上昇があった県)では大きな負の退出効果(産業平均より生産性の高い企業が多く退出すると退出効果は負になる)を経験している。最低賃金の大幅な上昇は少なからずの生産性の高い企業の退出を伴う可能性が考えられる。

図 参入効果・退出効果と最低賃金
図 参入効果・退出効果と最低賃金
注:「参入効果」とは、生産性が産業平均より高い企業が参入することで産業の生産性が押し上げられる効果である。「退出効果」は、生産性が産業平均より低い企業が退出することによって産業の生産性が押し上げられる効果である。
出典:「経済センサス-基礎調査」及び「経済センサス-活動調査」により著者作成。

本研究では企業レベルの分析結果も行った(表)。被説明変数は2011年から2015年の間に存続した企業の生産性の変化(生産性の対数値の差分)で、県の2015年の失業率、県GDP成長率、2011年時点の企業の労働生産性と企業規模などをコントロールしたうえで、最低賃金の変化が各企業の労働生産性にどのような影響を与えたかを見たものである。結果のモデル(1)を見ると、最低賃金が上昇した際、存続企業の労働生産性が上昇する、正の関係が確認できる。ただし、モデル(2)~(7)で見るように、このような正の効果は生産性の高い企業(モデル[2][3][5])に限られており、生産性の低い企業(モデル[4])の生産性は低下している。

表 最低賃金と企業の労働生産性
表 最低賃金と企業の労働生産性
注:被説明変数は2015年の労働生産性対数値から2011年の労働生産性対数値の対数値を引いた値。サブサンプルの「上位」「中位」「下位」は、各年・各産業における「労働生産性」と「平均賃金」の高い順に並べた際、上位3分の1の企業、中位3分の1の企業、下位3分の1の企業を指す。最小二乗法(OLS)による推計。括弧内数字は頑健標準偏差。
出典:「経済センサス-基礎調査」及び「経済センサス-活動調査」により著者作成。

本研究の分析結果から得られた主な知見は以下のとおりである。
(1)最低賃金の上昇は企業の労働生産性やTFP、企業の平均賃金の上昇と正の関係を持つ。しかし、正の関係を持つのは主に生産性と賃金などが高い企業や県に限られる。
(2)最低賃金の上昇に対して、予想に反して企業の資本労働比率が低下した。また、従業者総数には有意な影響がないが、正社員が減少し、臨時従業員数が大幅に増加することになった。同時期、正社員が臨時従業員に置き換わったと考えられる。ただし、正社員の減少は均等に起こったのではなく、生産性と平均賃金が低い企業でより減少幅が大きかった。
(3)最低賃金の上昇とともに企業の資本労働比率は低下したが、生産性と平均賃金が比較的高い企業で全要素生産性(lnTFP)は増加した。電子商取引など、固定資本の増加を伴わない新技術の導入などによると考えられる。
(4)最低賃金の上昇は企業の退出と正の関係を持つ。最低賃金が高く、上昇率が高い都道府県では企業の退出確率が高い。

最低賃金の上昇は存続企業の生産性や平均賃金を高め、正社員を臨時従業員に置き換えることと関係することが確認される。ただし、最低賃金が企業ダイナミクスに与える影響は、企業によって異質的である。そもそも賃金と生産性も高く、競争力を持った企業は、最低賃金の上昇による負の影響をあまり受けず、最低賃金の上昇がむしろ生産性の上昇につながることになる。生産性と平均賃金の低い企業はむしろ生産性と平均賃金が低下するか、退出することになるため、最低賃金の上昇は企業間格差を広げる可能性も示唆される。