ノンテクニカルサマリー

新ブランダイス主義の含意:消費者厚生基準と市場支配力基準をめぐって

執筆者 川濵 昇(ファカルティフェロー)
研究プロジェクト グローバル化・イノベーションと競争政策
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

産業フロンティアプログラム(第五期:2020〜2023年度)
「グローバル化・イノベーションと競争政策」プロジェクト

デジタルプラットフォームの経済力集中の懸念により、競争法(関連分野を含む)を巡る議論の枠組みがこの数年で一変した。その原動力の1つは米国における新ブランダイス主義と呼ばれる立場の台頭である。この立場をめぐっては毀誉褒貶が多いが、既に規制の駆動力となっていることは否定しがたい。この立場はアカデミズムから出発しながらも、運動論の様相もあるため議論の整理も難しいが、法学的な立場からは米国における「消費者厚生基準」批判を軸に議論が整理されるのが通例である。他方、これをそのまま受け入れると経済的に合理的な競争法執行が行えないのではないかという問題点がある。

「消費者厚生基準」は一見自明であるが、米国での用法はかなり特殊なものがある。また、欧州や日本では米国の意味で「消費者厚生基準」が有力であったこともないし、そもそも日本法で「消費者厚生」基準がテクニカルに独占禁止法の規制基準であったことはない。しかし、消費者厚生基準と類似した内容の市場支配力基準を採用しており、これは新ブランダイス主義の批判に概ね応答できている。他方、わが国の市場支配力基準は独占力規制が不在な点で異なっていることも指摘できる。新ブランダイス主義はわが国でも喧伝されているが、「消費者厚生基準」や「市場支配力基準」をめぐる彼我の差異を理解しないと、それを正確に位置づけることも困難である。新ブランダイス主義を全面的に肯定する議論は少ないが、多くの点でそれと同一方向の議論が有力になっている現状を理解する妨げとなっている。このDPでは米国での「消費者厚生基準」の問題点と「市場支配力基準」の意義を解明することを通じて、新ブランダイス主義のわが国競争政策への含意を明らかにした。

新ブランダイス主義の検討を通じて政策的含意は次の3点である。

(1) 消費者厚生の競争法における位置づけ
消費者厚生が重要な目的であることは確かだが、個別的に消費者厚生ないし社会的厚生への害を規制基準とすると法執行が困難になるだけではなく、競争法に通常期待される機能が果たせないことになる。あるいは、消費者厚生や社会的厚生への短期的な悪影響の立証は困難であるが、最終的にはそれらを害するおそれの高い市場支配力問題に対処できないことになる。ただし、これまでの多くの法域で通常用いられて来た市場支配力基準(市場支配力の形成・維持・強化を基準とするもの)であればそれらの弊害が生じない上に、執行も容易である。

(2) 市場支配力基準と予防的規制:独占規制の再発見
市場支配力基準が基本的な基準であることは確かであるが、米国・EUの競争法では規制主体が高度な市場支配力(独占力)を有することを前提に、市場支配力の形成等それ自体とは離れた予防的規制を行ってきた歴史がある。不適切の手段で独占力を維持してきた事業者に独占力を低下させる積極的作為義務を要求したり、仮に適切に独占力を獲得維持していた場合であっても、その力を他の市場で有意性を獲得するために行う行為を規制するといったタイプの規制である。これらでは、現実の市場支配力の形成等が立証されるというよりも、その危険性を根拠に規制を行うものである。もちろん、市場支配力基準じたい、その蓋然性レベルで規制するので流動的であることは確かだが、たとえば独占力の保有者が隣接市場でその力を自己に有利に使用する場合、市場支配力の蓋然性の立証がなくとも予防的に規制する必要がある。現在問題となっているデジタルプラットフォームの様々な排除行為とりわけ自己優遇がこのタイプの独占力の濫用事例であることは確かである。他方、このような予防規制が、いわゆる消費者厚生基準(特に直接的に害の立証を要求するタイプの規準)の隆盛の下で縮小してきた傾向があることも確かである。米国の新ブランダイス主義の主張は、この潮流を元に戻すことで反トラスト法をデジタルプラットフォームの濫用的行為に対処可能なようにすることを目的としている。他方、判例がその方向に進展するかどうか不確実なところがある。EUでは、予防的規制は米国ほどには縮小しているわけではないが、その点についての判例ルールが不明確なため、競争法で規制できるかどうか不明確な領域がある。これらは基本的に競争法における独占規制の特殊な領域であるが、法の不明確さがあるため、デジタルプラットフォームの独占力の特性に応じた形で、予防原則的規制を導入しようといういうのが、現下の欧米の動向といえる。

(3) 日本法における独占規制の不在と今後の展望
翻ってわが国を見ると、予防原則的規制は不公正な取引方法の規制が担っている。他方、不公正な取引方法は大きな市場支配力を保有する主体の行為を前提としていないため、そのような者が行う濫用的な行為を規制する上で困難に直面する。また、わが国の独占規制は、独占禁止法制定以来、構造的規制を前提としており、独占力の濫用型行為を規律することは部分的にしか可能ではない。市場支配力基準に関しては日本法が欧米に比べて首尾一貫した優れた特性を有するものの、独占力規制の不在ないし不十分さは確かである。特にそれが問題となる独占的なデジタルプラットフォームに対しては独占禁止法を補完する立法が必要であろう。