ノンテクニカルサマリー

欧州連合の国境炭素調整がアジア太平洋地域に与える影響:構造グラビティ分析

執筆者 モルタ・アリン(早稲田大学)/有村 俊秀(ファカルティフェロー)/武田 史郎(京都産業大学)/チェスノコバ・タチャナ(早稲田大学)
研究プロジェクト グローバル・インテリジェンス・プロジェクト(国際秩序の変容と日本の中長期的競争力に関する研究)
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

特定研究(第五期:2020〜2023年度)
「グローバル・インテリジェンス・プロジェクト(国際秩序の変容と日本の中長期的競争力に関する研究)」

近年、気候変動に歯止めをかけようと、世界各国でカーボンプライシングの導入が盛んになっている。加盟国間での炭素税導入の先駆者である欧州連合(EU)は、2005年に最初の排出量取引制度(ETS)を導入した。EU ETSの排出枠価格の上昇は、欧州の産業界にカーボンリーケージの懸念を呼び起こした。排出枠の価格が上昇すれば、産業界が直面するコストも上昇する。そのため、経済学者たちは以前から、欧州の産業が競争力を失い、欧州製品の価格も上昇するのではないかと懸念してきた。このような状況の中で、カーボンプライシングに直面していない国への産業移転が起こる可能性が高い。加えて、外国製品の需要が増加し、それに伴って外国製品からの排出量も増加することが予想される。このような影響は、しばしば「カーボンリーケージ」と呼ばれる。

こうした中、EUはカーボンリーケージの懸念に対処するため、2023年10月に国境炭素調整メカニズム(CBAM)を導入する。このメカニズムは、EU国境での輸入に対する炭素価格の上乗せの形をとる。その額は、ある製品についてEUの生産者と外国の生産者が支払った炭素価格の差に基づいて決定される。そうすることで、EUは自国の産業にとって公平な競争条件を確保することを目指している。EU CBAMは、この種の提案としては初めて可決され、実施される予定である。当初は、鉄鋼、アルミニウム、化学製品、セメント、電力製品にのみ課税される。これらの製品をEUに輸入しようとする企業は、その製品に含まれる具体化された排出量を報告しなければならず、EUの同様の製品の生産者が支払った炭素価格を反映したCBAM排出枠を購入しなければならない。EUへの輸入に対する課税として、CBAMは貿易の流れ、生産構造、そしてEUの貿易相手国間の炭素価格政策に顕著かつ長期的な影響を与えると考えられる。構造グラビティモデルを用いて、本研究はCBAMが貿易、厚生、生産に与える影響をシミュレーションする。EUはCBAMの導入を気候保護の一形態として正当化しているため、この政策が排出量に与える影響も計算した。グローバルな結果に加え、アジア太平洋(APAC)地域の経済について、国レベルの分析も行っている。生産におけるエネルギー集約度が高く、貿易に大きく依存し、カーボンプライシング政策がほとんど実施されていないアジア太平洋地域は、CBAMの影響を特に受けやすいと予想される。

分析の結果、CBAMが厚生に与える影響は、地域に関係なく小さいことがわかった。一方、この政策は輸出を減少させると予想され、その減少幅は世界全体で-0.29%(金属製品)から-1.49%(鉄鋼製品)である。南アジアと中央アジアでは輸出の減少が最も大きく、南アジアの粗鉄鋼製品では-10.52%、中央アジアの化学製品では-7.03%と推定される。この特別な結果は、CBAMが保護主義的な政策であることを裏付けているようである。EU諸国では、1.31%(非鉄金属)から5.24%(鉄鋼)の間で生産が回復し、生産からの排出量も同程度に回復すると推定される。

図1 日本(左)と中国(右)の鉄鋼輸出の変化率
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図1 日本(左)と中国(右)の鉄鋼輸出の変化率

開発レベルによってこの政策に対する脆弱性に大きな違いがあることを示しており、これはアジアと太平洋地域のケーススタディによって例証されている。中所得国の経済は特にCBAMの影響を受け、輸出、生産、排出が大きく減少する。この点を説明するために、図1は日本と中国の鉄鋼輸出の変化を示している。生産における排出集約度が高く、2014年にカーボンプライシングが導入されなかった中国は、相対的に高いCBAM価格に直面することになる。その結果、シミュレーションでは、中国のEU向け輸出は激減し、アフリカ向け輸出はわずかにリバウンド効果が予測される。これに対して日本は、エネルギー集約製品の炭素効率の高さと地球温暖化対策税により、相対的に低いCBAM価格に直面すると予想される。シミュレーションでは、比較優位を得た日本や他の高所得国は、EU向けの輸出が増加すると予測している。したがって、本研究は、この政策が「気候クラブ(注1)」の創設に寄与し、国家間のグローバルな不平等を拡大する可能性があることを示唆している。

表1 CBAMによる排出量の計算
表1 CBAMによる排出量の計算

表1にCBAMによる排出量の計算を記載している。排出量は生産からの排出に加え、運送活動からの排出量も含まれている。世界全体では、CBAMは排出量を削減すると予想されるが、この削減の大部分は運送活動によるものである。この削減量は、この政策が2014年に導入されていた場合、およそ770百万トンCO2になると推定される。そのうちの73%は、運送活動と貿易(輸出の削減、または、より近い仕向地への輸出)による排出の減少によるものである。生産活動(化学品、非鉄金属)からの排出量に若干のリバウンド効果が見られるものの、概ね貿易からの排出量で相殺されている。最大の排出削減は鉄鋼部門(-693百万トンCO2)であり、次いで化学部門(-132百万トンCO2)である。最大の削減量はアジア太平洋地域(-768百万トンCO2)である。全体として、EU31諸国は、鉄鋼部門、化学部門に次いで、生産部門からの排出量(+586百万トンCO2)が最も増加している。おそらく、海上距離の計算や排出係数の選択における近似値のために、排出削減量を過大評価している可能性があるが、それでもなお、CBAMは世界全体でCO2排出量を削減するために効果的な政策であると結論づけることができる。

脚注
  1. ^ 発展途上国を含まずに、主に低排出国同士で貿易を行う先進国グループ