ノンテクニカルサマリー

第一次世界大戦における日本経済界の外交姿勢:―大戦中期の対主戦国関係と経済同盟構想を中心に―

執筆者 坂本 雅純(コンサルティングフェロー)
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

その他特別な研究成果(所属プロジェクトなし)

問題提起:約100年前の有事(第一次世界大戦)における日本の外交と経済

第一次世界大戦に対して(日英同盟協約を鑑みても)参戦義務を負っていなかった日本は、当時の外交政策に一定のフリーハンドを持っていた。即ち様々な日本の外交事象(例えば参戦の決定、「日露同盟」、連合国が単独不講和を約束したロンドン宣言への加盟、ドイツと単独講和「交渉」の打ち切り、戦後を含む「敵国」とのデカップリングを企図する有志国の「経済同盟」など)は、日本政府自身の裁量で実施してきたのだと思われる。このような状況において、経済界等を含む国内世論はその裁量に一定の影響を及ぼしたのではないか。

経済界にとっての第一次世界大戦は、重化学工業をはじめとする各産業のビジネスが上向き、政府財政の規模が二倍以上となった所謂「大戦景気」をもたらした。同時に、サプライチェーンの途絶、それによる貿易・産業構造の転換、連合国による戦時輸出入制限措置や経済同盟など、一見「大戦景気」という切り口だけでは見えづらい事象にも直面していた。

一方で、当時の日本の外交と経済との連関、ひいては戦局に関する経済界の意向がいかなるものであったかは、いささか不透明ではないか。具体的には、経済界が第一次世界大戦の主戦国に対しどのような姿勢を取ったか、及び連合国間の恒久的な連携を企図する動きに如何なる認識を持っていたか等は、十分に解明されてはいないのではないか。この点を明らかにすることは、米中対立の激化やロシアによるウクライナ侵略といった地政学的リスクの増大、経済安全保障推進の重要性の高まり等に直面する日本の経済界や、外交・通商政策を担う行政当局にとっても一定のインプリケーションがあろう。

取組概要:経済紙誌や貿易統計を用いた論調・背景の分析

そこで、第一次世界大戦期の経済紙誌や貿易統計、経済調査会に関する史料等を用いて、日本の経済界の外交姿勢の様相について、定性的・定量的に示すことを試みた。具体的には、経済団体連合会等がなかった当時において一定の存在感を示した東京商業会議所(現在の東京商工会議所)の史料や、中外商業新報(現在の日本経済新聞)、東洋経済新報(現在の週刊東洋経済)、ダイヤモンド(現在の週刊ダイヤモンド)などに示された経済界の姿勢を汲み取りつつ、大蔵省の統計資料を用いてその姿勢の裏にある貿易状況の考察も行った。

インプリケーション①:経済界は、大戦中には連合国との関係強化及び敵国の打倒に賛成。その経済的背景も存在

日本の経済界の対主戦国の外交姿勢については、一部ドイツの実力を認める意見もあるが、総じて政府方針にそぐう連合国寄りの論調であることがわかった。同時にこの姿勢は、所謂「大戦景気」と言われた経済事情に依拠するものであると推察し得る。

まず同盟相手である英国に対する見方は、英本国の戦時の軍需受入れに加えて、主にアジア地域の英国領との貿易の隆盛を歓迎する声が主流であった。加えて、日本が英国に組することで、海洋国家である英国がシーレーンの安全を保障してくれるという安堵の所見も見受けられた。そして、連合国による単独不講和体制に参加し、戦後の利益享受に期待するという論もあった。他方、戦時中に実施される輸出入制限措置に対しては、総じて懸念や撤回を申し入れる動きが強かった。

大戦中に貿易規模を急拡大させたロシアとの関係は、軍事的協力も相まって大いに関係が良好化した。日本の経済界からは輸出拡大に係る喜びの声のみならず、経済事情を背景とする政治・外交的意向として日露同盟論を主張する声も多く聞かれた。すなわち大戦後、日露貿易は「一大躍進」 を成したのみならず、日本はロシアにとり、経済的、軍事的、ひいては地政学的に重要なパートナーという論調が総じて経済紙誌を彩ったのである。1917年にロシア革命が勃発した後はロシアとドイツの二ヵ国による単独講和の懸念が高まり、1918年のブレスト=リトフスク条約(単独講和)はドイツのアジア進出リスク(独禍東漸)という懸念につながった。

 単独不講和体制の下で連合国と連携しドイツとの戦争状態を継続することには、軍国主義の打倒を主な趣旨として、概ね肯定的な受け止めがなされていた。加えて、同国内の食料問題への経済的な関心が一定数存在することも分かった。経済界は、英国やロシア等との連合国の連帯が日本に大戦景気をもたらしている状況、及びドイツの食料問題は連合国による経済封鎖等の故に起きているという状況を認識していた。さらにドイツに依存していた輸入品は、(ワセリンや鉄製ローラーは)米国、及び(製紙用パルプは)スウェーデンといった代替国からの調達に切り替えられるか、代替調達不可だった輸入品(サリチル酸やアニリン染料等)は生産研究や補助金政策の実施によって日本国内で内製化の動きが見られた。これらを踏まえると、スウェーデン等の中立国で秘密裏に「交渉」が行われた日独の単独講和説は、仮に経済界がその動きを知ったとしても賛同しなかったのではないか。なぜなら、こうした認識や貿易事情は、間接的に大戦期の日本の方針を揺るがないものにした遠因になり得たからである。

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大戦前にドイツに依存していた輸入品目の状況推移
※大戦前にドイツに依存していた輸入品目の状況推移(大蔵省外国貿易年表を元に筆者加工作成)

インプリケーション②:経済界は、大戦後も見据えた恒久的なデカップリングには懸念を抱いた

恒久的に連合国内で連携し「敵国」を封じ込める政策(1916年の連合国経済会議)について、経済界の姿勢は、政界のそれと必ずしも一致していなかったことが分かった。

連合国経済会議の決議は、ドイツやオーストリアといった「敵国」 への恒久的な制裁や、連合国内での経済連携の継続を主としていた。しかし経済界は、そうした構想自体への疑念を持ち、デカップリングの状態を戦後も継続することに大きな懸念を示した。その趣旨は、

  1. 政治的緊張の継続によって平和回復を阻むリスクがあるという意味合い
  2. 欧州の連合国と日本の経済事情は大きく異なるという意味合い
  3. (代替先確保や国内産業奨励が図られたとはいえ)産業物品の調達上重要なドイツとの関係が恒久的に断絶することに懸念があるという意味合い

の三因子に分解できる。

他方で連合国経済会議の決議後には、英国の各種輸出入禁止措置等により日本製品の輸出が停滞するおそれに直面したことから、局面打破策として本決議への賛同の意向も示された。例えば東京商業会議所は、連合国経済会議(1916年6月)前には戦後まで拘束力を及ぼしかねない経済同盟構想に懸念を表明した一方、会議決議後には連合国間の貿易円滑化を求めつつ賛同の意を示した。

デカップリングへの懸念は持ちつつも、むしろ差し迫った危機として同盟相手である英国による貿易制限やそれによる日本経済への打撃を回避するために、敢えて連合国経済会議の決議(即ち経済同盟構想)に賛同し、連合国間の通商振興という実利獲得を重視したのではないかと考察できる。

東京商業会議所(一部、日本商業会議所連合会)の連合国経済会議に係る意向
※東京商業会議所(一部、日本商業会議所連合会)の連合国経済会議に係る意向(筆者作成)

考察:政策的含意

当時の経済界は、時局や事業の方向性に言及する際に、経済の基礎の確立こそが重要だという点に立脚していたことが史料から読み取れる。上記に紹介したような状況や各姿勢は、現在に通じるものもあろう。

経済界と協調しながら経済の基礎を確立するためには
(1) 貿易障壁の撤廃による自由貿易の実現
(2) 日本企業の海外ビジネス促進・サプライチェーン強靭化の推進
を上位概念としつつ、
(ア) 一時的には、外交環境に応じて上記を実現するツールとして有志国連携を模索することを許容
(イ) 長期的には、全方位的な外交・通商関係の平準化と良好化を企図
することが、政策立案と実行に際して大事なことではないだろうか。