ノンテクニカルサマリー

日本の工業化における学卒科学者・エンジニアの発明活動

執筆者 山口 翔太郎(メリーランド大学)/井上 寛康(兵庫県立大学)/中島 賢太郎(ファカルティフェロー)/岡崎 哲二(ファカルティフェロー)/齊藤 有希子(上席研究員(特任))/セルゲイ ブラギンスキー(メリーランド大学)
研究プロジェクト 地理空間、企業間ネットワークと経済社会の構造変化
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

地域経済プログラム(第五期:2020〜2023年度)
「地理空間、企業間ネットワークと経済社会の構造変化」プロジェクト

19世紀後半に始まる日本の産業革命は、職人的生産から大規模な機械化生産への移行と、産業構造の大きな変革が行われた時期であった。後進国から近代工業国への飛躍は、西欧と北米、豪州を除けば、日本が初めて成し遂げた事例といえるであろう。このような成長を遂げるうえで、外国技術の導入、模倣が重要な役割を果たしたことはこれまでも指摘されている。一方で、それだけでこのような成長が達成されたわけではないだろう。外国技術の導入は、国内の発明家による固有技術の発明によって大きく補完されたし、教育を受けた理工系の人材がいなければ不可能であったと考えられる。

実際に日本が19世紀後半に欧米へのキャッチアップに乗り出した際、科学技術高等教育制度を整備することで、高度な知識を持つ理工系人材育成に取り組むと同時に、1885年には知的財産権制度の整備(特許発明制度)を行うなど、欧米への技術的キャッチアップのための条件を整備している。

このような近代日本の近代化における国内技術発明の役割、およびそれに理工系高等教育が果たした役割はどれほど重要なのだろうか。理工系高等教育を受けた科学者及び技術者は、日本における技術発明にどのように関わっていたのだろうか。本稿では、日本で科学技術高等教育が初めて導入された帝国大学及び高等工業学校の理工学部卒業生の属性・居住地・職歴に関する個人データと、1885-1940年までの特許データとを接合し、帝国大学・高等工業学校の卒業生の発明活動を把握できるデータを作成した。そのもとで、どのような人が発明者になるのか、いつ、どこで発明をするのか、また、そのようなパターンが時間とともに、特に産業と高等教育の共進化に伴って、どのように変化していくのかを明らかにする。

得られた結果であるが、まず特許法施行後、国内の特許発明は飛躍的に増加し、高等専門学校出身者は国内発明において存在感を大きく高めていたことがわかった。また、発明者になる確率は学科によってかなり差があり、理学部の化学、工学部の応用化学、電気工学、機械工学などが発明者を輩出する確率が高い学科であることがわかった。また、大学・高専の卒業生は、非卒業生に比べて、発明の量の意味でも質の意味でも生産性の高い発明家である傾向があることがわかった。また、発明の地理的な特徴については、卒業生の発明の所在地は、学校の所在地や出身地と連動する傾向があり、大学卒業者は経済活動が活発な地域で発明をする傾向がやや強いことがわかった。

図1は、当時の特許出願件数とそれに占める大学・高等工業学校卒業者の割合であるが、時間を追うごとに特許出願件数は増加しており、また、それに占める大学・高等工業学校卒業者の割合もそれを追いかけるように増加していることがわかる。

図1 特許出願件数とそれに占める大学・高等工業学校卒業者の割合
図1 特許出願件数とそれに占める大学・高等工業学校卒業者の割合

これらの結果は、今後の日本の経済成長を支えるイノベーション促進政策としてのSTEM教育の重要性を支持する結果とも解釈できよう。本研究で構築された帝国大学・高等工業学校卒業生と特許情報の接合データは日本の近代化における技術発明および高等教育の役割を検証する上で貴重なデータであり、今後もこのデータを用いた研究を行うことで、経済成長におけるイノベーションの役割について明らかにしたいと考えている。