ノンテクニカルサマリー

商取引の途絶とリスク認識

執筆者 柏木 柚香(国立研究開発法人防災科学技術研究所)/戸堂 康之(ファカルティフェロー)
研究プロジェクト 経済・社会ネットワークとグローバル化の関係に関する研究
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

貿易投資プログラム(第五期:2020〜2023年度)
「経済・社会ネットワークとグローバル化の関係に関する研究」プロジェクト

家屋の破壊など、自然災害による直接的で物理的な被害が将来の災害に対するリスク認識を引き上げることは、これまでの研究で示されている。それに対して本論文は、商取引の途絶という、災害による間接的で経済的な被害が、災害によって直接的に被害を受けなかった人々のリスク認識を変えるかどうかを検証している。

そのために、筆者らは、2018年にインドネシアで起きたスラウェシ島地震の後に、道路や港湾などの交通インフラが寸断され、業者の倉庫が破壊されたために、農産物取引のサプライチェーンが途絶したことに注目して、地震後にカカオ豆農家約3700世帯から独自にデータを収集した。

この地震は活断層のずれによって発生し、液状化現象や津波をも引き起こした結果、4340人の死者、15億ドルの経済損失という甚大な被害を伴った。ただし、災害の性質上、断層付近、液状化地域、津波の被害地域の被害は甚大であったものの、その周辺地域でも直接的な被害はほとんどなかった地域も多い。筆者らの調査地域は、地震によって直接大きな被害を受けた地域も、直接被害はほとんどなかった周辺地域も含まれており、本研究では家屋や事業資産に対する直接被害のなかった1107世帯のデータを使用している。なお、地震はスラウェシ島のカカオ豆生産の2番目に大きいピーク時に起きた。

データ分析の結果、直接地震によって物理的な被害を受けなかった農民であっても、地震によってカカオ豆商人との取引の途絶期間が長くなると、今後10年間に近隣で地震が発生するリスクをより強く感じることがわかった(図の青・オレンジの棒グラフ)。さらに、そのような農民は、他の自然災害よりも地震のリスクをより強く感じていた(薄い青の棒グラフ)。さらに、地震による取引途絶を経験することで、農民はリスクを回避する傾向が強まることも見いだされている(灰色の棒グラフ)。

これらの結果は、災害の直接的で物理的な被害だけではなく、間接的で経済的な被害も人々の将来のリスク認識を変えることを示している。しかも、災害学の知見ではこの地域の災害リスクは地震よりもむしろ水害や土砂崩れの方が大きく、地震の被害によって地震のリスクが過大に評価されていると言える。

半面、直接的な被害は受けなかったが、遠方の親族や親友を地震で失った場合には、農民は地震に対するリスク認識を強く感じるわけではない(黄色の棒グラフ)。つまり、間接的だが心理的な被害は必ずしもリスク認識に影響しないと言え、経済的な被害の影響が大きいことと対照的である。

近年、東日本大震災やコロナ禍などの災害によるグローバル・サプライチェーンの途絶が頻発しているため、サプライチェーンを通じて経済的な影響が被災地を超えて広範囲に波及することについては、多くの研究が進んでいる。

本研究は、それに加えてリスク認識という心理面への影響も広範囲に波及することを見出している。そのため、例えば海外でのコロナ禍や自然災害、紛争などの影響がサプライチェーンを通じて国内に波及して、これらのリスクの過大評価につながる可能性をも示している。災害や安全保障上の問題に対するリスクマネジメントを考える上で、このようなリスクの過大評価の可能性は考慮すべき問題であろう。

図:取引途絶がリスク認識に及ぼす効果
図:取引途絶がリスク認識に及ぼす効果
注:取引途絶日数(プラス1の対数値)が、今後10年間に(大きな)地震が起きる可能性が60%以上あると考えるかどうかに対して及ぼす効果などを示す。それぞれの棒は点推定値を、縦線はその95%信頼区間を表す。縦線が0にかかっていない場合には、その効果が統計学的に有意であると考えられる。