ノンテクニカルサマリー

言語の壁と知識の国際普及スピード

執筆者 カイル・ハイアム(一橋大学イノベーション研究センター)/長岡 貞男(ファカルティフェロー)
研究プロジェクト イノベーション能力の構築とインセンティブ設計:マイクロデータからの証拠
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

イノベーションプログラム(第五期:2020〜2023年度)
「イノベーション能力の構築とインセンティブ設計:マイクロデータからの証拠」プロジェクト

言語障壁は知識普及の障害としてよく知られているが、その定量的な証拠は非常にまれである。外国文献として公開された技術が国内で普及するには、その文献を直接理解する能力を有している者の存在や翻訳が必要であるが、これには費用を要し、普及を遅らせる原因となっている。言語障壁をなくすことが知識普及において非常に重要であるのなら、自動翻訳など障壁削減への投資の社会的な価値も大きいことになる。

本研究では、このエビデンスのギャップを埋めるべく、 2000年に米国発明者保護法(AIPA)によって導入された付与前公開制度を利用し、言語が知識の普及速度に与える影響に関する因果的な証拠を提供している。特許制度は、特許権の保護の前提として、特許発明の公開を強制しているが、外国に出願した場合、その国の言語で出願公開を行う必要がある。従って、特許制度は翻訳を強制して、技術文献を世界的に普及する機能を持っている。外国の出願公開制度は、国内で出願してから18カ月の早いタイミングで外国でも公開を行うことを義務付ける。

米国のAIPAによる出願公開制度導入で、米国内出願のみではなく、外国からの出願が英語で公開される時期も早期化した。外国からの出願の場合、外国ではすでに出願から18カ月後に外国語で公開されている。従って、AIPAによって、外国特許が米国発明者に引用される時期が、外国発明者と比較してどの程度加速化したかを検証することで、言語障壁の大きさを定量的に評価することができる。本研究はそれを行っている。

本研究では、日米にのみ出願された日本発明者の特許出願で開示された知識の利用に注目する。知識利用開始までの期間を米国特許での最初の発明者引用までの時間経過で計測している。日米にのみ出願された発明は、米国では2000年 11月より前までは、米国で特許になってからのみ英語で公開され、それ以降は出願から18カ月後に公開され、日本語では出願から18カ月後に常に公開されている。米国発明者が介入グループ、日本発明者が対照グループである。

以下の図1が示すように、AIPAが有効となる前では、初回引用までの平均時間は米国発明者の方が日本発明者と比較して平均的には大幅に長かった(対数値で0.27、約31%)。 AIPAが有効となった後では、その差は対数値で0.14にまで低下した。すなわち、その差の約0.13(13%)が言語障壁による知識普及の遅れであり、米国発明者への知識普及の遅れが半減したことで、AIPAの効果は大きかったと推計される。

図1:日米発明者それぞれによる初回引用までの平均時間
図1:日米発明者それぞれによる初回引用までの平均時間

図1は、AIPAによって、米国発明者だけではなく日本発明者の場合も初回引用までの平均時間が短くなっていることを示している。その原因として以下が指摘できる。まず、米国でも出願されていることは、米国市場で重要な発明であることのシグナルとなり、米国特許で引用される頻度が拡大すると考えられる。また、米国の特許制度では、出願人は先行文献を特許庁に開示する義務があるが、先行文献の候補として、日本でのみ公開されている特許と日米で公開されている特許がある場合、後者の方を選択すると考えられる。従って、日米で出願公開されている特許の方が引用される確率が高くなる。いずれの効果も、日本発明者だけではなく、米国発明者にも当てはまる。従って、図1で観察される米国発明者の初回引用までの平均時間の短縮効果の一部は、このような出願先特許庁の文献を引用する選好の存在を反映している。

最初の出願から18カ月後に欧州特許庁で英語出願が公開される日米欧三極出願のサンプルを導入することで、言語障壁の除去とは無関係の上記の効果をコントロールすることができる。2つのサンプルの決定的な違いは米国以外での英語の出願公開の有無のみであるため、米国人発明者と日本人発明者の2つのサンプルの平均値を差分することで、出願先特許庁の文献を引用する選好の影響をコントロールした上で、米国における早期公開の効果を推定することができる。その結果は0.12であり、図1から得られた推定値に非常に近い値を示している。

われわれのさらなる検証結果によれば、このような言語障壁の知識普及への影響は、大企業の発明者には存在せず、小規模企業では大きく、また日本市場への投資が少ない企業の発明者で大きくなっており、さらに質の高い特許出願ほど大きい。これは、翻訳へのインセンティブやそれへの制約と整合的である。翻訳結果をより活用できる企業では、AIPAの前にも、翻訳を自ら行って日本出願公開の内容を理解している。また、翻訳をしなければ、特許の質を知ることはできないので、特許の質に合わせた翻訳は困難である。

これらの結果は、特許制度の公開制度が、外国特許の国内文献への早期翻訳を通じて、累積的なイノベーションのために重要な公共財を提供したことを示している。またわれわれの検証結果は、自動翻訳の高度化と普及が知識のグローバルな普及に潜在的に大きな影響を与えるであろうこと、またそのためにはこうしたサービスへの小企業や個人の研究者への容易なアクセスの確保が重要であることも示している。