ノンテクニカルサマリー

子供への人的資本投資と負のショック:東日本大震災にもとづく実証分析

執筆者 乾 友彦(ファカルティフェロー)/奥平 寛子(同志社大学)
研究プロジェクト 人的資本(教育・健康)への投資と生産性
ダウンロード/関連リンク

このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

産業・企業生産性向上プログラム(第五期:2020〜2023年度)
「人的資本(教育・健康)への投資と生産性」プロジェクト

自然災害・紛争・パンデミックといった負のショックは子供の将来に大きな影響を与える。これまで多くの研究が子供の教育への影響を検証し、その社会的コストを数量的に評価してきた。

子供の教育に対する影響を推定する際に注意しなければならないのが、日々、親は子供の状況を踏まえて行動を変える点だ。子供が何らかの負のショックを受けた場合、親は子供の将来への悪影響を抑えるために、今までよりも多く子供の教育にお金をかけたり、一緒に過ごす時間を増したりするようになるかもしれない。また、負のショックが親の教育投資への考え方自体を変えてしまう可能性もある。第二次世界大戦後のポーランドにおける強制移住の影響を検証した研究では、強制移住により資産を失った家族の子孫が物の所有よりも子供の教育を評価するようになり、実際に子孫の教育年数が長くなることを明らかにした(Becker et al. 2020)。つまり、根こそぎ資産を奪われた経験が、固定資産よりも持ち運びのできる資産(人的資本)に対する選好を高めた。

こうした親の反応はデータとして捉えることが難しいことも多く、自然災害などの社会的コストを正しく評価する際には妨げとなる。特に、負のショックにより教育投資を増やすことのできるのは資金的にゆとりのある世帯に限られる。もしも親の反応の程度に世帯間の差があれば、教育投資の世帯間格差は広がる可能性もある。

本研究では、具体的にどのような理由で親が教育投資を増やすのかについて、東日本大震災のケースに基づいて検証した。東日本大震災では、地震動による被害だけではなく、津波による浸水や原発事故による放射能汚染など、複数の種類の被害が生じた(図)。同程度の震度であっても被害の状況が様々であったことにより、どのようなショックが親の投資行動の変化をもたらすのかを検証することができる。「21世紀出生児縦断調査」(厚生労働省、文部科学省)を用いて、震災時点で10歳であった子供に対して、親がどのように教育投資を変化させたのかを分析した(注1)。

分析の結果、激しい地震動にさらされた親は塾への支出といった子供の認知能力に対する投資を増加させたことが分かった。この影響は片親世帯では特に小さかった。また、親の教育投資金額の増加は実際に子供の入学する高校の偏差値レベルを上げたことも明らかになった。

東日本大震災は、様々なメカニズムを通じて親の投資行動を変化させ得る。本研究では、地域の復興需要を通じた所得効果・親の就業状態の変化・補助金・公教育の質の変化・別の地域への移住・非金銭的教育投資からの代替・調査からの脱落といった複数の可能性を検証した。分析により、これらの要因はいずれも認知能力への投資増加を説明しないことが分かった。また、放射能汚染や物理的被害(図)の影響を取り除いた後でも激しい地震動が親の教育投資を増やす傾向が観察された。

これらの結果により、激しい揺れを経験すること自体が親の選好を変化させたり、子供への悪影響を抑える行動をもたらした可能性が示唆される。これまで負のショックの影響を分析した先行研究は親の内生的な反応を考慮にいれず、誘導形によってその効果を推定するケースが多かった。本研究により、単純な誘導形で検出されるショックの影響は過小推定となる可能性が示唆される。また、片親といった資金制約に直面しやすい世帯では内生的な反応の程度は弱かった。災害からの復興期に教育支援策を策定する際には、目に見えにくい形で教育支出の世帯間格差が広がる可能性をふまえる必要がある。

図:東日本大震災:物理的被害と震度の関係
脚注
  1. ^ 地震などの災害のショックはコントロールできない突然のショックであり、クリーンな因果関係の識別が可能と思われがちだ。しかし、実際には災害が起きやすい地域に住んでいたこと自体が特有の属性を示すことがあり、因果関係の識別には注意が必要となる。例えば、地震の危険性が高い地域に住む家庭は低所得者層が多く、地震がなかったとしても教育にお金をかけない傾向にあるかもしれない。本研究では、将来の地震の発生確率を示す地震ハザード(防災科研)を活用して、この問題に対処した。東日本大震災発生直前の地震ハザードにより、将来の地震発生確率が同程度の地域に住んでいた子供のうち、東日本大震災により実際に地震ショックを受けた子供と受けなかった子供を比較した。
参考文献
  • Becker, Sascha O., Irena Grosfeld, Pauline Grosjean, Nico Voigtlnder, and Ekaterina Zhuravskaya, “Forced migration and human capital: Evidence from post-WWII population transfers,” American Economic Review, 5 2020, 110, 1430–1463.