ノンテクニカルサマリー

輸出及び直接投資にかかる固定費用

執筆者 白 映旻(福山大学)/早川 和伸(アジア経済研究所)
研究プロジェクト グローバリゼーションと日本経済:企業の対応と世界貿易ガバナンス
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

貿易投資プログラム(第五期:2020〜2023年度)
「グローバリゼーションと日本経済:企業の対応と世界貿易ガバナンス」プロジェクト

2022年1月に発効した地域的な包括的経済連携(RCEP)協定を始め、我が国はこれまでに多くの地域貿易協定(RTA)を締結してきた。これらRTAは、関税削減を通じて、日本の貿易拡大に資することが期待されている。これはRTAの貿易創出効果と呼ばれている。RTAに関する効果分析には、シミュレーション分析に基づく事前評価分析と、重力方程式と呼ばれる二国間貿易額を説明する方程式の推定に基づく事後評価分析がある。これまでに多くの研究者によって、こうしたRTAの効果分析が行われてきた。

我が国においても、いくつかの研究が日本のRTAに対する事後評価を行っている。最近の研究として、Yamanouchi(2019)が挙げられる。彼は世界的に一般に用いられ、計量経済学的にも精緻な方法で重力方程式を推定しているが、日本のRTAが日本の輸出に与えた影響は、平均的にはゼロであった。さらに、シンガポールなど、一部の国向け輸出に対する効果は、むしろ統計的に有意に負であることが示された。こうした結果は彼の分析に特有なわけではなく、日本を対象にRTAの事後評価分析を行ったことがある研究者は似たような結果を得ている。また日本に限らず、他国においてもRTAの貿易創出効果が検出されないことが多々ある。

論理的に説明できない、反直感的な結果を嫌う経済学において、こうした結果は研究者を悩ましている。貿易創出効果が小さいことは、RTAによる関税削減が段階的に行われる品目があること、非関税分野における効果が現れるには時間がかかることなどで説明できるかもしれない。しかしながら、これらは貿易に対する影響が負となることを説明することができない。考えられる一つの要因としては、RTAの関税削減による輸入拡大を抑えるために、非関税障壁が新たに設定されることがある点である(e.g., Niu et al., 2020; Beverelli et al., 2019)。非関税障壁による貿易減少効果が思いのほかに強く効くと、むしろRTA発効後に貿易が減少するということもあろう。しかしながら、シンガポールが日本とのRTA発効後に新たな、そして強力な非関税障壁を設定したとも考えられず、これだけでは日本の結果を十分に説明できない。

以上を背景とし、本論文では新たな要因を提示している。我々の仮説は、固定費用に注目したものである。輸出の際には国際決済や通関手続きなど国際的な取引を行うための金銭的・非金銭的コストが、海外進出の際には現地の法務・労務に関する広義の管理コストや現地工場設備の設置コスト、投資リスクに起因する様々なコストがかかる。シンガポールのように関税削減幅が小さく、そしてRTAに含まれる様々な非物品規定が、輸出に対する固定費よりも海外進出に対する固定費を大きく減少させるならば、輸出よりも現地生産・販売を促すかもしれない。幾度にもわたるRTA交渉を通じ、相手国政府との対話チャネルが量的、質的に向上することも、投資コストを減少させるのに寄与するであろう。

本論文ではこの仮説を検証するために、まず輸出にかかる固定費用に対する、海外進出にかかる固定費用の比率(固定費比率と呼ぶ)の計測を行った。計測は2002年から2018年における日本の輸出・投資相手国68ヵ国を対象に行った。計測では、Helpman et al.(2004)によって提示された、生産性が不均一な企業が直接投資と輸出を選択できる経済理論モデルにおける、1本の均衡式を用いている。この1本の方程式にデータを代入し、唯一の未知変数である固定費比率について解くことで、固定費比率を相手国別、業種別、年別に計算している。

結果として、中位数ベースで、固定費比率は10前後で計測されている。すなわち、海外進出のための固定費は輸出のための固定費の10倍程度の大きさであることが示された。また、時系列でみると低下傾向にあること、業種別では木材パルプ・紙製品や一般機械、輸送機械において相対的に高いこと、地域別ではアフリカ諸国で相対的に高いことが分かった。

続いて、こうして計算された固定費比率の決定要因を回帰分析した。その結果、RTAが固定費比率に統計的に有意な影響を与えており、輸出固定費よりも海外進出固定費を大きく減少させることが分かった。量的には、RTAは固定費比率を36%程度低下させる効果を持っていることが示された。こうした効果はRTA発効1年後以降に表れることも分かった。

最後に、RTAのシミュレーション分析を行った。例として中国とのRTAを取り上げ、RTAにより日本から中国向けの関税率がゼロになり、上述のように固定費比率が36%低下すると仮定し、上述の方程式を再度利用し、輸出額・現地販売額比率を計算した。その結果が表に示されているが、ほぼ全ての業種において、輸出よりも、直接投資による現地販売額が増加することが試算された。とくに皮革製品、業務用機械製品、精密機械製品において、現地販売額の高い伸びが予測されている。

以上の分析により、貿易創出効果が負になる現象を完全に説明できるわけではないが、少なくともその一つの原因を示唆していると考える。実際、本分析では輸出額の絶対額に対する効果をシミュレーションできず、あくまで相対的に現地販売額が増加することを示すのみである。しかしながら、最恵国待遇ベースで関税率が除去されているシンガポールとのRTAや、既に他のRTAが存在している国との追加的なRTAのように、追加的な関税削減幅が小さく、大きな輸出拡大が期待できないRTAの場合、一部の輸出が現地販売に切り替わり、絶対額で輸出額は減少すると予想される。分析方法の精緻化や他国を対象とした検証など、さらなる分析が重要である。

表.中国とのRTAが輸出額・現地販売額比率に与える影響
ISIC 2-digit RTA前 RTA後 変化
17 繊維 3.91 0.14 -3.77
19 皮革製品 60.30 41.51 -18.79
21 紙製品 1.53 1.27 -0.26
22 印刷業及び記録媒体複製業 0.59 0.13 -0.46
23 コークス及び精製石油製品 2.25 0.68 -1.57
24 化学品及び化学製品 3.11 1.52 -1.59
25 ゴム及びプラスチック製品 1.30 1.96 0.66
26 その他の非金属鉱物製品 1.93 0.08 -1.85
27 第一次金属製造業 0.95 0.09 -0.86
28 金属製品製造業 0.92 0.23 -0.69
29 汎用機械 2.53 1.56 -0.97
30 業務用機械 43.40 0.04 -43.37
31 電気機械 1.76 0.24 -1.52
32 情報通信機械 1.60 0.14 -1.46
33 精密機械 25.36 10.26 -15.10
34 自動車、トレーラ及びセミトレーラ 0.38 0.26 -0.12
35 その他の輸送用機械 0.37 0.50 0.12
出所)海外事業活動基本調査(経済産業省)をもとに筆者らによる計算
参考文献
  • Beverelli, C., Boffa, M., and Keck, A., 2019, Trade Policy Substitution: Theory and Evidence, Review of World Economics, 155: 755–783.
  • Helpman, E., Melitz, M., and Yeaple, S., 2004, Export Versus FDI with Heterogeneous Firms, American Economic Review, 94(1): 300–316.
  • Niu, Z., Milner, C., Gunessee, S., and Liu, C., 2020, Are Nontariff Measures and Tariffs Substitutes? Some Panel Data Evidence, Review of International Economics, 28(2): 408–428.
  • Yamanouchi, K., 2019, Heterogeneous Impacts of Free Trade Agreements: The Case of Japan, Asian Economic Papers, 18(2): 1-20.