ノンテクニカルサマリー

非伝統金融政策下の為替レートパススルー

執筆者 吉田 裕司(滋賀大学)/翟 唯揚(滋賀大学)/佐々木 百合(明治学院大学)/張 思語(明治学院大学)
研究プロジェクト 為替レートと国際通貨
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

マクロ経済と少子高齢化プログラム(第五期:2020〜2023年度)
「為替レートと国際通貨」プロジェクト

日本ではバブル経済崩壊後、20年以上も前から非伝統的金融政策が採用されてきた。金利水準をゼロ近傍に誘導するゼロ金利政策は1999年2月に導入され、日銀当座預金残高の増量を目的とする量的緩和政策は2001年3月に導入された。待ち望まれた景気回復の兆しが見えそうな中、米国住宅市場の相場崩壊に端を発した世界金融危機が勃発し、低い経済成長率と低インフレを伴い、再び日本経済先行きの見通しがつかなくなった。2012年12月に安倍政権の発足、翌年3月に黒田日銀総裁の就任により、年率2%を目標とするインフレターゲッティングが導入された。更なる金融緩和へのかじ取りを行う政策変更の期待もあり、総選挙が表明された2012年11月から翌年5月までには、円ドルレートは80円/ドル台から100円/ドル台までの25%もの円安が半年程度での短期間に実現されている。

経済学では古くから、為替レートの切り下げ・減価(日本にとっては円安)が、輸出入に与える影響について論じられてきた。為替減価によって輸出・輸入価格の変化がもたらされるが、マーシャル・ラーナー条件は、輸出入製品に対する需要の価格弾力性が十分に高ければ貿易収支が改善すると示したものである。スティーブン・マギーは、そもそもの為替減価が輸出・輸入価格の変化を与えにくい状況が短期的には生じることを指摘した(Magee, 1973)。為替レートパススルーの研究は正にこの程度を計測する研究であり、為替レートの1%の変化が輸出・輸入価格に何%の変化をもたらすかを示すものが為替パススルー率である。ミクロ的な実証研究を行う為替パススルーの研究では、円安になれば、海外から輸入される製品の円建て価格は高くなると考えられ、その程度として下限が0%、上限が100%とであると想定されてきた。

すると、冒頭で紹介した半年で25%もの円安が生じると、輸入製品価格への為替パススルーが40%程度であっても、輸入製品価格は10%程度の上昇が観測されることになる。この輸入製品の価格上昇が、競合関係にある国内製品の価格上昇や、輸入中間財への依存度が高い国内製品の価格上昇を伴うと、日本経済全体の価格上昇となり、消費者物価指数の上昇につながると考えられる。しかし、冒頭で紹介した時期はもとより、どの期間においても年率2%のインフレ率は、(2022年3月現在)いまだに達成出来ていないのである。

実は、マクロモデルの視点から考察すると、そもそも「円安が物価上昇」には必ずしも帰着せず、「円安が物価下落」になるシナリオもあり得ることが示される。その背景には、「円安」がどのようなマクロ要因によって引き起こされているかに着目することが重要なポイントとなる。今回の分析では、「円安」を引き起こす要因として、需要ショック、供給ショック、外生的な為替ショック、金融政策ショック、一時的なグローバルショック、恒常的なグローバルショック、の六つの要因を、実証分析の枠組みとして構造ベクトル自己相関モデルに組み込んだ。

ベイジアン推定の方法に基づき得られた結果からは、統計的に有意な為替レートパススルーは、需要ショック、外生的な為替ショック、金融政策ショックによって為替レートが動かされた時だけであることが示された。すなわち、グローバルショックや供給ショックによって為替レートが動いても、消費者物価指数の動きには影響を与えないことになる。さらに、今回の分析で重要なのは、外生的な為替ショックと金融政策ショックによる円安は物価上昇をもたらすが、需要ショックによって生じた円安は物価下落をもたらすことが示されたことにある(図1)。この「負の需要ショックによる通貨安がデフレを引き起こす」は日本に特有の現象ではなく、既にForbes et al. (2018)の先行研究によって英国に関して示されていた特徴でもある。

図1:構造ショックによる為替レートパススルー(ERPT)
図1:構造ショックによる為替レートパススルー(ERPT)
(注)Yoshida, Zhai, Sasaki, and Zhang (2022)のFigure 3を修正。
図2:為替変動のヒストリカル要因分解
図2:為替変動のヒストリカル要因分解
(注)Yoshida, Zhai, Sasaki, and Zhang (2022)のFigure 11。

需要ショックによる円安(=国内需要の低下による円安)が物価減少を伴うことが示されたが、この経路による影響が1999年以降の非伝統的金融政策下における日本経済にどの程度の影響を与えたかを検証する必要がある。まず確認すべきは、様々な構造ショック(本研究モデルはでは6つのショック)がある中で、需要ショックは為替変動にとって大きな要因であったのか、である。図2の為替変動にヒストリカル要因分解によると、全期間を通じては金融政策ショックと外生的な為替ショックの方が主要な要因となっている。しかし、需要ショックが為替変動の最大要因になっている時期も確認出来る。具体的には、2006年第2四半期、2007年第4四半期、2017年第2四半期、2018年第3四半期である。次に、需要ショックによる円安が物価を低下させたかを数量的に示すことも出来る。アベノミクスが始動しだした2013年第1四半期には13パーセントもの円安が生じていたが、この四半期には0.52パーセントの物価上昇率が記録されている。もしも、需要ショックによる円安への貢献が無かったとしたら、簡易な方法で計算すると、この四半期の物価上昇率は0.82パーセントになっていたはずである。

参考文献
  • Forbes, K., I. Hjortsoe, and T. Nenova, 2018, The shocks matter: Improving our estimates of exchange rate pass-through, Journal of International Economics, 114, 255-275.
  • Magee, S., 1973, Currency contracts, pass-through, and devaluation, Brooking Papers on Economic Activity, 1973(1), 303-325.
  • Yoshida, Y., W.Y. Zhai, Y. Sasaki, S.Y. Zhang, 2022, Exchange rate pass-through under the unconventional monetary policy regime, RIETI Discussion Paper Series 22-E-020.