ノンテクニカルサマリー

デフレーションと停滞するビジネス・ダイナミズム:現金前払アプローチによる分析

執筆者 古川 雄一 (ファカルティフェロー)/丹羽 寿美子 (園田学園女子大学)
研究プロジェクト 市場高質化による自己増殖型変化への対応の文理融合研究
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

融合領域プログラム(第五期:2020〜2023年度)
「市場高質化による自己増殖型変化への対応の文理融合研究」プロジェクト

1.テーマと問題意識

日本経済は長らく2重の下降トレンドに直面してきた。一方で、多くの先進諸国と同様に、わが国も停滞するビジネス・ダイナミズム(declining business dynamism)を経験してきた。この現象は、企業の参入率の低下や、企業年齢の高齢化(創業年数の大きい企業のシェアの上昇)に表れている。他方で、1990年代以降、わが国の金融政策は、デフレ圧力と格闘してきた。また少なくとも2008年の金融危機以来、デフレ圧力は日本以外の国々にとっても検討課題であったといえ、2020年のBloomberg の記事が指摘するように、デフレはいまだに大きな危険である(注1)。したがって、この2重の下降トレンドを先進国全般の問題と見ることもできる(注2)。

図:インフレ率と参入率(注3
図:インフレ率と参入率
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本研究では、この2つの下降トレンド―デフレと停滞するビジネス・ダイナミズム―の相互関係を明らかにすることを試みた。既存研究はこれらを独立した問題として、別々に研究してきたが、上の散布図に表されるわが国と米国のデータは、両者に正の相関関係がある可能性を示唆している。しかしながら、これまでのところこの関係を正面切って分析した理論研究はなく、この散布図は1つのパズルを提示している。そこでわれわれは、この研究において、この関係を理論的に特徴づけることを試みた。

2.経済モデル:現金前払アプローチ

マクロ経済理論には、インフレ・デフレの分析をするためのいくつか異なるアプローチがある。本研究では、代表的な手法の1つである、現金前払(cash in advance, CIA)アプローチを採用している。マクロ経済モデルにおいて、長期的な経済成長の源泉は、投資活動である(CIAアプローチを採用していない)。通常のモデルだと、投資に必要な財・サービスを購入する際の資金(貨幣)は、投資が成功しその収益を得てから、後払い可能と考えている。この場合、インフレなどの貨幣的要因は、経済活動に影響を与えない。

しかし、CIAアプローチを採用したモデルでは(Stockman 1980, Abel 1985)、物的な資本(例:工場新設等)を蓄積する投資に必要な財・サービスの購入する際、事前に(取引の開始時点に)貨幣を使って前払いする必要がある、と仮定する。したがって、CIAモデルでは、投資を行う企業は、借金によって貨幣を事前に調達することになる。このような設定の下では、インフレが貨幣の購買力を減少させると(利子率と利子費用が上昇するため)、投資に必要な財・サービスの購入に悪影響が発生する(注4)。つまり、インフレなどの貨幣的要因が、経済活動に影響を与えることになる。

本研究では、投資の対象を、物的資本から、市場参入のための研究開発(R&D)活動に広げた最新版のCIAモデル(Chu and Cozzi, 2014)をベースに、ビジネス・ダイナミズムの分析を可能にするため、次の新しい設定を導入した。参入後に市場に生き残るための(退出時期を遅らせるための)いわゆるサバイバル投資も、CIAによる制約を受ける。つまり、本研究のマクロモデルにおいて、インフレ・デフレは、CIA制約を通じて、R&Dに依存する企業参入率だけでなく、企業退出率や企業年齢の分布にも影響を与える。これは既存モデルにはなかった、新しい特徴である。

3.結果:デフレがビジネス・ダイナミズムの停滞を引き起こす

本研究の分析によれば、インフレ率の低下(デフレ傾向)が進むと、企業の参入・退出はともに、増加する可能性もあれば、減少する可能性もある。しかしもし、参入するための費用が十分に大きい場合は、デフレは、企業参入・退出率を減少させることを明らかにした。結果、企業年齢が大きい企業(創業年数が古い企業)のシェアは増加する。つまり本研究は、参入費用が高い経済において、デフレは、ビジネス・ダイナミズムの停滞を引き起こす可能性がることを明らかにした(注5)。

4.政策的インプリケーション

インフレ率や名目利子率の水準をターゲットに行われる金融政策の目的の1つは、投資の活性化にあると言える。例えば、本研究が採用したような CIA アプローチに基づくマクロモデルにおいても、標準的な短期モデルが想定するような、低金利政策がR&D投資と経済成長を活性化させる政策波及チャネルは存在する。しかし本研究は、既存企業によるサバイバル投資活動を明示的に考慮すると、一般均衡効果を通じて、R&D投資はかえって抑制される可能性があることを指摘した。この場合、低金利政策は、景気浮揚や成長促進を促す一方、ビジネス・ダイナミズムの停滞という副作用をもたらす可能性がある。

脚注
  1. ^ "Markets Are Fixated on the Wrong Bogeyman," Bloomberg, August 20.
  2. ^ 2021年4、5月の米国における消費者物価指数が市場予想を大きく上回った事実は、米国がデフレ圧力からインフレ懸念のレジームにシフトしている可能性を示唆している。しかしながら、複数の著者は、米国のトレンドがインフレ傾向に転換したと見るのは早計、あるいは、その傾向があったとしてもまだ十分に弱いとの主張をしている点も注目すべきだろう。
  3. ^ アメリカの参入率については、Business Dynamics Statistics(US Census)のデータを、日本については、『2020年版中小企業白書』(中小企業庁)のデータを利用した。インフレ率については、World Bank のデータを利用した。より詳しい説明は、論文を参照のこと。
  4. ^ このモデルの日本語によるわかりやすい解説は、例えば、工藤(2006)が有益である。
  5. ^ なぜ参入費用の大小が鍵となるのかについては、本文中で詳細に解説している。
参考文献
  • 工藤教孝, 2006. 「インフレーションと資本蓄積」, 經濟學研究 55(4), 65-77.
  • 中小企業庁, 2020. 「2020 中小企業白書」.
  • Abel, A. B., 1985. Dynamic behavior of capital accumulation in a cash-in-advance model. Journal of Monetary Economics 16, 55-71.
  • Chu, A., and Cozzi, G., 2014. R&D and economic growth in a cash-in-advance economy. International Economic Review, 55, 507-524.
  • Stockman, A. C., 1981. Anticipated inflation and the capital stock in a cash in-advance economy. Journal of Monetary Economics 8, 387-393.