執筆者 | 椋 寛 (学習院大学)/大越 裕史 (岡山大学) |
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研究プロジェクト | グローバル経済が直面する政策課題の分析 |
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。
貿易投資プログラム(第五期:2020〜2023年度)
「グローバル経済が直面する政策課題の分析」プロジェクト
国境を越えたサプライチェーンが形成され、中間財貿易が拡大するなか、多国籍企業は複数の国に拠点を設け、関連会社間で企業内貿易を行っている。多国籍企業は企業内貿易につける移転価格を操作することにより、高い法人税を回避することが学術的にも実務的にも問題視されてきた。例えば、経済協力開発機構(OECD)では、税源浸食と利益移転(BEPS)プロジェクトに基づいて、多国籍企業の課税逃れへの対処が進められている。
本研究が注目するのは、多国籍企業が他企業との競争を有利にするために、移転価格操作を戦略的に用いる側面である。具体的には、多国籍企業は下流企業に意思決定権を委譲し、上流企業から下流企業に輸出される中間財の価格を下げることを通じて下流企業の供給コストを下げ、最終財市場での競争をライバルよりも有利にし、結果的に利潤を大きくすることができる。実際、民間企業が行ったアンケート調査においても、多国籍企業の8割が法人税回避と競争有利化の2つの目的で移転価格を操作することが明らかになっている。
法人税回避と競争有利化のための移転価格の操作については、それぞれ先行研究が多数あるが、本研究は自由貿易協定(FTA)の締結が多国籍企業の移転価格操作の目的を変化させることに注目する。そして、そうした多国籍企業の移転価格操作の目的の変化が、FTAの効果を歪めてしまうことを示す。具体的には、全ての輸出企業がFTAの原産地規則(ROO)を満たし無関税で輸出できるようになったとしても、その利潤がFTA締結前よりも下がってしまう場合がある。また、同様に全ての輸出企業がROOを満たしFTA締結後に無税で輸出したとしても、輸出が減り輸入国の消費者余剰が下がってしまう場合がある。
図を用いて、具体的にそのメカニズムを説明しよう。多国籍企業は、下流企業を法人税が高いH国に立地している。FTA締結前、法人税差がある程度大きいとき、多国籍企業は上流企業を法人税が低いO国に立地し、移転価格を操作することにより法人税を回避している。多国籍企業をライオンに例えるならば、現地企業を攻撃するために移転価格を用いていないという意味で、ライオンは寝ている状況である。FTA締結後、多国籍企業がO国に上流企業を立地したままだと、ROOの要件を満たせずに多国籍企業だけに関税が賦課されるため、その損失を避けるために多国籍企業はFTA域内(H国)に中間財生産点を変更する。多国籍企業はもはや法人税回避ができないため、下流企業に権限委譲しつつ移転価格を低く設定することにより、市場競争を有利化する。寝ていたライオンが起き、現地企業を攻撃しはじめるわけである。結果的に、FTAにより関税がゼロになったものは、現地企業はライバルである多国籍企業との競争が激しくなったことにより、また、多国籍企業自身は高い法人税を支払うことになったことにより、どちらもFTA締結前よりも利潤が下がりうる。
また、法人税回避による単位利潤の増加が大きいとき、FTA締結前に多国籍企業が多く輸出していた場合には、FTA締結後に(権限委譲したとしても)かえって輸出が減ってしまい、消費者余剰が減ってしまう場合がある。こうした企業の利潤を減らしたり、消費者余剰を下げたりするFTAであっても、法人税収は得られるため域内国はFTAを締結する誘因がある。
これらの結果から、以下の含意が得られる。既存の実証研究では、FTA締結が必ずしも貿易を増やさない(むしろ減らす場合もある)ことが指摘されているが、本研究の結果はその理由の1つの根拠となりうる。FTAの締結は、先行研究で指摘される「中間財調達先の不効率な移転」をもたらすのみならず、多国籍企業の権限委譲と移転価格操作の目的の変更につながり、結果的にFTAに期待される利潤増加と消費者利益をもたらさないおそれがある。政策担当者は、FTAの効果が移転価格操作の防止とも密接に関わっていることを、認識すべきである。