ノンテクニカルサマリー

日本の公共職業訓練の効果

執筆者 原 ひろみ (日本女子大学)
研究プロジェクト 日本の労働市場に関する実証研究
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

政策評価プログラム(第五期:2020〜2023年度)
「日本の労働市場に関する実証研究」プロジェクト

離職・失業したら、再就職先を探すことになる。自力で見つけられる場合は問題ないが、サポートを必要とする場合が少なくない。公的な再就職支援サービスの1つに、日本には公共職業訓練があるが、この公共職業訓練は、本当に離職・失業した人の再就職に役立つ施策なのだろうか。これまで長年議論されてきたが、結論には到達していない。その一因は、客観的なエビデンスがなかったことにある。

この問いに答えることは非常に大事である。なぜ大事なのか。離職・失業した人が求職のために受けられる公共訓練には複数の種類があるが、共通しているのは、再就職に必要なスキルや知識を習得するためのものであり、訓練受講者はテキスト代等の実費を除くと無料で受講することができることである。つまり、税金で運営されている。国の予算は限られているから、公共訓練に効果があれば続けるべきだが、もし効果がないのであれば、効果がある他の手段に予算を振り替えた方がよい。国が税金を有効に活用し、求職者が時間を有効に活用し効率的に職探しを実現するためにも、公共訓練の効果検証は必要である。しかしながら、これは一筋縄ではいかない。

公共訓練の実質的な運営主体である厚生労働省は、毎年度、訓練受講者の就職率を公表している。その値はおおむね70~80%台となっており、一見、公共訓練に効果があることを示しているように見えるが、必ずしもそうとは言えない。例えば、訓練を受けないで職探しをする人たちもいる。もし彼らの就職率が90%であったら、どう評価すればよいだろうか。その一方で、公共訓練を受けなかった人は、そもそも訓練を必要としない求職者であったかもしれない。つまり、再就職のために訓練を必要とし、実際に受講した求職者よりも、非受講者はエンプロイアビリティが高く、そもそも再就職しやすい人たちであった可能性は否定できない。そうであれば、エンプロイアビリティの低い訓練受講者の再就職率が、エンプロイアビリティの高い非受講者の再就職率よりも低いからといって、公共訓練に効果がないとは言えないだろう。ポイントは、このように、訓練受講者の数値だけを見ることや、受講者と非受講者の単純な比較からは、公共訓練の効果の有無は分からないということである。

それでは、私たちが知りたい情報を得るためには何をすべきだろうか。そのためには、訓練を実際には受講した人が、もし受講しなかったならばどうなっていたのか、という視点が必要である。“訓練を受けた人が受けなかった”という状況は現実には起こりえないので、反現実(counterfactual)と呼ばれるが、受講者と非受講者両方の情報を使って、計量経済学の準実験的な手法(傾向スコアマッチング(PSM))を用いることで、この反現実を仮想的に作り出すことができる。実際に行う作業は、訓練を実際に受講した人と属性が似通っている人を、データから探しだして、反現実とみなすということである。性別・年齢、居住地域、前職での就業状態等の観察できる属性が同じであれば、観察できない異質性も低いはずであるという背後にある仮定が、その作業の妥当性を担保する。そして、この反現実の人たちと訓練受講者の比較を行い、訓練受講者の就業率や所得、正社員雇用確率が相対的に高ければ、公共訓練に効果があったと評価できる。

本分析では、主に雇用保険受給者である求職者が対象とした離職者訓練を分析ターゲットとした。PSM推計を行うには、訓練受講者と非受講者両方の情報が不可欠であるため、総務省統計局『就業構造基本調査(2007, 2012, 2017年)』(以下、『就調』)の個票データを用いた。詳細は紙幅の関係で割愛するが、公的助成のあった自発的に行った訓練に関する情報と分析サンプルを丁寧に構築することで、離職者訓練の受講者の識別と非受講者サンプルの構築を行った。また、ここでは、訓練終了後1年以内の短期の効果を見ている。

主な分析結果は下の表のとおりである。第1に、男女ともに、離職者訓練を受講すると就業率が統計的に有意に上がることが示された。男性の場合、受講すると15.4ポイント就業率が上がる。ベースラインである非受講者の就業率が56.8%であることから、公共訓練の受講によって72.2%にまで上昇する。また、女性の就業率の上昇幅は17.4ポイントと男性より大きく、48.3%から65.7%にまで上昇する。第2に、所得と正社員雇用確率への統計的に有意な効果は、男性には確認されなかったが、女性はともに統計的に有意にプラスの効果があることが確認された。全体的に男性よりも女性への効果が大きいと考えられる。

表 公共職業訓練(離職者訓練)の就業率、所得、正社員雇用確率への効果(PSM推計)
表 公共職業訓練(離職者訓練)の就業率、所得、正社員雇用確率への効果(PSM推計)
データ:総務省統計局『就業構造基本調査』, 2007, 2012, 2017年。
注:1)1段階目はロジット推計、2段階目はlocal linear matchingを用いた結果で、***は統計的に1%有意を示す。
2)訓練受講の行の数値×100は、訓練受講が就業確率、所得、正社員雇用確率をそれぞれ何ポイント上昇させるのかを示す。
3)非受講者の平均は、サンプルを非受講者に限定して平均値を計算した値である。

公共訓練の有効性に関する議論はエビデンス無しで長年続いてきたが、本研究は、日本で初めて反現実を構築し、離職者訓練の効果を計測した。そして、分析の結果から、離職者訓練にはプラスの効果があることと、なかでも女性への効果が大きいことが示された。

しかしながら、本研究は当該分野における最初の一歩ではあるが、これで議論が終わりというわけではない。なぜならば、本研究の分析フレームワークは今ある選択肢のなかでは最適と考えられるが、『就調』のような一般的な政府統計データでは、公共訓練受講者の情報の捕捉に数量的にも質的にも限界がある。たとえば2019年度の離職者訓練の受講者数は約10万5,000人と、実は労働者全体に占める割合は小さい(注1)。『就調』は毎回約100万人のサンプルを確保できる大規模データであり、使用可能なデータのなかでは最適なものと思われる。しかし、適切な分析サンプルに限定すると3年分をプールしても約8,000サンプルしか確保することができず、うち受講者は約600サンプルへと大きく減少する。そうなると、正確な推定は難しくなる。また、『就調』では、公共訓練の受講を直接尋ねてはおらず、公的助成の有無に関する回答を使って間接的にしか把握できないため、回答エラーが発生、すなわち情報に質的な問題がある可能性は否定できない。

この2つの課題を克服し、今後、公共訓練の効果に関してより正確な情報を得るためには、業務統計の利用が不可欠である。雇用保険業務統計の個票が活用できれば、雇用保険受給者の全情報が使えるためより大きなサンプルサイズを確保できるし、公共訓練の受講に関してもより正確な情報が入手できる。また、本分析では訓練終了後の短期の効果しか計測できなかったが、より長期の影響も計測できるだろう。PSM推計のような準実験的な手法ではなく、ランダムに求職者を訓練受講と非受講に割当てるランダム化比較試験(RCT)で効果推計を試みる必要性は否定できないが、公共訓練におけるRCTの早急な実現は、日本では現実的ではない。よって、当面は、準実験的手法で、より正確な推定を試みていく必要がある。

脚注
  1. ^ 厚生労働省公表データより(https://www.mhlw.go.jp/content/11800000/000570990.pdf)。