ノンテクニカルサマリー

日本の地域金融と工場の退出

執筆者 西岡 修一郎 (West Virginia University)/大久保 敏弘 (慶應義塾大学)/田中 万理 (一橋大学)
研究プロジェクト 東アジア産業生産性
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

産業・企業生産性向上プログラム(第五期:2020〜2023年度)
「東アジア産業生産性」プロジェクト

1990年代初期のバブル崩壊以来、金融機関の支援により生き残ったゾンビ企業が増えたといわれている。生産性が低く利益率の低いゾンビ企業が生き残ることにより、創造的破壊が起こらず、景気の長期停滞、いわゆる失われた20年、を引き起こしたのではないかと考えられている。日本の製造業については、バブル崩壊以降も企業数や雇用者数は大きく減少することはなかったが、工場数は繊維産業を中心に大きく減少した(図1)。企業自体の撤退は少なかったものの、工場レベルでの調整が積極的に行われていたことを示唆している。

図1:従業員数30人以上の工場数(1987-2009)
図1:従業員数30人以上の工場数(1987-2009)

企業や工場の撤退に関する研究は、産業別に見たものは多いものの、地域別に見た研究は少ない。本研究は、企業を金融面から支援する銀行の役割に注目し、銀行の貸出態度の地域差が、工場の撤退、およびその後の地方経済に与えた影響を分析した。バブル崩壊によって株価および土地価格が大きく下落し、ジャパンプレミアムによる邦銀に対する国際金融環境の悪化も加わり、都市銀行はバブル崩壊後、貸し出しを大きく減少させた。一方で、比較的バブルの影響が小さかった地方銀行や信用金庫は貸し出しを維持したといわれている。図2は、都道府県別に、総貸出における都市銀行の比率を見たものである。都市銀行のシェアは、都道府県により大きく異なる。これは、日本の地域金融が、江戸時代からの歴史、戦前戦後の金融政策を反映しながら独自に発展してきたことを反映している。

図2:都市銀行の貸出比率(1989)
図2:都市銀行の貸出比率(1989)

本研究は、都市銀行の貸付シェアが高い都道府県で、1990年代半ばに工場の生存率が大きく低下したことを示した。また、苦境に陥った都市銀行が工場に対する融資を停止せざるを得なかった地域で、1990年代後半および2000年代前半に工場数と雇用数が回復することはなく、逆に生き残った工場の間でも生産性やマークアップが低下する傾向があったことを示した。地方銀行や信用金庫が、バブル崩壊後に貸し出しを減らさなかったことは、その後の地方経済の動向に少なからず影響を与えたものと考えられる。これらの結果より、経済危機の際に、企業の新規参入があまり期待できない状況では、財務状況が逼迫した生産者を退出させることは、地域の将来の成長と生産性にとって必ずしも有益ではない可能性が示唆された。