ノンテクニカルサマリー

新型コロナ危機と経済政策

執筆者 森川 正之 (所長・CRO)
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

その他特別な研究成果(所属プロジェクトなし)

新型コロナウイルス感染症拡大の経済的影響や望ましい政策対応に関する研究が急速に進んでいる。本稿は、それらを通じてわかってきたことを筆者なりに整理するとともに、経済政策への含意を考察するものである。

1.感染拡大への対応

感染症の疫学モデルに経済行動を折り込んだモデルが開発され、多くのシミュレーションが行われている。外出禁止令など政府の強い関与がなくても個人の行動変化を通じて感染者数のピークが低下・後ずれし、総死亡者数が減少するという結果もある。しかし、感染症には、①自身から他人への感染リスクを減らす誘因は過小になる、②医療サービスの供給制約の下で病院の混雑をもたらすという2つの負の外部性があるため、政策的対応が必要になることを示すものが多い。

新型コロナウイルスの感染率など基礎的なパラメーター自体の不確実性が大きいが、総じて言えば、①強力な感染抑止政策を採るほど経済への負の影響が大きくなるというトレードオフが存在する、②政策関与がない自然体だと感染者数が過大になる、③感染拡大の比較的早い段階で営業制限・外出規制などの社会的離隔政策を行うことが感染カーブをフラット化する上で望ましいという結果が多い。また、既にいくつかの研究は、現実に採られた社会的離隔政策が、感染拡大を抑止する効果を持ったことを確認している。

個人特性(年齢、健康状態)によって重篤化・死亡リスクには大きな差があるし、産業によって感染リスクは異なる。このため年齢によるリスクの違いを折り込んだモデルや、複数の産業を含む形に拡張したモデルも開発されている。これらは感染リスクの高い「三密」業種をターゲットした離隔政策をサポートするものである。一方、個人特性に着目した政策はあまり採られていないが、感染した場合の重篤化リスクが高く、医療サービスの混雑という影響も大きい高齢者と健康な若者を区別して扱うことが望ましいとする分析が多く、高齢者に重点を置いた離隔措置、年齢に応じた段階的な制限緩和などが提案されている。

2.経済活動への影響と経済政策

コロナ危機は、世界的には石油危機、世界金融危機、日本では東日本大震災といった大規模なショックと比較されることが多いが、生産・消費といった経済活動自体が感染を拡大する―健康と経済のトレードオフ―という特異性がある。不況に対しては、財政・金融政策で需要を刺激するのが教科書的な処方箋だが、コロナ危機の場合、需要拡大策自体が感染拡大を助長し、危機を深刻化するおそれがある。

コロナ危機に伴って世界経済の先行き不確実性は著しく高まったが、3月下旬以降は落ち着いてきている。うまくいっている政策は注目されない傾向があるが、各国中央銀行の金融緩和や主要国の緊急経済対策が、システミック・リスクや不確実性を低減し、投資家のパニックを回避する上で有効だった可能性を示唆している。世界金融危機の教訓、その後の経済分析の成果が生かされているように見える。

医療サービス供給能力を拡大するための政府支出はトレードオフ自体を緩和するし、営業自粛に伴う雇用維持への助成や一時的な失業者への給付といった政策も、社会的離隔政策の副作用を緩和するポリシー・ミックスとして不可欠である。ただし、経済学的には困窮者にターゲットして手厚く分配する政策ほど効率性が高いというのがコンセンサスである。外出自粛などの社会的離隔政策によって大きな損失を受けるのは閉鎖される産業の若い就労者、感染リスク低下の利益を最も享受するのは既に仕事から引退した高齢者であり、本来はこうした点も考慮した再分配政策が望ましい。

資金繰り難による倒産増加はシステミック・リスクにつながるおそれもあるので、過渡的に企業の資金繰りを支援することは十分正当化される。個人に対する所得移転と同様、感染リスクの高い事業活動を自粛する誘因としての意味もある。他方、不況期に非効率な企業が退出し、回復期に効率性の高い企業が成長することは、経済全体の生産性を高める上で重要な「新陳代謝」メカニズムである。ショック直後の連鎖倒産のリスクが落ち着いた段階では、将来の成長力を高めることを視野に入れる必要がある。

人々の生活様式や事業活動スタイルの変化により、コロナ危機後の産業・就業構造がおそらくコロナ前と異なることを念頭に置くならば、労働や資本の産業間・企業間での移動を促していくことが必要になる。雇用調整助成金のような既存企業の中に労働者を維持する施策から、労働市場でのマッチングを改善し、労働需要が増加したセクターでの雇用吸収を促す政策に力点を移していくことが望ましい。

3.中長期的影響と課題

コロナ危機が終息した後に世界経済が長期停滞に陥るかどうかは、生産要素投入や生産性に対して不可逆的な履歴効果があるかどうかによる。そうした要素として、コロナ危機の下で非労働力化した人の完全な引退、失業者のスキル劣化、学校教育の質の低下に起因する子供の学力低下、企業のリスク回避度の高まりによる投資意欲の低下などが考えられる。

反面、コロナ危機後の生産性を高くする要素もある。日本が遅れているとされていた生産性向上余地の具体化である。①デジタル技術の活用、②企業の業務改善、③規制改革、④新陳代謝などである。非効率な政府規制や不必要な社内ルールを合理化していくことは将来の成長力向上につながる。

コロナ危機後の経済に影響する政策的な要素として、財政支出拡大に伴う政府債務の増大も無視できない。万が一新型コロナウイルス感染症が終息する前に財政が破綻するようなことがあれば、国民生活への影響は甚大になる。少なくとも財政破綻を回避するための枠組を再構築することが課題になる。