ノンテクニカルサマリー

WTO協定による越境データ流通の規律と限界

執筆者 東條 吉純 (立教大学)
研究プロジェクト 現代国際通商・投資システムの総合的研究(第IV期)
ダウンロード/関連リンク

このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

貿易投資プログラム(第四期:2016〜2019年度)
「現代国際通商・投資システムの総合的研究(第IV期)」プロジェクト

デジタル貿易の中核的要素であるインターネットおよび国境を越えて流通するデータ・情報は、国際通商および各国の経済成長に多大な影響を及ぼす原動力となっており、ますますその重要度を増している。各国では、この恩恵を最大限享受するための法的仕組みを維持することが重要な政策課題となっているが、その一方で、プライバシー保護やセキュリティなど、さまざまな国内の公共政策上の目的を実現するための施策を維持することも求められており、具体的にはデータローカライゼーション規制その他の形態で規制的介入が実施されている(下図参照)。

図:増加する越境データ移転規制件数
(越境データ移転規制件数の累計)
図:増加する越境データ移転規制件数
Source: OECD "Trade and cross-border data flows" TAD/TC/WP (2018)19/FINAL, p.16

こうした政策及び制度構築上の課題については、2019年6月28日に採択されたG20大阪首脳宣言第11項においても「信頼性のある自由なデータ流通(Data Free Flow with Trust)」として確認されるものであり、越境データ流通が生産性の向上およびイノベーションをもたらす一方で、取引にかかる信頼を形成・維持するため、プライバシー、データ保護、知的財産権およびセキュリティに関する課題に対処するための法的仕組みの構築が求められる。ただし、越境データ流通への規制アプローチは、主要国間でかなり異なるというのが現状である。

そこで、本研究では、デジタル経済が国境を越える経済活動に及ぼす影響について概観した上で、越境データ流通に対する主要規制であるデータローカライゼーション措置に対するWTO協定上の規律、とくにサービス貿易協定による規律の有効性と限界について検討した。また、デジタル貿易に対する多国間ルールメイキングの取り組みが長らく足踏みする中で、それを補完する国際ルールとして発展してきたFTA、とくにCPTPP電子商取引章ルールについて検討し、そのルールモデルとしての価値について考察した。

WTO協定は、デジタル貿易ないし越境電子商取引という観点から越境データ流通を規律するものであるが、ルール交渉は長らく停滞を続け、デジタル貿易の実態の急速な進展に比して大きく立ち遅れていると言わざるを得ない。

越境データ移転規制に関連するWTOルールとしては、サービス貿易を規律するGATSが最重要であるが、GATS交渉が行われた1990年代初頭の時点では、商用インターネットはほぼ存在しなかったため、当時、自由化交渉および約束表作成のために活用されたサービス分類表は、現在のデジタル貿易の実態を反映するものではない。このため、GATS自由化約束による規律については、とくにオンラインビジネスの扱いに関して深刻な解釈上の疑義が生じている。また、GATSにおいては、市場アクセスおよび内国民待遇は自由化交渉の対象であったが、個別の自由化約束水準は限定的なものにとどまる。このような限界はあるにせよ、GATS14条の規定する一般的例外に関するWTO先例および解釈上の議論の蓄積は、上記のデータ流通自由化と「信頼性」との適切な均衡点を検討する上で重要な手がかりを提供する。

これに対して、世界で急増するFTAでは、多国間交渉レベルで合意できない新規ルールの部分的導入に成功している。とくにCPTPP協定や日米デジタル貿易協定は、越境データ流通および電子商取引を直接の対象とした各種規定を設けており、上記の均衡点の模索という意味で、将来の多国間ルールメイキングに対して1つのモデルを提供するものである。越境データ流通に関する主要ルールは、①公共政策の正当な目的を達成するために必要な場合には越境データ流通制限措置の採用・維持を許容すること、②ただし、(i)恣意的・不当な差別の手段又は貿易に対する偽装的制限となるような態様で適用されないこと、(ii)目的達成に必要な範囲を超えて制限を課すものではないことである。

同ルールは、解釈上の曖昧さを残すものであり、データローカライゼーション規制が濫用されるリスクを懸念する指摘もあるが、急速に進化を続けるデジタル技術、並びに、デジタル経済下における貿易自由化と他の公共政策的利益の適切な均衡の模索に伴う不確実性を考慮すると、現時点においては、広範な公共政策目的に基づく越境データ移転規制を正当化する余地が一定程度確保されるような規範構造をとることが積極的に評価されるべきである。また、各国の国内ルールの平準化に向けた取組についての規定も重要である。「信頼性」の中核的要素であるサイバーセキュリティ確保のためには、高い技術に裏付けられた強靭な国際セキュリティネットワーク作りが急務であり、国家間の緊密な協力が必要となる。その意味では、貿易自由化ルールと一般的例外をセットにした現行GATSの規範構造では不十分であり、今後進められる多国間ルール交渉においては、プライバシー保護やサイバーセキュリティに関する最低基準の設定等、加盟国間の国内ルール平準化を含めたルール形成に向けた努力が求められよう。