ノンテクニカルサマリー

米国海外腐敗行為防止法と新興経済における市場の質

執筆者 Krishnendu Ghosh DASTIDAR (Jawaharlal Nehru University)/矢野 誠 (理事長)
研究プロジェクト 市場高質化による自己増殖型変化への対応の文理融合研究
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

融合領域プログラム(第五期:2020〜2023年度)
「市場高質化による自己増殖型変化への対応の文理融合研究」プロジェクト

伝統的な経済構造から市場経済への移行過程にある新興経済では、前近代的市場経済に存在する経済障壁が広く残存している場合が多い。例えば、旧来の体制による独占力の保証や参入規制の設定などである。そうした経済では、新規参入は障壁を打破し、経済厚生を高める効果をもつ。これは、例え、障壁の除去と引き換えに為政者に「賄賂」を払わなくてはならない場合でも、妥当しうる。

過去数年間において、発展途上経済における米国企業の賄賂行為を禁止する米国の海外腐敗行為防止法 (FCPA) は、適用事例からみても、罰金額からみても、急速に存在感を高め、わが国にも、その波が押し寄せようとしている。既存の経済障壁の打破という視点に立つと、FCPAのような法律は新興経済に残存する障壁の除去を遅らせ、市場支配力を持つ独占やカルテルを温存し、市場の公正性を下げる可能性を持ちうる。

既存の経済学では、FCPAの分析は非常に少ない。そこで、本論文では、FCPAの持つ、経済障壁温存効果に着目し、この効果を非対称情報下での、市場競争モデルでとらえ、市場の効率性や公正性の視点から新興経済における市場の質とFCPAとの関係を明らかにする。市場の質は Yano (2009) において提示された概念であり、Dastidar (2017) によって新興経済の分析に応用されている。

1.米国海外腐敗行為防止法について

1977年の米国海外腐敗行為防止法 (Foreign Corrupt Practice Act, FCPA) は事業の獲得や継続のために、外国の公務員に対し金銭を提供することを禁止する法律であり、贈賄禁止条項は、米国民だけでなく、米国で証券を発行する個人や企業に適用される。また、外国人や企業が米国において同様の贈賄を行うことも禁止される。この法律に違法する行為は、犯罪とみなされ、司法省、証券取引委員会、FBI の3つの組織によって取り締まられ、企業の場合は、2百万ドル以下の罰金、個人の場合は5年以下の禁固または25万ドル以下の罰金、またはその双方が科され、さらに違法行為により得られた利益または被害者の被った損害の2倍の罰金が科される可能性もある。

わが国では、1998年の不正競争防止法改正により、外国公務員贈賄罪が導入されたが、摘発事例は少ない。他方、アメリカでは、年々、この法律の運用が厳しくなりつつあり、表1が示すように、罰金の平均は2015年から2019年にかけて20倍になっている。

表1
平均罰金額(ドル)
2015 5,376,833
2016 43,516,771
2017 51,368,770
2018 44,321,886
2019 116,044,004
Source: https://www.willkie.com/-/media/pwa/articles/cles/20200109-fcpa-year-in-review-2019/handout--fcpa-2019-year-in-review.pdf

また、1つの企業に課せられる罰金の額も非常に高額なものとなりつつある。例えば、2020年1月には、FCPA違反に問われたエアバスが40億ドルの罰金をアメリカ、フランス、イギリスへ支払うことで、アメリカ司法省と和解し、8年間にわたる捜査が終結した。この罰金の額は過去最大のものである。この事件では、数百にのぼるエアバス社の社外代理人が、日本、ロシア、中国、ネパールなど、16カ国で関係者に賄賂を送ったとされ、エアバス自らが調査を開始するとともに当局にも報告したことから調査が開始された (New York Times, 2020)。

2.前近代経済における政治と商業

伝統的な経済構造から市場経済への移行過程にある新興経済では、前近代的市場経済に存在する経済障壁が広く残存している場合が多い。そうした残存障壁の例として、古くは重商主義時代の特権商人や江戸時代の御用商人が知られる。例えば、江戸時代の海運の基礎を作り、治水・土木工事に大きな業績を残した河村瑞賢は、老中稲葉正則の菩提寺への寄進をてこに、さまざまな工事受注に成功したということである (童門, 2013)。また、田沼意次は賄賂政治として批判される一方で、その経済政策により、江戸時代中期の経済繁栄をけん引したことでも知られる(Hall, 1955)。こうした事例は、前近代的な経済においては、賄賂も恣意的な公共事業の受注の効率化に寄与したことを示す例だと考えることができる。Dastidar and Yano (2017, 2020) が示すように、現代の新興経済においても、賄賂やロビー活動には同様な効果が認められる。

3.FCPAの経済効果

本研究では、 FCPA の残存障壁温存効果を取り上げ、FCPA規制の強化の効率性や公正性への効果を分析する。海外企業と自国企業の2つからなる市場を考え、賄賂は残存障壁を低め、企業の限界費用を低下させる効果を持つと仮定する。海外企業は自国企業と比べ技術的に優位であり、他方で、FCPAの下で摘発されると罰金が科されると仮定する。FCPAの適用には不確実性が存在し、それに関する情報は海外企業のみが持つと仮定する。この仮定を数学的に記述すると海外企業(1)の費用が

(1)

\(C_1(b_1)=λ(b_1)q_1+b_1+ρ(b_1)kB\)

自国企業(2)の費用が2

(1)

\(C_2(b_2)=(c+λ(b_2))q_2+b_2\)

と書けるということである。(ここで、\(q_1\) と \(q_2\) は各企業の生産量、\(b_1\) と \(b_2\) は各企業が支払う賄賂の額である。各企業の限界費用を決定する \(λ(b)\) は賄賂の減少関数であると仮定することで、賄賂の残存障壁削減効果を記述する。海外企業の技術優位性は \(c>0\) というパラメターでとらえられ、海外企業に課せられる罰金は \(ρ(b_1)kB\) で記述される。この中で、 \(kρ(b_1)>0\) は賄賂が発覚する確率を示し、\(k>0\) はFCPA適用の厳格さを示す。

このような費用構造を仮定し、通常の差別化財のクルノー競争モデルを使うことで以下のような基礎的結論が導かれる。

1.FCPAの罰金を増加することで、海外企業の賄賂は減少するが、国内企業の賄賂は減少しない。その結果、効率性と公正性の全体で定義される市場の質はかえって低下する可能性もある。
2.FCPA のより厳格な適用は必ずしも賄賂を減少させるわけではなく、海外企業と自国企業の製品が代替的な場合、賄賂をかえって増加させる。この結果、残存障壁が低下し、かえって、市場の質の向上につながることもある。

4.結論

既存の経済学では、経済障壁のない自由市場をベンチマークにとり、そこからの乖離を分析することで、経済障壁の効果を考えるのが普通である。本研究の新しさは、新興経済の分析においては、経済障壁の存在を現状とみて、いかに障壁を下げるかという視点に立つべきだとするところにある。そのように考えると、通常否定的にとらえられる賄賂のような行為も、効率性や公正性を高めるものだとみることができる。

本論文では、新興経済に根強く残存する経済障壁に着目し、賄賂だけでなく、ロビーイングといった政治家、官僚に対する経済外的な働きかけが、市場の機能を強化する可能性を示すものである。そうした環境においては、FCPAのような海外腐敗行為を防止するルールがかえって新興経済の市場の質を低下させる可能性もある。これは、賄賂やロビーイングが残存経済障壁を除去する効果がある場合に生まれるもので、単純に、政治家に賄賂を贈ることで、単に、独占的営業権を得ようとするような場合には生まれない。

この結論からもわかるように、FCPAのようなルールの適用は、市場の質に関する効果を考慮に入れて行われる必要があるというのが本論文の意味するところである。そのためには、独占禁止法における合理の原則のように、それぞれの活動の持つ正の効果と負の効果を勘案することで、ルールの適用を定めるような基準が望まれる。

参考文献
  • Dastidar, K.G. (2017). Oligopoly, Auctions and Market Quality, Springer.
  • Dastidar, K, and M. Yano (2017). "Corruption, market quality, and entry deterrence in emerging economies," RIETI DP 17-E-010.
  • Dastidar, K, and M. Yano (2020). "Corruption, market quality, and entry deterrence in emerging economies," International Journal of Economic Theory, forthcoming.
  • Hall, John Whitney. (1955). Tanuma Okitsugu, 1719–1788: Forerunner of Modern Japan. Cambridge: Harvard University Press.
  • Yano, M. (2009). "The foundation of market quality economics," Japanese Economic Review, 60(1), 1-32.
  • 童門冬二, 2013. 江戸の賄賂, 集英社文庫