ノンテクニカルサマリー

EdTechは子供たちの学力や非認知スキルを改善するのか? カンボジアにおけるランダム化比較試験

執筆者 中室 牧子 (慶応義塾大学)/伊藤 寛武 (慶応義塾大学)
研究プロジェクト 日本におけるエビデンスに基づく政策形成の定着
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

政策評価プログラム(第五期:2020〜2023年度)
「日本におけるエビデンスに基づく政策形成の定着」プロジェクト

Ed Tech(エドテック・EducationとTechnologyをかけた造語)という言葉が聞かれるようになって久しい。コロナ禍で臨時休校が長引き、対面で行う授業が実施できない状況が続く中、公教育におけるICT環境の整備拡充を望む声は強い。政府は既に、小中学校におけるパソコン導入のために、2019年度の補正予算と2020年度の当初予算の合計で2,000億円を上回る予算措置を行っていたが、2023年度までに予定していた「1人1台環境」をさらに前倒しで行うことも発表した(いわゆるGIGAスクール構想)。

コンピュータを用いた学習が学力に与える効果についてはこれまでも数多くの研究が行われている。中でもとりわけ注目を集めているのが、カリフォルニア大学サンディエゴ校のムラリダラン教授らによる研究である。この研究は、インドのデリで行われた実験で、生徒1人に付き1台のパソコンに、企業が開発した「マインドスパーク」(Mindspark)という教育用ソフトウェアをインストールし、週に6日45分ほど用いた場合の学力への効果を測定したものである。619人の小5から中3の生徒は、くじでランダムに2つのグループに分けられた。1つは、放課後に塾で45分の講義と45分のマインドスパークを用いて勉強するグループ。もう1つは、同じ塾で90分の講義のみで勉強するグループである。このように、対象者をある介入を受けるグループと受けないグループにランダムに分けて、政策介入の効果を測定する方法を「ランダム化比較試験」という。ランダム化比較試験の研究の結果、およそ3カ月(90日間)で、マインドスパークを用いた生徒たちは、用いなかった生徒と比較して、算数の成績が0.60 S.D.、国語の成績が0.39 S.D.も高かった。

なぜマインドスパークの利用は子供たちの学力を大きく改善させたのだろうか。ムラリダラン教授らは、マインドスパークによって「習熟度に合った指導」(Teach at the Right Level:TaRL)を実現することができたからであると指摘する。実験が行われた地域は経済的に困難な家庭出身の子供も多く、自分の属している学年にふさわしい内容を十分に身に着けることができていない生徒も多くいた。同じ学年にもかかわらず、習熟のレベルが区々な中では、教員が行う一斉授業の効果は低くなってしまう。一方、教育ソフトを用いれば、生徒一人一人の習熟に合わせて個別最適化を実現することができる。  しかし、この研究は放課後に行われた補習授業で、学力の向上が、学習時間の増加によってもたらされたのか、あるいは「習熟度に合った指導」が行われたことによって学習効率が高まったのかは分からない。過去に行われた研究でも、授業「外」で補習授業として行われたコンピュータ支援学習は効果があったものの、授業「内」で行われたコンピュータ支援学習は効果があるどころか学力にマイナスの効果があったことを示した研究もある。コンピュータ支援学習を実施することを考えている国々では、人もスペースも必要になる授業外の補習ではなく、授業「内」の利用を念頭においているだろうから、授業内利用に効果があるかどうかが重要である。このためには、コンピュータ支援学習に教員が行う通常授業以上の効果が見込めなければならない。

そこで、本研究では、授業内のコンピュータ支援学習が子どもの認知能力と非認知能力に及ぼす影響を明らかにするために、カンボジアのプノンペン郊外にある5つの公立小学校の小学校1年から4年生の生徒を対象に、学校・学年別にクラスター化したランダム化比較試験を実施した。この実験では、習熟度にあった指導を行うために、日本のワンダーラボが開発したThink!Think!という教育アプリを1人1台のタブレット端末にインストールして提供し、週に6日、算数の授業で20~30分程度使用する20クラスの生徒たち(834名)と、通常の算数の授業を受ける20クラスの生徒たち(820名)を比較する。2018年5月から8月にかけて行われた最初の3カ月の介入では、コンピュータ支援学習の対象に割り当てられた生徒は、IQスコアが0.552 S.D.も向上したことが確認された。この効果はムラリダラン教授らの研究と同様に大きい。

この後、実験の対象となった児童たちが進級し、クラス替えが行われたことを利用して、再びコンピュータ支援学習の対象となるクラスと対象にならないクラスをランダムに割り当て、最初の3カ月に加え、その後の7カ月間も追加的にコンピュータ支援学習を受けた生徒群と、最初の3カ月だけでその後の7カ月は対象にならなかった生徒群、最初の3カ月もその後の7カ月も対象にならなかった生徒群を比較した。その結果、合計10カ月間(=3+7カ月)のコンピュータ支援学習を受けた生徒は0.699 S.D.もIQテストのスコアが改善した。しかし、最初の3カ月のみしか介入を受けなかった生徒の効果は剥落し、10カ月間を通して介入を受けなかった生徒との間で統計的に有意な差は観察されなかった。

本研究では、IQテストで計測できるような認知スキルだけでなく、学習意欲や自尊心といった非認知スキルにも着目した。最初の3カ月間の介入は、非認知スキルにほとんど影響を及ぼさなかった。しかし、最初の3カ月に加え、その後の7カ月間も追加的にコンピュータ支援学習を受けた生徒群の学習意欲と自尊心は改善し、加えて最初の3カ月だけ介入を受けた群も1年後には、学習意欲と自尊心は改善していた。この研究では、IQテストの結果を生徒一人一人にフィードバックしなかったため、授業中のパフォーマンスや教員の反応から徐々に自分の認知スキルの改善について自己認識するまでにタイムラグが発生し、認知スキルに遅れて非認知スキルの改善が観察されたと考えられる。結論としては、介入を継続させると、生徒の認知スキルの改善は持続するものの、一旦介入をやめるとその効果は持続しない。しかし、逆に非認知スキルに対する有意な効果は、最初の3カ月間の短期プログラムの直後には検出されなかったが、長期的には有意な効果が現れ、持続することが明らかになった。近年は、教室内で行われた介入によって自制心、忍耐力、gritなどの非認知能力が改善すること、そしてその効果がプログラム終了後も2~3年もの長期に亘り持続したことを示す研究もあり、そうした知見とも整合的である。

こうした結果を踏まえれば、コンピュータ支援学習には、かなり期待が持てるように感じられる。しかし、これを日本で導入する際には注意が必要だ。なぜなら、過去の研究には、1人1台のパソコン政策に期待された効果がなかったことを示した研究もあるからだ。ペルー、コロンビア、ルーマニアなどの国々で、それぞれ1人1台パソコンが導入されたことの効果を検証した複数の研究はいずれも学力向上には効果はないという結論になっている。特に、ペルーでは、「1人1台のラップトップ」(One Laptop per Child)という大規模な予算措置を要した政策が行われ、小学生に対して家庭用・学校用のパソコンが支給された。この結果、「1人1台のラップトップ」プログラムの対象とならなかった生徒群が生徒1人あたり0.12台と比較すると、プログラムの対象となった生徒群は生徒1人あたり1.18台のラップトップが与えられた。しかし、このラップトップには教科学習のテストスコアの上昇に貢献するような教育ソフトがインストールされていなかったので、短期でも長期でも学力を向上させる効果は検出されなかった。子供たちがPCを使う時間は大幅に増加したが、ほとんどの時間はゲームや音楽、ビデオを見ることなどに費やされた。一連の研究の含意は、1人1台政策の成否は、コンピュータの導入によって、生徒一人一人の習熟度に合った個別最適化が実現できているかどうかにかかっているということだ。学力向上に効果がなかった多くの政策は、1人1台が達成されたかどうかという手段が目標と化してしまい、生徒の習熟度に合った個別最適化をどう実現したかどうかには注意が払われなかった。今後、日本でのGIGAスクール構想を成功させるためには、コンピュータというハードウェアだけでなく、「習熟度に合った指導」が実現できるような教育ソフトウェアやアプリに着目し、よりよいサービスの開発やその効果検証、教育現場での活用につなげていくことが重要ではないかと考えられる。

表:Think!Think!がカンボジアの小学生の認知・非認知能力に与えた因果効果
表:Think!Think!がカンボジアの小学生の認知・非認知能力に与えた因果効果
(注)横軸は、ベースラインサーベイにおけるスコアを平均1、分散0となるように標準化した標準偏差である。IQテストは「田中-B式IQテスト」のクメール語訳を用い、学習意欲は櫻井・高野(1985)を、自尊心はRosenberg (1985)を用いた。