ノンテクニカルサマリー

コロナ禍における企業退出:日本の企業レベルデータに基づく実証分析

執筆者 上田 晃三 (早稲田大学)/及川 浩希 (早稲田大学)/宮川 大介 (一橋大学)
研究プロジェクト 企業成長のエンジン:因果推論による検討
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

産業・企業生産性向上プログラム(第五期:2020〜2023年度)
「企業成長のエンジン:因果推論による検討」プロジェクト

1.問題意識

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)による企業業績の悪化が注目を浴びている。こうした業績の悪化を受けて、日本国内では老舗アパレルメーカーのレナウンが倒産したほか、海外でもJ. CrewやBrooks Brothersのほか、小売業のJ.C. Penneyやレンタカー大手のHertzといった有名企業の破綻が報じられている。

しかし、各国に関するデータを確認すると、COVID-19の影響が深刻化し始めた2020年2月以降、倒産件数はむしろ減少傾向にある(図1参照)。企業救済を目的とした各種の補助金政策や、民間金融機関を含めた金融面での支援、また、倒産に係る法的手続きが滞っていることが要因とされる。

図1:倒産件数の推移
図1:倒産件数の推移
注:各図のデータはEpiq AACER(United States)、Insolvency Service(England and Wales)、東京商工リサーチ(Japan)による。各図の網掛け部分は、COVID-19の影響が顕在化した時期に対応している(日本:2020年2月以降、それ以外:2020年3月以降)。

こうした低水準の企業倒産という現下の状況を、われわれはどのように評価するべきだろうか。勿論、倒産が回避されていること自体は、少なくとも個々の企業に関係する主体にとっては好ましい。従業員は引き続き就労機会を確保できるほか、取引先や金融機関は債権の毀損を免れることができる。

しかし、倒産の回避にはコストが伴う。第一に、企業救済を目的とした前述の補助金政策には財政的な負担が伴う。第二に、取引先や金融機関の支援で倒産を回避した企業が将来的に債務不履行となった場合、債権者に損失が発生する。また、こうした金融支援が公的に行われた場合には、損失は財政的な負担となる。第三に、コロナ禍にあって本来は継続的な事業の見通しが立たない企業を一定期間にわたって救済することは、従業員を中心とする資源を非効率な形で使い続けるという意味でコストを伴う。このように、企業の退出動向を評価する際には、投入された資源(例:補助金)と得られた効果(退出の抑制)の比較が必要となる。

また、足元のデータは倒産のみを捕捉しており、休廃業を含んでいない。わが国では、コロナ以前から少子高齢化の進展に伴い、休廃業の増加が問題となっている。その動きはコロナ禍で加速した可能性があり、データに現れない形で退出が拡大している恐れも否定できない。

これらの視点から、企業の退出動向を評価するには、コロナ禍にあって「本来生じたであろう退出動向」を見極めることが必要となる。更に、異なる水準の企業業績がどのような退出動向に繋がるかをシミュレートできる仕組みが求められる。こうした準備を行うことで、まず、企業業績の悪化を受けた退出を一定の水準に抑えるために、どの程度の資源(例:補助金)を用いるべきかという「事前的な」検討が可能となる。また、実際に投入した資源がどの程度の効果を上げているかを「事後的な」観点から評価する際にもこうした仕組みは有用である。

2.分析結果

上記の問題意識を踏まえて、本研究では、企業退出の標準的なパターンを理解するためのシンプルで実証的なモデルを構築し、当該モデルの分析から得られた結果を「物差し」として実際の企業退出動向と比較することで、コロナ禍における企業の退出動向の評価を試みる。具体的には、まず、企業が退出に至るメカニズムを描写した理論モデルをコロナ禍前の時期である2019年の企業データを用いて構造推定することで、企業退出のシミュレーションを行うための準備を行った。その上で、(株)東京商工リサーチ(TSR)が実施した10,000社強に対するアンケート調査から得られた2020年2月~5月の月商に関する対前年同月比の情報を用いることで「本来生じたであろう退出動向」を見積もった。

ややテクニカルな点ではあるが、シミュレーションでは、企業が今後の売上高の見通しをどのように設定しているかが重要となる。もしコロナ禍における業績悪化がごく短期であると考えるのであれば、企業の退出は限定的な数に留まるだろう。一方、長期にわたって業績の低迷が想定される場合、相当数の企業が退出すると考えられる。本研究では、各企業の属する業種×地域において、各月の月商が対前年同月比で平均的にどのような水準にあるかを計測した上で、これらの数字の一部(κ)が「コロナ禍前の傾向的な売上高の伸び率に織り込まれる」形で企業の将来見通しが構築されるというモデルの下、幾つかのシナリオを設定した。ここでκは0から1の数値であり、0が足元の業績悪化を全く織り込まない(楽観的な)ケース、1が足元の状況が永久に続く(悲観的な)ケースに対応する。本研究で用いたベンチマークケースはκ=0.02である。これは、将来の収入に関する割引率ρを0.01とすれば、足元の業績悪化が2年程度継続するという想定に対応する。

こうした前提条件の下で計算された2020年の企業退出(退出数、退出率)の2019年実績に比しての増分は20%程度である。この結果は、最も悲観的なケースでは110%程度、最も楽観的なケースでは10%となった(表1参照)。実際のデータをみると、日本国内における企業の倒産件数は前年同月の実績に比してむしろ低水準に留まっている。ベンチマークケースで20%程度の退出増が生じるとするシミュレーションの結果を踏まえると、実際の足元のデータには、倒産のみが含まれており休廃業が含まれていないという要因もあるが、既述の制度的な要因(例:裁判所における手続きの遅れ、金融面を含む政策的な支援の効果)によって退出が強く抑制されていることが相応に影響していると考えられる。

表1:企業の退出シミュレーション結果
表1:企業の退出シミュレーション結果
注:上記のシミュレーションは割引率としてρ=0.01を採用している。

なお、本研究で構築したモデルを用いると、各ケースにおいてどの程度の補助金を用いて企業の売上高を補填すれば上記の退出増加をゼロに抑えることができるかを試算することもできる。ベンチマークの設定に基づく試算では、一度限りの補助金支出として5,000億円程度(GDPの0.1%)が見積もられる。このように、企業の業績見通しに関する標準的な想定の下でも、相応の資源が必要とされることが分かる。

3.政策的含意と今後の課題

今後、企業業績に関する追加的なデータが利用可能となることでシミュレーションの精度は改善することが期待される。また、倒産以外の態様における企業の退出動向についても捕捉が進むことで、シミュレーションと実態との間の比較もより精緻に行われるだろう。こうした取り組みを通じて、政策立案にかかる「事前的な」検討と「事後的な」政策評価が高度化されていくべきである。

「事前的な」観点から、行動制限などの政策処置に対応した感染拡大の程度については、疫学分野におけるシミュレーション結果が豊富に示されているが、政策介入の程度を変化させた場合の経済的なインパクトの試算については十分に行われていない。本研究で示したアプローチは、こうした問いに対する1つの対応例となるだろう。また、「事後的な」観点からは、既に過去に例のない規模の予算が手当てされており、こうした政策的な意思決定について今後精緻な評価が必ず求められると考える。本研究を含む経済学的視点からの検討が、政策の立案・実施・評価のプロセスにおいて有効に活用されることを期待したい。