ノンテクニカルサマリー

労働市場の柔軟性と対内直接投資

執筆者 鎌田 伊佐生 (新潟県立大学)
研究プロジェクト 直接投資および投資に伴う貿易に関する研究
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

貿易投資プログラム(第四期:2016〜2019年度)
「直接投資および投資に伴う貿易に関する研究」プロジェクト

対内直接投資(対内FDI)およびその増加は、投資受入国(ホスト国)の労働市場や労働基準の柔軟さ・緩やかさ(あるいは厳格さ)と関係があるのだろうか? ホスト国の労働コストがFDIの誘因であるならば、労働市場や労働基準が柔軟なほうが対内FDIを促進するかもしれない。他方、ホスト国の社会制度の安定性・健全性がFDIの誘因になるならば、労働市場や労働基準が厳格なほうが寧ろ対内FDIを促進するかもしれない。実際、今日までの研究は、対内FDIとホスト国の労働市場環境について上記それぞれの可能性を示唆するものや両者の間に有意な関係は見いだせないとするものが混在している状況であり、この問いに対する一致した結論は未だ得られていない。

本稿では、ホスト国の労働市場の柔軟性が対内FDIの増加に寄与しているのか否かについて、計量分析の手法により計51カ国31カ年(1985~2015年)のデータを用いて分析を行った。各国の労働市場の柔軟性についてはOECDの雇用保護規制に関する指標(注1)を用い、対内FDIについては国連(UNCTAD)のデータを用いて実質残高で計測した。また、その他のデータも全て国際機関等により広く提供されているデータを用いた。なお分析には、計量分析で広く用いられる最小二乗法による推定に加え、説明変数である雇用保護指標の内生性(例えば対内FDI増加によるホスト国の雇用保護規制へのフィードバック効果の可能性)にも配慮し操作変数法(二段階最小二乗法)と呼ばれる手法を用いた推定も行った(注2)。

その結果、表1に示したとおり、ホスト国の経済規模(GDP)、人口規模、貿易開放度、労働者の技能水準や賃金、全般的な人権状況(政治的市民的自由度)といった諸要素について統制(コントロール)しても、雇用保護規制の緩やかな、あるいは雇用保護規制を緩和したホスト国ほど、翌年の対内FDI残高がより大きく増加したという推定結果を得た。最小二乗法による推定結果によれば、指標値1%の低下に相当する雇用保護規制緩和の平均的効果は対内FDI残高の1.2%の増加であり、操作変数法による推定結果はそれよりも更に大きな対内FDI増加効果を示唆している。

表1:ホスト国の雇用保護規制が対内FDIに与える影響に関する推定結果
表1:ホスト国の雇用保護規制が対内FDIに与える影響に関する推定結果
注:DP中のTable 3より抜粋。雇用保護指標は規制が厳格なほど大きな値をとるため、負の係数値は規制が緩やかなほど対内FDI増加に寄与することを示す。なお推定には上記の他に、ホスト国のGDP、総人口、貿易開放度の逆数、労働者技能水準、実質賃金、政治的権利および市民的自由度指標、国ダミーおよび年ダミーを説明変数(統制変数)として加えた。係数推定値の下の括弧内の数字は標準誤差。係数推定値のうち太字で示したものは5%水準で、太字に下線を施したものは1%水準で、それぞれ統計的に有意な結果を表す。

さらに本稿では、このホスト国の雇用保護規制の緩やかさと対内FDI増加との関係について、ホスト国が先進国である場合と途上国である場合では違いが見られるのかについても分析を行った。具体的には、サンプルに含まれる51カ国を、分析に用いたデータの最初年である1985年時点で既にOECDに加盟していた24の“古参”OECD諸国とそれ以外の27カ国とに分け、対内FDI増加に対するホスト国の雇用保護指標の寄与を表す係数の推定値に差が見られるかの検証を試みた(注3)。その結果、表2が示すとおり、前掲の表1の推定結果に示された対内FDI増加に対する雇用保護規制の緩やかさの寄与の大半は古参OECD諸国におけるもので、その他の国々についてはその効果が明確でないという結果を得た。この推定結果は、雇用保護規制の緩やかな国においてほど翌年の対内FDI残高の増加が大きいという傾向は主として古参OECD諸国について見られるものであり、それ以外の国については必ずしも当てはまるものではないことを示唆していると解釈できる。

表2:ホスト国の雇用保護規制が対内FDIに与える影響に関する推定結果(2):“古参”OECD諸国対その他の国々
表1:ホスト国の雇用保護規制が対内FDIに与える影響に関する推定結果
注:DP中のTable 5より抜粋。“古参”OECD諸国とは1985年以前にOECDに加盟していた国々。雇用保護指標は規制が厳格なほど大きな値をとるため、負の係数値は規制が緩やかなほど対内FDI増加に寄与することを示す。交差項の係数値(負)は、その寄与が古参OECD諸国においてその他の国々の場合よりも大きいことを示している。なお推定には上記の他に、ホスト国のGDP、総人口、貿易開放度の逆数、労働者技能水準、実質賃金、政治的権利および市民的自由度指標、これら七変数のそれぞれと古参OECD諸国ダミーの交差項、国ダミーおよび年ダミーを説明変数(統制変数)として加えた。係数推定値の下の括弧内の数字は標準誤差。係数推定値のうち太字で示したものは5%水準で、太字に下線を施したものは1%水準で、それぞれ統計的に有意な結果を表す。

これらの分析から、雇用保護規制の緩やかさから見たホスト国の労働市場の柔軟性が対内FDIの増加あるいは促進に寄与していることが明らかになった。この結果自体は、経済のグローバル化が進む中で労働環境に関する所謂「底辺への競争」の可能性を示唆するOlney(2013)やDavies and Vadlamannati(2013)など最近のいくつかの先行研究と整合的であると言える。しかしながら、この傾向が見られるのは主として先進国についてであり、途上国や新興国についてはこの傾向が明らかではないというのは、興味深い結果である。但し、こうした労働市場の柔軟性と対内FDIとの関係に関する先進国と途上国・新興国の間での違いの背景や要因については本分析の範囲を超えてしまうため、それを明らかにするためには更に詳細なデータを用いた拡張研究が必要である。

脚注
  1. ^ OECD雇用保護指標(OECD Indicators of Employment Protection)。無過失解雇に係る事前通告等の手続きや解雇手当などに関する制度に対する評価に基づき、各国における雇用保護規制の厳格さを0(最も緩やか)から6(最も厳格)の数値で指標化した総合的指標。詳しくはhttp://www.oecd.org/employment/emp/oecdindicatorsofemploymentprotection.htmを参照されたい。
  2. ^ なお本稿では、対内FDIの持続性(persistence)にも配慮し、一般化積率法(GMM)と呼ばれる手法を用いたダイナミック・パネル推定も行ったが、その結果は他の2つの手法による推定結果と整合的なものであった。GMM推定およびその結果についてはDPを参照されたい。
  3. ^ 具体的には、これら古参OECD諸国であることを示すダミー変数と雇用保護指標との交差項を推定に加えることで、古参OECD諸国についてはそれ以外の国と比べて対内FDI増加に対する雇用保護指標の寄与がどの程度増減しているかについての推定を行った。
参照文献
  • Davies, R. and Vadlamannati, K. 2013. A race to the bottom in labor standards? An empirical investigation. Journal of Development Economics 103: 1-14.
  • Olney, W. 2013. A race to the bottom? Employment protection and foreign direct investment. Journal of International Economics 91: 191-203.