ノンテクニカルサマリー

貿易財・非貿易財部門間の離職率の違いを考慮したバラッサ・サミュエルソン効果の検証

執筆者 Noel GASTON (University of South Australia)/吉見 太洋 (中央大学)
研究プロジェクト 為替レートと国際通貨
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

マクロ経済と少子高齢化プログラム(第五期:2020〜2023年度)
「為替レートと国際通貨」プロジェクト

国内のさまざまな産業部門における生産性の上昇が、自国の物価や失業に与える影響を理解することは、経済産業政策という観点からも大変高い重要性を持つものである。生産性が物価に与える影響を分析する代表的なフレームワークの1つとして「バラッサ・サミュエルソン(BS)モデル」が挙げられる。BSモデルでは、貿易財部門における生産性の上昇が国内賃金の上昇を通じて非貿易財価格を上昇させ、結果として自国の物価を上昇させるという効果(BS効果)の存在を示している。BSモデルは、成長著しい国が急速な物価上昇と実質為替相場増価を経験するという現象の、背後にあるメカニズムを明らかにするものとして広く利用されてきた。

しかしながら多くの既存研究が、古典的なBSモデルがBS効果の規模を過大評価してしまうという欠点を指摘してきた。例えば、最も基本的なBSモデルのフレームワークでは、1%の貿易財部門における生産性上昇は、1%の非貿易財価格上昇を招くことが示唆される。しかしながら、Cardi and Restout (2015)は1970年から2007年のOECD諸国のデータを用いて、非貿易財価格の上昇は0.78%程度であることを明らかにしている。BS効果の過大評価は、国内産業の生産性向上政策が国内経済に与える影響を誤って推計することにつながる。したがって、こうした過大評価がなぜ起こるのか、どのようにBSモデルを改善すればこうした問題が解消されるのかを考えることが重要と言える。

本論文ではこうした問題に取り組むにあたって、産業ごとの離職率の違いに着目した。図1は米国における2018年の各産業の離職率を表している。これを見ると、Manufacturingのような代表的貿易財部門で離職率が低い一方、Leisure and hospitalityのような非貿易財部門で離職率が高いことが分かる。一方、FederalやState and localのような公的部門を非貿易財部門とすれば、離職率は貿易財部門よりも低いと見ることもできる。従来のBSモデルでは、労働者が部門間を自由に行き来することで、部門間の賃金が均一化されることが仮定されていた。しかしながら、離職率に定常的な違いがある場合、労働者を確保するために離職率の高い部門の賃金が高止まりすることが知られている(補償賃金仮説)。本論文でわれわれは、部門間の離職率の違いを考慮に入れたBSモデルを構築することで、従来のモデルにおけるBS効果の過大評価の問題が緩和されるかを検証した。

小国開放経済モデルを用いたわれわれのシミュレーション分析によれば、離職率の部門間格差が存在し、貿易財と非貿易財が補完的な関係にあるとき、1%の貿易財生産性上昇が非貿易財価格に与える影響が0.62%程度まで縮小する。この理由は以下の通りである。まず、貿易財部門の生産性上昇に伴い、非貿易財価格が上昇する(従来のBS効果)。一方、図2のパネル(i)に示されている通り、貿易財部門から非貿易財部門への労働移動が起こることで非貿易財供給が増大し、非貿易財価格の上昇を一部相殺する。このような労働移動が起こるのは、両財が互いに補完的な場合、貿易財部門の生産性上昇に伴って非貿易財価格が上昇しても、あまり非貿易財への需要が減少せず、むしろ価格上昇に伴う労働の限界生産価値の上昇によって、非貿易財部門が労働者を吸収することによる。結果、離職率の部門間格差を考慮することにより、従来のモデルにおけるBS効果の過大評価の問題が解消される可能性がある。

本論文の分析から得られる具体的な政策的示唆として、生産性と失業の関係が挙げられる。図2のパネル(ii)に示されている通り、貿易財と非貿易財が補完的な関係にある場合、非貿易財部門の生産性上昇は経済全体の失業を増大させる可能性がある。これは、非貿易財部門の価格低下により経済全体の所得が減少し、失業を増大させるという負の所得効果が存在するためである。両財が互いに代替的な関係にある場合は、非貿易財価格の低下が小さくなるため、こうした効果も小さくなり、経済全体の失業は減少する。ここから、少なくとも失業を抑えることを目的とするのであれば、非貿易財部門の生産性上昇は、貿易財と代替性の高い産業に焦点を当てる方が望ましいという示唆が導かれる。

図1:米国における産業ごと離職率(%、2018年)
図2:生産性の上昇が各部門の労働投入と失業に与える影響