ノンテクニカルサマリー

中国鉄鋼国有企業の競争中立性:補助金の影響についての因果推定

執筆者 渡邉 真理子 (学習院大学)
研究プロジェクト 現代国際通商・投資システムの総合的研究(第IV期)
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

貿易投資プログラム(第四期:2016〜2019年度)
「現代国際通商・投資システムの総合的研究(第IV期)」プロジェクト

米中貿易摩擦は、2017年8月にロス商務長官がスーパー301条の適用調査を開始したことでスタートし、2020年1月に米中貿易協定をめぐる第一段階の合意文書が発表された。トランプ政権の成立後、関税の引き上げ合戦、国防権限法の制定によるファーウェイのアメリカ市場からの締め出しと、安全保障への脅威を理由とした5G設備調達からの締め出し、といった事件を伴いながら展開していった。2019年5月に、一度合意間近と報道されながら、中国側の「国家主権に抵触する」という発表とともに、決裂する。アメリカ側は、これを受けて対中追加関税の付加、さらにはファーウェイを貿易管理上の取引制限リストであるEntity Listへ掲載するというところまで進んだ。

中国側が「国家主権に抵触する」と抵抗したのは、どの条件だったのか。正式な情報の公開はないが、アメリカと中国の双方がリークした情報では、(1)不適切な産業補助金、(2)国有企業、(3)技術の強制移転であったらしいことが伺える。さらに、公表された第一段階の合意文書では、(3)技術の強制移転への対応が発表されたが、(1)補助金と(2)国有企業の問題については、言及がなかった。このため、この2点が「国家主権に抵触する」条件に関係していたのではないか、と推測できる。

それでは、補助金と国有企業は、結局問題なのだろうか。対処する必要のない国家主権の範囲の問題なのか。それとも、適切な競争を歪め、公平な競争を損なう存在なのか。さらに、この問題は、米中の間の摩擦だけでなく、TPPやWTOといった国際通商体制の枠組みの中でも、国有企業の競争中立性の問題として、認識されるようになっている。

筆者自身は、中国の市場経済体制を考えると、国有企業と民営企業で場合わけをして理解する必要がある、と考えている。中国の憲法や共産党の綱領が定める中国の市場経済の体制は、国有企業が優先されるべき存在であり、民営企業・外資系企業は活動することを妨げない、と区別が存在することを明記している。この体制のもとでは、国有企業への補助金と、民営企業の補助金は、企業の行動、市場の競争に与える効果も異質になる。国有企業への補助金は、赤字企業の営業継続、過剰生産を可能にしてしまう、という意味で、社会に非効率をもたらす。一方、民営企業への補助金のもたらす効果は、異なる傾向を示す。新しい技術を生み出し、産業を育成することにつながるのであれば、厚生を高める効果があるが、補助金の規模と効果によっては、非効率性が大きくなる。こうした効果は、実証的に検証されるべき問題である。

本論文は、補助金の効果のうち国有企業への補助金がもたらす非効率性を検証する試みである。対象は、過剰生産能力が問題視された鉄鋼産業の事例である。

中国の鉄鋼産業は、2008年から過剰生産により赤字に陥る企業が増え、2015年には、1,2社の例外を除き、上場鉄鋼企業のほとんどが赤字となった。この景気後退期に注目し、補助金の供与が市場の競争にどのような影響をもたらしたのか、を検証した。中国国内で上場している鉄鋼企業について本業である鉄鋼産業の利潤および受け取った補助金、2008年から2015年の上場企業財務報告および21種類の鉄鋼製品別の価格とコストのデータを接合して分析を行った。この期間に鉄鋼上場企業はのべ44社存在し、そのうち価格とコストのデータと接合できた企業は13社であった。

景気後退期に、本業の鉄鋼産業での赤字を上回る補助金を受け取った場合、「救済」があったと定義する。この「救済」を受けた企業は、それを原資に、ライバルを市場から淘汰させるために資源配分をゆがめるような価格設定をしているのであろうか。さらに、その行為は、政府との関係が近い国有企業とそうではない民営企業とでは異なるのであろうか。

図からは次のような傾向が観察できる。「救済」を受けた国有企業の設定する価格は、救済を受けていない国有企業平均よりも低い。一方、民営企業について「救済」が価格設定にもたらす効果を観察すると、その設定する価格は、「救済」を受けていない民営企業よりも低いとはいえない。

図:「救済」を受けた企業は低価格をつけているか?
図:「救済」を受けた企業は低価格をつけているか?
(出所)本論Figure 6

以上の観察を統計的に因果関係として検証するために、前記に受け取った補助金が低い価格設定の原因となっているかを検証する差と差の推定を行った。前年に補助金を受け取った国有企業の、翌年の営業利益と設定する鉄鋼製品の価格とは、受け取った補助金の額と負の相関をもつという推定結果となった。補助金が1%増えると国有企業の設定する価格は平均で0.06%低下する。補助金を通じた救済と価格の間には、正のバイアスが存在すると疑われる。それでも、救済が価格に負の影響を与えたことを確認できた。民営企業の場合は、受け取った補助金額と設定する価格の間に統計的に有意な相関関係を確認できなかった(本論Table8)。中国の国有企業に関しては、補助金協定(Agreement on Subsidies and Countervailing Measures)が是正を求める補助金により国内市場価格を引き下げる損害が存在していることを示唆している。

以上の考察から、次のことが言える。まず、アメリカが問題とした補助金は、市場に損害を与えている可能性が高い。しかしその効果は、国有企業と民営企業とでは異なっている。本論で検討した限り、国有企業への補助金が過剰生産能力をもたらすメカニズムは存在し、これは鉄鋼産業に限らず、半導体などハイテク技術の量産化のプロセスで同じような問題を生む可能性がある。こうした問題を未然に防ぐ意味でも、WTO体制のなかでも補助金協定の規定に従って、改善を求めることは必須である。しかし、民営企業への補助金には、そうした傾向が見られない。これは、鉄鋼産業についての本稿の分析からも確認できる。

この違いを区別せず、民営企業であるファーウェイへの補助金をことさら取り上げるアメリカの問題設定は、問題の解決につながらない。さらに、WTO体制自体を否定しようとするアメリカの行動は、自ら異議を唱えていた中国の不適切な行動に制約を加えることのできる枠組みを、自らぶち壊すことが愚策であることは言うまでもないだろう。