ノンテクニカルサマリー

日本の金融政策:平成時代の回顧

執筆者 髙橋 亘 (大阪経済大学)
研究プロジェクト 産業再生と金融の役割に関する政策史研究
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

政策史・政策評価プログラム(第四期:2016〜2019年度)
「産業再生と金融の役割に関する政策史研究」プロジェクト

本稿では、バブルの崩壊とその後のデフレの時代の約30年間に当る平成時代の日本の金融政策を論じている。

バブルの生成・崩壊については、プラザ合意以降の政策協調による拡張的な金融財政政策を原因とする仮説のほか、その後の米国のサブプライム危機と同様に海外からの資金フローが金融システムに影響した仮説も紹介した。また、バブルを金融システム面から着目すると、当時、時代遅れとされた窓口指導などの政策を活用すべきであったとの議論ができる。さらに、本稿では、計量的な分析でもバブルは完全には解明できないなど、バブルの理論的な解明はいまだ不十分であることも示した。バブル時代の政策は、バブルについての理論的な解明が不十分な中で、中長期の経済構造の変化に対して短期的な金融財政政策で対応した不適切な面があったが、これは、その後のデフレ時代の政策対応にも当てはまる重要な教訓であると思える。

デフレ時代の金融政策は、非伝統的な金融政策の拡大と性格づけられる。本稿では、非伝統的な政策の拡大を「金融政策の規律」の緩みの拡大として整理した。「金融政策の規律」とは、政策で市場機能を活かすための工夫である。日本は戦後、金融政策の規律を高める方向で進めてきたが、非伝統的な金融政策は、それを逆方向に動かした。なお、本稿では非伝統的な金融政策の手段であるフォワードガイダンスには規律を緩める側面があること、一方インフレターゲットは、金融政策の新たな規律であるが、インフレターゲットについての日本銀行の迷走から規律として働かなかったと論じている。

また、本稿では、財政政策についても、1998年以降財政均衡法案が停止するなかで、規律が緩む過程と性格づけた、金融政策との関係では、財政債務が金融政策を制約する「財政支配」の状態に陥っているといえる。

日本銀行は、平成時代の1998年に独立した中央銀行として再出発した。そこで、本稿では、中央銀行の独立性の問題も論じている。中央銀行の独立性を巡っては、デフレなどのさまざまな環境変化が起こっている。中央銀行の独立性のための条件である金融政策と財政政策の規律も緩んでいる。中央銀行の独立性と金融政策については、日本銀行が独立性を意識しすぎたためデフレへの対応が遅れた「独立性の罠」に陥っていたとの批判がされているが、現状は、インフレ目標を2%と高すぎる水準に設定したため、金融政策の規律としても働かない「2%の罠」に陥っていると論じている。

なお、中央銀行の独立性については、中央銀行には、中長期的・非政治的な立場から政府の政策を牽制し、法的な枠組みの中でチェック・アンド・バランスを働かせる役割があり、環境が変化しても引き続き重要であると論じている。

潜在成長力の推移(出典:日銀)
潜在成長力の推移(出典:日銀)

過去20年、日本に欠けていたのはむしろ中長期的な構想力ではないか。日本政府は過去20年、規制緩和を中心に成長戦略を練ってきたが、その成果はミクロレベルにとどまっており潜在成長力の十分な嵩上げには寄与できていない。成長戦略としては、むしろ近隣アジア諸国との経済統合を積極的に進めていくべきであっただろう。

日本経済にとって重要なのは、生産性の向上による潜在成長力の上昇である。金融政策の効果が向上するのも、財政再建が進むのもこの潜在成長力の上昇が前提となる。日本銀行の本来の力が発揮されるもこうした問題に対処する中長期的な政策の立案である。