ノンテクニカルサマリー

「新時代の日本的経営」の何が新しかったのか?―人事方針(HR Policy)変化の分析―

執筆者 梅崎 修 (法政大学)/八代 充史 (慶応義塾大学)
研究プロジェクト 労働市場制度改革
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

人的資本プログラム(第四期:2016〜2019年度)
「労働市場制度改革」プロジェクト

人事管理の1995年

1995年は、日本型雇用システムの歴史を考える上で見逃すことができない年である。日本経営者団体連盟(以下、日経連)が、1993年に「新・日本的経営等研究プロジェクト」を立ち上げ、委員会での議論の末に1995年に『新時代の「日本的経営」-挑戦すべき方向とその具体策』(以下、「新時代の日本的経営」)を刊行した。

人的資源管理(Human Resource Management)の代表的テキストによれば、「新時代の「日本的経営」」が提示した雇用ポートフォリオ(正確には、自社型雇用ポートフォリオ)は、それまでの日本的雇用慣行の基本方針を変えたと説明されている。雇用ポートフォリオとは、企業が与えられた経営環境の中で選択した事業戦略の下で、業務の効率を測るために雇用する人材、仕事を組み合わせる人事施策(HR Practices)、およびそれらの基礎となる人事方針(HR Policy)を意味する。

梅崎(2018)では、人事方針について以下のような時期区分を提示した。㈠の混乱期は、まだ具体的な人事施策と結びついた人事方針が曖昧な時期であるが、続く1950年代以降は、能率給・職務給、職能資格・職能給、成果主義という3つの人事方針・人事施策を確認できる。

㈠ 労使関係の混乱期(1945-1950年)
㈡ 職務を軸とした「職務主義」の時代(1950年代前半-1960年代)
㈢ 職能を軸とした「能力主義」の時代(1970-80年代)
㈣ バブル経済崩壊後の「成果主義=新時代の日本的経営」の時代(1990年代以降)

語られた人事の思想

本研究では、人事方針の分析に主に日経連の報告書と日経連事務局を中心としたオーラルヒストリーを使った。オーラルヒストリーとは、聴き手と語り手の共同作業によって、語り手が経験した過去の出来事を語り(narrative)の形で記録に残すこと、またそうして保存された口述資料のことである。以下の図に示したように、人事方針は企業の具体的な人事施策の背景にある「思想」と言えよう。本研究では、1995年前後において日経連が主導した日本企業の人事方針の変遷を当事者の語りや文書資料の中から発見することができた。

図:戦略的人的資源管理における位置づけ
図:戦略的人的資源管理における位置づけ
資料)岩出(2002)。

まず、これまで「新時代の日本的経営」は、「雇用ポートフォリオ」の起源として総人件費削減や雇用不安と関連付けられて繰り返し批判されてきたが、歴史資料の分析に基づけば、日経連による「雇用ポートフォリオ」は、バブル経済期の1980年代後半にフロー人材とストック人材の2分類として提示されていた。つまり、人事方針の次元では、経営業績が悪化によって雇用ポートフォリオが生まれたという歴史は確認できない。さらに、「新時代の日本的経営」も、1970-80年年代の人事方針である「長期的な視野」と「人間尊重(=人材育成側面の重視)」という日経連の人事方針に関しては継承すべきという立場を明確に打ち出していた。

「新時代の日本的経営」の人事方針としての新規性とは、次の図に示したように自社型雇用ポートフォリオというモデルによって「高度専門能力活用型グループ」の拡大を提案したことであろう。すなわち、企業内で新卒採用者を育成するという「長期蓄積能力活用型」とは別のやり方で、高付加価値人材を企業内に確保するビジョンを示したのである。このような2分類から3分類への変更という新規性は、職能主義から職務主義への移行を伴うものであった。

図:自社型雇用ポートフォリオ
図:自社型雇用ポートフォリオ
資料)『新時代の「日本的経営」』

しかし、事務局内でも全員が3分類を強く支持していなかったことも推測される。加えて、2000年代前半時点では「高度専門能力活用型グループ」の拡大は確認できないので、「高度専門能力活用型グループ」は人事方針として提示されても人事施策としては機能してないと言える。

実現不可能な理想か、早すぎた理想か

人事施策としての「新時代の日本的経営」は、「実現不可能な理想論」であったと言えるかもしれないが、「早すぎた理想論」とも言える。むしろ人事方針としての「新時代の日本的経営」は、2000年以後の日本企業の人事を考えると、常に形を変えて、現在も繰り返し議論されてきたと言えよう。すなわち、高付加価値人材とは誰であり、如何にその人材を確保すべきなのかという課題は残されている。例えば、Arthur & Rousseau (1996)は、伝統的な組織内キャリア(organizational career)に対するアンチテーゼとした転職を含めたバウンダリーレス・キャリア(boundaryless career)という新しいキャリア形成に注目している。昨今の企業間の移動を含んだキャリア形成が、企業内特殊熟練とは違う高度な能力を獲得できるならば、『新時代の「日本的経営」』は消えていった人事方針ではなく、再評価され、具体的には、HRM of Knowledge workersの人事方針(Alvesson(2004))として再検討されるべきであろう。

参考文献
  • 岩出博(2002)『戦略的人的資源管理の実相-アメリカSHRM論研究ノート』泉文堂
  • 梅崎修(2018)「日本的雇用慣行の人事方針形成史―オーラルヒストリーによる探索」『三色旗(慶應義塾大學通信教育部)』No.817 pp.10-17
  • Alvesson,M.(2004) Knowledge Work and Knowledge-Intensive Firm, Oxford University Press.
  • Arthur, M.B., & Rousseau, D.M.(1996) The Boundaryless career: A new employment principle for a new organizational era, Oxford:Oxford University Press.