ノンテクニカルサマリー

市場の質理論とコースの定理:取引費用の役割

このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

法と経済プログラム(第四期:2016〜2019年度)
「市場の質の法と経済学に関するエビデンスベースポリシー研究」プロジェクト

所有権や基本的取引ルールが定まらない新しい経済資源として、デジタルデータの重要性が急速に増大している。そういう現状の中では、コースの定理の重要性が再び増大せざるを得ない。よく知られているように、所有権が確定していない新しい資源には、外部性が発生する。取引費用が無視できる場合、所有権さえ確定すれば、外部性は当事者の自発的な交換を通じて解決される(外部性が内部化される)というのがコースの定理が示すところである(コース、1960)。コースの定理は所有権の確定と自発的交換を通じた資源配分の関係だけに着目したものなので、取引費用を無視することに何の問題もない。しかし、取引費用が存在しないという仮定はきわめて非現実的である。取引費用が存在しなければ、物々交換の連鎖を通じて、完全競争的な市場均衡と同じ資源配分が達成されるのだから、市場も市場を支える法律や規則も不必要だというのがコース (1988) の指摘である。

本論では、取引費用が無視できない場合に着目し、新しい経済資源に関する所有権やその他のルール設定が、取引費用や市場の質に対し、どのような影響を持つかという既存研究にはない、全く新しい問題に取り組むものである。市場の質というのは、通常の効率性に公正性の概念を加え、市場機能を規範的視点から評価するために開発された指標である(Yano, 2009)。市場の質理論における公正性の概念は、英語の代表的辞書であるWebster (1961)(注1)の定義に基づき、広く受け入れられ、確立されたルールの順守の度合いとして定義され、Yano (2008, 2009) では、競争上公正性と呼ばれる。取引費用については、コース(1937)、アロー(1970)、ダールマン (1979)、ウィリアムソン (1996) など、さまざまな研究で取り扱われてきている。しかし、既存研究では、既存の市場に存在する取引費用や組織内で内部化される取引費用に力点がおかれ、新たな資源の市場創設にかかわるものは考えられてきていない。本論文では、ダールマンによって整理された三つのタイプの取引費用に市場創設と関わる二つ取引費用を加え、以下の取引費用に着目する。

  1. 集合と集中費用(participation and concentration costs)
  2. 探索と情報費用 (search and information costs)
  3. 交渉と意思決定費用 (bargaining and decision costs)
  4. 執行と監視費用 (policing and enforcement costs)
  5. 意識形成とコンプライアンス費用 (awareness and compliance building costs)

(このうち、2から4はダールマンによって提示されたものであり、1と5は本論文で新たに導入されたものである。)

本論の第一の目的は、上でも触れたように、新たな資源の取引に関するルールに着目し、適切に設定されたルールが取引費用を縮小し、形成される市場の質を高める効果を持つこと、さらに、他方で、不適切なルールは取引費用を高め、市場の質を低下させるという事実を過去の事例に基づいて示すことにある。不適切なルールが集合と集中費用を高め、市場の質を低下させた例として、我が国の最高裁が隣接地を通る日照が妨げられたことで生まれる損害の賠償請求権を認めた日照権判断や一山取引のようなアドヒッション契約の許容がある。こうした事例では、新しい経済資源に関する不適切なルール設定が、その後に形成される市場の集中度を高め、非効率的な資源配分や不公正な価格設定に帰着したことが示される。また、適切なルールが意識形成とコンプライアンス費用を低め、市場の質の向上につながった例として、経営者による企業売却のルールを定めた Revlon v. MacAndrews (1986) 判決や blanket licensingと呼ばれる音楽の放送権の一束取引(注2)に関する Broadcast Music v. CBS (1979) 判決がある。前者の判決は、企業経営者の一般的被信任義務に関するテスト (entire fairness test) の形成に、後者は、技術標準契約におけるFRAND条項の形成に、大きな影響をもち、それが市場の質の向上につながったことが示される。

本論の第二の目的は、競争上公正性の基準となるルールを明らかにすることにある。Yano (2009) では、競争上公正性の基準として、

第一原則.私的財産権
第二原則.自発性原則
第三原則.無差別性原則

という市場に関する三つの原則が提唱されている。第一原則、第二原則については、広く経済社会で受け入れられてきた原則であることは言をまたない。他方、第三原則は、Yano (2009) において新たに提示されたものである。したがって、Webster に従い競争上公正性を定義する限り、広く受け入れられ、確立されたものであることが確認されなくてはならないにも関わらず、手付かずのまま残されてきた。

本論では、無差別性原則の基礎をマグナカルタ41条に求めることができることが示される。マグナカルタ41条は、外国の商人を自国の商人と無差別に取り扱うという規定である。この規定は、モンテスキュー・ブラッドストーン論争を通じて、その根拠が8世紀、9世紀ごろの北欧の商取引に関する格言に求められることが明らかにされるなど、非常に大きな影響を与えたものである(Montesquieu (1748), Blackstone (1756))。さらに、独立性戦争直後のアメリカ最高裁は、戦前の英国人からの借金の返済義務を認めたGeorgia v. Brailsford (1794) 判決でも判断の根拠とされている。また、Acebal v. Levy (1834) and Hoadly v. M'Laine (1834)という二つのイギリス法廷の判決では、無差別性原則が、より市場の機能を密接な形で採用されている。この二つの判決では、価格に触れずに締結された取引契約での価格が、当事者とは別の場で同様の製品が取引された場合の価格であるという見方が打ち出されている。イギリスの判例の中には、それ以前にも、合理的な価格に言及したものもある。しかし、具体的に何をもって合理的な価格とするかについては触れられていない。また、その後も、1893年の物品取引法 (Sales of Goods Act) やマーシャルの経済学原理(Marshall, 1890)など、合理的な価格、フェアな価格、正常利潤といった考え方に触れた文献もある。しかし、いずれも何をもって、合理的・フェア・正常などと考えるかについて具体的な説明が与えられておらず、この意味で、Acebal v. Levy (1834) and Hoadly v. M'Laine (1834) という二つの判決は時代の先を行く画期的なものであったとみなせる。その後、20世紀に入ってからは、当事者の取引を通じては定まらない価格について、当事者とは別の場で同様の製品が取引された場合の価格とする見方はfair market value (FMV) や transfer pricing の分野で広く採用されるようになっている。さらに、上述の、entire fairness test やFRAND条項などでも採用されている。こうしたルール形成の歴史を通じて、本論では、Yano (2009) の言う無差別性原則を市場を律するルールの柱の一つとして扱うのが妥当だという結論が導かれる。

本論の第三の目的は、競争上公正性損失という競争上不公正性の尺度を提示することにある。そのために、裁定という経済活動を、市場に存在する取引費用のもとで、現状の市場から利潤機会をもとめる活動と定義し、さらに、取引費用が存在する市場での均衡を裁定機会が使いきられている状態であると定義する。その上で、現状の取引費用を縮小したときに、創出される裁定機会の大きさと取引費用の縮小費用の差額で均衡の競争上公正性が定義される。この定義に基づいて、一束取引やM&A市場での取引のモデルを構築し、そこでの競争上公正性損失の大きさが解説される。

脚注
  1. ^ Webster's Third New International Dictionary of the English Language, Unabridged (1961)
  2. ^ 経済学的にはバラバラなものを一束に束ねた取引のこと。これが許されると、独占的一次価格差別(first degree monopolistic price discrimination)と同じ効果を持つ。このような取引は英語ではbundlingと呼ばれ、一山取引とも呼ばれる。
参考文献
  • Arrow, Kenneth (1970). "The Organization of Economic Activity: Issues Pertinent to the Choice of Market versus Non-market Allocation. In Public Expenditure and Policy Analysis," eds. R. H. Haverman and J. Margolis, 51–73. Chicago, IL: Markham.
  • Bingham, Peregrine (1834). Reports of Cases Argued and Determined in the Court of Common Pleas and Other Courts, Vol. X.
  • Blackstone, William (1756). Commentaries on the Laws of England.
  • Coase, Ronald (1937), "The Nature of the Firm," Economica, 4, 386-405.
  • Coase, Ronald (1960). "The Problem of Social Cost," Journal of Law and Economics 3 (1): 1–44. 1960. doi:10.1086/466560
  • Coase, Ronald (1988), The Firm, the Market, and The Law, University of Chicago Presss, Chicago.
  • Dahlman, Carl J. (1979). "The Problem of Externality," Journal of Law and Economics. 22 (1): 141–162. doi:10.1086/466936. ISSN 0022-2186.
  • Marshall, Alfred (1890). Principles of Economics, MacMillan, London.
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  • Williamson, Oliver (1996), The Mechanism of Governance, Oxford University Press, New York.
  • Yano, Makoto (2005a). Shitsu no Jidai no System Kaikaku (System Reform in the Era of Quality), Iwanami, Tokyo.
  • Yano, Makoto (2008). "Competitive Fairness and the Concept of a Fair Price under Delaware Law on M&A," International Journal of Economic Theory 4-2, 175-190, 2008.
  • Yano, Makoto (2009). "The Foundation of Market Quality Economics," The Japanese Economic Review 60-1, 1-32, 2009.
  • Yano, Makoto (2017), "Law and Economics on Market Quality," RIETI Highlight 63, 2-6.
  • Yano, Makoto, Chris Dai, Kenichi Masuda, and Yoshio Kishimoto (2019). Blockchain and Crypt Currency: A High-Quality Marketplace for Crypt Data, Springer, forthcoming.
判例
  • Acebal v. Levy (1834), in Bingham (1834).
  • Broadcast Music, Inc, v. CBS (1979), No. 77-1578.
  • Georgia v. Brailsford (1794), 3 U.S. 1. (1794).
  • Hoadly v. M’Laine (1834)), in Bingham (1834).
  • Japanese Supreme Court on Sunshine Right, see Minshu 26/5/1067 (1972).
  • Revlon, Inc. v. MacAndrews & Forbes Holdings, Inc., 506 A.2d 173 (Del. 1986)