ノンテクニカルサマリー

自由貿易協定税率の利用コスト

執筆者 早川 和伸 (アジア経済研究所)/神事 直人 (ファカルティフェロー)/松浦 寿幸 (慶應義塾大学)/吉見 太洋 (中央大学)
研究プロジェクト 貿易自由化政策の効果に関する研究:90年代以降の日本に関するミクロデータを用いた分析
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

貿易投資プログラム(第四期:2016〜2019年度)
「貿易自由化政策の効果に関する研究:90年代以降の日本に関するミクロデータを用いた分析」プロジェクト

日本を含むアジア太平洋地域の11カ国が参加するTPP協定(いわゆる「TPP11協定」)が2018年の年末に、妥結まで5年を要した日EU経済連携協定(EPA)が2019年2月に発効したこともあり、自由貿易協定(FTA)または経済連携協定(EPA)に注目が集まっている。一般に経済連携協定(EPA) が発効すると、それらの協定で定められた特恵税率が自動的に適用されると誤解されているかもしれない。実際は、域外国企業による域内国を迂回した特恵税率の利用を防ぐため、輸出企業は当該協定で定められた「原産地規則」を満たすことが求められる。原産地規則とは、製品の原産地を規定するルールであり、域内の中間財調達率や生産工程について定めたものである。そして、輸出企業は原産地規則を満たしていることを証明するための原産地証明書を取得することが義務付けられている。

原産地規則を満たすことを証明するにあたって、以下二通りの費用が発生すると考えられる。第一に、原産地規則を満たすために、部品の調達先を域外企業から域内企業へ変更するならば、生産にかかる可変費用が上昇することになる(中間財調整コスト)。第二に、原産地証明書を取得するためにさまざまな文書を揃える必要があり、それらは固定費用となる。したがって、制度利用にかかる可変費用、固定費用がEPA税率利用のメリット、すなわち最恵国待遇(MFN)税率とEPA税率の差を上回るのであれば、EPA税率を利用するメリットはない。そのため、EPA税率の利用に実際どの程度の費用がかかっており、またその費用を下げることで、どの程度EPA税率の利用を促進できるのか、という点は政策的にとても重要となる。

本稿では、生産性が不均一な輸出企業が関税率を選択する国際貿易モデルに基づいて、こうしたEPA関税率の利用に伴う可変費用と固定費用を計測した。ただし、固定費用については、その絶対額を計測するのではなく、一般的に輸出するとき、つまりMFN税率を用いて輸出するときにかかる固定費に比べ、どの程度の追加的固定費が必要となるか、という比率(固定費比率)を計測している。このように、EPA利用に伴う可変費用と固定費用を区別して計測した研究は本稿が初めてである。

本稿の分析には、日本の品目別EPA利用状況別の輸入データを利用した。EPA利用にかかる費用をできるだけ正確に計測するために、輸出元は日本と二国間EPAのみを結んでいる国(スイス、チリ、インドネシア、インド、メキシコ、ペルー)に絞った。計測は製品ごとに行っておりその推計値は輸出国ごと製品ごとに異なるが、中位数でみると、中間財調整コストは1.02、すなわち製造原価の2%程度であった。また、国別にみるとスイスからの輸出時に低く、インドネシアからの輸出時に高いことも分かった。一方、固定費比率は中位数ベースで0.08程度と計測され、これはEPA利用時に8%程度の追加的固定費がかかることを示している。国別ではメキシコからの輸出時に高く、チリからの輸出時に低いことも分かった。

こうして計測されたパラメータを用いて、コスト削減のEPA利用率(総輸出額に占めるEPA税率による輸出額のシェア)に対する影響についてのシミュレーション分析を行った。それらの結果が輸出国別に下図に示されている。第一に、EPA利用のための固定費が半減すると、中位数で22%ポイント、EPA利用率が上昇することが分かった。国別に効果をみると、ペルーからの輸出において大きく、インドネシアやチリからの輸出において小さい。第二に、原産地規則を廃止し、中間財調整コストが完全に除去されると、中位数で20%ポイント程度、EPA利用率が上昇する。国別の傾向は先のシミュレーション結果同様、ペルーからの輸出において大きく、インドネシアやチリからの輸出において小さい。

図:EPA利用率に対する効果(%ポイント、中位数)
図:EPA利用率に対する効果(%ポイント、中位数)

以上を整理すると以下のようになる。まず、EPA税率を利用するには、中位数ベースで、製造原価の2%程度の可変費用と、8%程度の追加的固定費がかかっている。また、追加的固定費を半減させることと、原産地規則を廃止することが、EPA利用率に対して同程度の効果を持つことが明らかとなった。迂回輸出を防ぐためにも原産地規則を廃止することは現実的でないが、そのような極端な政策と同等の効果を原産地証明書取得コストの半減が実現できると言える。すなわち、EPA利用率を上げるうえで、「原産地証明書取得コスト」の削減が現実的かつ効果的な政策と言える。