ノンテクニカルサマリー

雇用コストと労働需要

執筆者 朝井 友紀子 (早稲田大学)
研究プロジェクト 人的資源有効活用のための雇用システム変革
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

人的資本プログラム(第四期:2016〜2019年度)
「人的資源有効活用のための雇用システム変革」プロジェクト

出産前後の女性の就業継続は日本社会の抱える大きな課題である。出産後に子どもと過ごす時間を優先するため離職を選択する女性もいる一方で、仕事と子育ての両立が難しいために職場復帰を断念せざるを得ない女性も多数いる。国立社会保障・人口問題研究所(2005)によると、第一子の出産前に就業していた女性のうち、60%の女性が、子どもが1歳になる前に離職を選択している。育児をする労働者の仕事と家庭との両立を推進し、出産後の就業継続率を上昇させるため、政府は1990年代から出産前後の就業継続を支援する制度の充実に取り組んできた。しかしながら、OECD諸国の中で比較的手厚い制度を作り上げてきたにも関わらず、女性就業率はOECD平均を下回っている。日本の25歳から49歳の女性の就業率は約65% であるが、OECD諸国と比較すると約10ポイント低い。また、3歳以下の子どもを持つ女性に限ると就業率は約30%と、他のOECD諸国と比較すると約30ポイント低い(OECD, 2011)。女性の就業継続を困難とする要因としては、保育所の利用可能性が低いこと等様々な要因を挙げることができるが、本研究では社会保険料をはじめとする雇用におけるコストの中でも女性の労働需要に影響を及ぼすと考えられる産休・育休中の社会保険料に焦点を当てる。

出産前後の女性は3.5か月間の産前産後休業と10ヶ月の育児休業を取得することができる。休業制度は、職場復帰を保障し、女性が企業との雇用関係を維持しながら、出産前後に子どもと過ごすことを可能とする。休業期間中には健康保険と雇用保険から給付金が支払われることから、企業が休業中の所得を補償する必要もない。しかしながら、社会保険料は休業中も納め続ける必要があったため、企業の金銭的な負担は少なからずあった。つまり、休業を取得するのがほぼ女性に限られているという日本の状況下で、休業中の社会保険料という雇用コストを考慮したとすると、女性を雇用することのコストが男性を雇用することのコストよりも高くなる可能性がある。もし、企業が雇用コストに敏感であるとすれば、産前産後休業と育児休業中における雇用コストの男女差が、女性の賃金と雇用を抑制していた可能性がある。

近年、休業する女性と女性を雇用する企業の負担を軽減するため、それぞれ育児休業中と産前産後休業中の保険料が免除されることになった。図1は、保険料の改正前後の保険料の企業負担分を図示したものである。縦軸は企業が負担する保険料率(月あたり)を表し、横軸は出産した月をゼロとした時点からの経過月数を表す。オレンジの点線が2000年の改正前であり、企業は休業する女性一人につき休業前賃金の約13%の保険料を休業期間中に負担していた。2000年の改正では、育児休業中の厚生年金保険料が免除され、企業の保険料負担が大きく下がった(赤色の実線が2000年の改正後の保険料率を表す)。さらに、2001年の改正では育児休業中の健康保険料が免除された(緑色の点線)。さらに、2014年の改正では産休中の厚生年金保険料と健康保険料が免除された(青色の実線)。これらの改正により、休業中の雇用コストが大きく引き下がった。女性の雇用コストの引き下げは、女性の労働需要を引き上げ、女性の賃金と雇用を上昇させることが予測される。また、非正規労働者は休業制度の利用可能性が低いことから、企業が雇用コストを削減するために女性を非正規雇用していたとすれば、女性の正規雇用が増加することが予測される。

本研究では賃金構造基本調査を用いて、社会保険料の改正による雇用コストの引き下げが女性の賃金、雇用に及ぼした影響の検証を行った。日本の社会保険システムでは企業と労働者が雇用コストの上昇に伴い、保険の種類を変えることができないことから、因果関係の検証にあたり自己選択による影響を排除することができる。分析の結果、以下のことが明らかになった。休業期間中の保険料負担が免除されたことで、女性の雇用コストが大きく下がった結果、企業における若年女性の正規労働者としての採用が増加し、賃金にも若干の改善が見られたことがわかった。本分析結果から女性の雇用コストの引き下げは、女性の待遇の改善をもたらし、男女賃金格差の是正に貢献する可能性があることが示唆された。

図1:改正前後の保険料の企業負担分
図1:改正前後の保険料の企業負担分
注:縦軸は休業中に企業が負担する保険料率(月あたり)を表し、横軸は出産した月をゼロとした時点からの経過月数を表す。灰色部分は産前産後休業期間を表す。オレンジの点線が2000年の改正前、赤色の実線が2000年の改正後、緑色の点線が2001年の改正後、青色の実線が2014年の改正後を表す。2000年の改正前は、企業は休業前賃金の約13%の保険料を休業中も負担していた。
参考文献
  • 国立社会保障・人口問題研究所(2005) 出生動向基本調査
  • OECD Family database(2011)