ノンテクニカルサマリー

企業の教育訓練投資と生産性

執筆者 森川 正之 (副所長)
ダウンロード/関連リンク

このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

その他特別な研究成果(所属プロジェクトなし)

1. 背景

生産性向上による日本経済の潜在成長率の引き上げが大きな政策課題とされる中、政府は「人づくり革命」を成長戦略の柱の1つとしている。就学前および学校教育に係る費用負担の軽減が中心になっているが、所得拡大促進税制や人材開発支援助成金の拡充など、企業の教育訓練投資を促進するための施策にも拡がっている。

これらの政策は、企業による教育訓練投資が社会的に望ましい水準に比べて過小であるという前提に立っているが、企業の教育訓練投資が過小かどうかは、教育訓練の性質(汎用的/企業特殊的)、教育訓練の生産性への貢献の大きさ、投資の果実の企業と労働者への分配、資本市場・労働市場の不完全性などさまざまな要因に依存する。

また、現実の教育訓練投資がどの程度企業の生産性を高める効果を持っているのかは、実証的な分析が必要である。しかし、日本企業を対象とした教育訓練に関するこれまでの研究は、ケーススタディや少数の企業を対象としたクロスセクション分析が大部分である。また、サービス産業の生産性向上が大きな課題となっている中にあって、製造業とサービス産業における教育訓練投資の効果を比較した研究は海外でも稀である。

2. 分析内容

こうした状況を踏まえ、本研究は日本企業の大規模なパネルデータを使用し、企業の教育訓練投資(Off-JT)を通じた人的資本ストックの質の向上と生産性・賃金の関係を定量的に分析する。本研究の特長は、教育訓練ストックのパネルデータを構築し、製造業とサービス産業を区別して分析するとともに、教育訓練の生産性への効果と賃金への効果とを定量的に比較する点にある。

3. 分析結果と政策含意

推計結果によれば、第一に、教育訓練ストックは、生産性に対して有意なプラスの貢献をしており、教育訓練ストックが1%多くなると労働生産性が約0.03%高くなる関係である(図1参照)。教育訓練ストック額は付加価値額に比べて非常に小さいので、収益率に換算すると有形の資本設備に比べてかなり高い数字になる。日本企業ではOJTが重要な役割を果たしていると考えられてきたが、Off-JTも生産性に強く関係する無形資産投資である。

第二に、生産性や賃金の教育訓練ストックに対する弾性値は、製造業に比べてサービス産業の方がずっと大きい。この結果は、サービス企業において人的資本投資が過小になっている可能性が高いことを示唆している。

第三に、企業による教育訓練投資の収益は、企業と労働者に対して、それぞれの生産への貢献(分配率)に見合った割合で帰属している。この結果は、教育訓練の生産性への効果が賃金への効果よりも大きいとする海外の先行研究とは異なっており、日本では企業負担による教育訓練投資のリターンのうち、比較的大きな部分を労働者が獲得していることを示している。

以上の結果は、企業の教育訓練投資を促進するための政策が、特にサービス分野の企業の生産性を高める上で潜在的に有効な可能性を示唆している。ただし、税制・補助金などの具体的な政策が、実際にどの程度教育訓練投資を促進する因果的な効果を持つのかは、別途EBPM的なアプローチでの検証が必要なことは言うまでもない。

なお、本研究の中心ではないが、パートタイム労働者比率の係数は、労働生産性、賃金いずれに対しても大きな負値で、量的に同程度であった。つまり、パートタイム労働者の賃金はその生産性への貢献とほぼ一致している。「同一労働同一賃金」をめぐる議論において、非正規労働者の賃金が低いことが強調されているが、生産性と賃金の均衡という観点からは、パートタイム労働者の生産性を高めるような人的資本投資をしない限り、その賃金を持続的に引き上げることはできないことを示している。

図1:企業の生産性・賃金の教育訓練に対する弾性値
図1:企業の生産性・賃金の教育訓練に対する弾性値
(注)この図は弾性値を示しており、教育訓練ストックが1%多くなると労働生産性、平均賃金が何%高くなるかを示す。教育訓練ストック額は、過去5年間の教育訓練支出額(能力開発費)を、減耗率を考慮して累計した数字。データや推計方法の詳細は、論文本体を参照。