ノンテクニカルサマリー

世界金融危機後の非農業部門雇用者数、インフレ期待および金融政策

このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

マクロ経済と少子高齢化プログラム(第四期:2016〜2019年度)
「East Asian Production Networks, Trade, Exchange Rates, and Global Imbalances」プロジェクト

米国における労働市場の逼迫が原因でインフレが起きることはあるだろうか。連邦準備制度理事会は、労働市場の圧力に、どのように反応するであろうか。2009年10月に10%だった失業率が、2018年9月には3.7%にまで下がったことを受け、このような問題が表面化している。

米国の失業率は、1968年から1969年は3.4%だったが、その後インフレが加速し、債券市場を壊滅状態にした(図参照)。他方、1996年から2000年の間、米国の失業率は4%ないしそれ以下だったが、そのことによってインフレが起きることはなかった。むしろ、多くの労働者を雇用して実地研修を行ったので、この期間の低失業率は、毎年、生産性を2.8%向上させることに貢献した。世界経済危機以降の低失業率は、インフレ率上昇の前触れなのか、あるいは、過熱感なき経済成長の前触れなのだろうか?

これらの問いに答えるため、本論文では、世界金融危機以降の雇用の増加に関するニュースに、金融市場がどのように対処してきたかを調査している。金融市場はインフレ率の上昇を期待していたのか? 金融市場は、連邦準備制度理事会が後手に回って、インフレ率上昇を容認したと信じていたのか? 金融市場は、連邦準備制度理事会の過度な金融引き締めによる成長の落ち込みを予測していたのか?

米国労働省労働統計局は、毎月第一金曜日に、前月の非農業部門雇用者数を発表している。連邦準備制度理事会も金融市場も、この発表を注視している。ブルームバーグは、非農業部門雇用者数の発表を予測するため、市場参加者に調査を行っている。本論文では、ブルームバーグの調査による予想中央値を、発表の予想値として採用している。

本論文は、非農業部門雇用者数が、米国財務省証券(4週間物から30年物)の金利の期間構造にどのような影響を及ぼすかを、日々の金利の変化を使って研究することを目的としている。同時に、通常の財務省証券の利回りと米国物価連動国債の利回りを比較することで、雇用に関するニュースが、実質金利と期待インフレ率にどのように影響を与えるかを考察する。これらの利回りの差は、ブレーク・イーブン・インフレ率と呼ばれ、長期のインフレ予想を測る最も一般的な尺度となっている。

モデルでは、金利、米国物価連動国債金利、ブレーク・イーブン・インフレ率、株価の対数、為替レートの対数を使用し、非農業部門雇用者数のニュースに対する、これらの数字の日々の変化を回帰させている。

Δit = α1 + α2 (NFEt - Et-1(NFEt)),     (1)

ここでは、Δitは、金利、米国物価連動国債金利、ブレーク・イーブン・インフレ率、その他の変数の24時間に出された声明に対する変化を示す。NFEtは労働統計局がt日に発表した月の、その前の月の非農業部門雇用者数を意味し、Et-1 (NFEt)は、ブルームバーグによる調査から入手した非農業部門雇用者数の過去の予想値である。

予想以上に非農業部門雇用者数が増加したため、実質金利とブレーク・イーブン・インフレ率の両方が上昇したが、米国物価連動国債はブレーク・イーブン・インフレ率が受けた2倍以上の大きな影響を受けている。これは、実質金利の上昇幅は、期待インフレ率の上昇幅以上であることを意味している。さらに、実質金利の上昇幅は、小さいながらも、1年物と6カ月物の財務省証券の利回りの差に影響を与え、2年物と1年物の財務省証券の利回りの差に、より大きな影響を与えた。また、3年物と2年物の財務省証券の利回りの差と、5年物と3年物の財務省証券の利回りの差に与えた影響も大きかった。しかし、7年物と5年物の財務省証券の利回りの差には影響はなかった。これは、投資家が、非農業部門雇用者数のショックを肯定的に受け取って、今後1年から5年の間の金利の上昇を期待したことを暗示している。

連邦準備制度理事会の政策手段であるフェデラル・ファンド金利が数年間ゼロに近かったため、本論文のサンプルの対象期間は、以前の分析とは異なっている。1年以上先の実質金利に対する反応は、連邦準備制度理事会が再び金利を引き上げ始めると、非農業部門雇用者数の正のショックにより、連邦準備制度理事会がさらに金利を上げるだろうという期待感を反映していると言えよう。予想される金融政策に金利が反応するかどうかをテストすると、フェデラル・ファンド金利と非農業部門雇用者数のニュースは、相互に作用している可能性がある。フェデラル・ファンド金利がゼロに近い時、投資家はさらに遠い未来の反応を期待するだろう。「離陸」後、つまり連邦準備制度理事会がフェデラル・ファンド金利を引き上げ始めた時には、投資家はさらに遠い未来の反応を期待するだろう。もし、このことが事実であれば、NFE*FFRが等式(1)に含まれている場合、係数は負となるべきである。

NFE*FFRの係数は、3カ月物から4週間物の差から、5年物から3年物の差にいたるまで、すべての期間構造で負である。このことは、フェデラル・ファンド金利が低い時、投資家が、将来、非農業部門雇用者数に正の影響を及ぼす変化による金利上昇を期待していることを意味している。この影響は、2年物と1年物の差で最も大きい。実質金利が上昇しているという証拠は、米国物価連動国債金利にとって重要であるが、ブレーク・イーブン・インフレ率には重要ではない。フェデラル・ファンド金利が低い時、投資家は、非農業部門雇用者数に正の影響を及ぼす変化によって、将来、連邦準備制度理事会が金融の引き締めを実行し、さらに実質金利を引き上げることを期待していたのである。

投資家が、将来の連邦準備制度理事会の政策が経済に及ぼす影響に期待していることから、我々は何を学ぶことができるだろうか? NFE*FFRがブレーク・イーブン・インフレ率に影響を及ぼさないという結論は、投資家が、将来的にインフレに影響を及ぼす金融引き締めを期待していないことを暗示している。つまり、投資家は、将来的に、金融引き締めがインフレ緩和に役立つ効果があるとは考えていない。このことは、投資家は、連邦準備制度理事会が拡大しつつある経済に過剰反応することを期待していないことを示している。将来、実質金利が上昇すると支出が減少するため、ブレーク・イーブン・インフレ率の回帰分析においてNFE*FFRの係数が有意でなかったことは、インフレと失業を関連づけるフィリップス曲線の傾斜が小さいことを暗示している。

パウエル連邦準備制度理事会議長(2018)は、連邦公開市場委員会は経済の過熱と時期尚早な金融引き締めという浅瀬の間をうまく航行することが必要であると述べている。本論文は、世界金融危機後も、連邦準備制度理事会の政策が成果を挙げていることを示している。しかし、自己満足が正当化されたわけではない。米国は、総供給を制限し価格を引き上げることになる関税を賦課しようとしている。米国の1年当たり1兆ドル以上の財政赤字は、総需要の伸びを加速させる。インフレが加速し、インフレ期待が制御不能になった場合、連邦準備制度理事会は、やっと手に入れた信頼性を維持するため、強気の行動をとる必要があるだろう。

図:1960年から2018年の米国の失業率およびインフレ率
図:1960年から2018年の米国の失業率およびインフレ率
出典:セントルイス連邦銀行FREDデータベース