ノンテクニカルサマリー

開放経済モデルにおける停滞の罠の研究

執筆者 平口 良司 (明治大学)
研究プロジェクト 経済主体間の非対称性と経済成長
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

産業フロンティアプログラム(第四期:2016〜2019年度)
「経済主体間の非対称性と経済成長」プロジェクト

経済成長と自由貿易との関係についてはマクロ経済学、特に経済成長論、経済発展論において研究がなされてきた。昔から言われている、教科書的な議論は、いわゆる比較優位の考え方に基づき、各国が相対的に優位に立つような分野に特化して貿易をしあうことで、すべての国が発展するという議論である。さまざまな経済モデルを用いてその考え方は分析されてきた。この考え方に基づくと、関税に代表されるような貿易障壁は一律で望ましくないことになる。下の表は、OECDが公開しているデータをもとに、貿易依存度、つまり輸出と輸入の総額がGDPに占める割合と1人当たりGDP成長率(過去5か年の平均)を主要5カ国についてまとめたものである。意外にも日本の貿易依存度がそれほど高くないことが分かる。高い成長率を続けているドイツなどの国の貿易依存度は高いことが分かる。

しかしながら、上述の教科書的議論においては、貿易による失業の発生ということが忘れられていることが多い。通常の基礎的な国際経済モデルにおいては、完全雇用が前提とされていることが多いからである。マサチューセッツ工科大学のAutor教授らが一連の実証研究(Autor et al. (2014) and Autor et al. (2016))で明らかにしたように、貿易は雇用構造に多大な影響を与える。特に彼らが発見したのは、中国からの輸入品の増加が、アメリカの雇用だけでなく、技術革新にまで負の影響を与えたということである。そういったなかで、アメリカのトランプ大統領は、中国製品の輸入に関税をかける保護主義的な政策をとりはじめた。2018年9月現在では、米中双方が報復関税の応酬を行っているところである。貿易による雇用の削減が事実であるならば、関税をかけることは理解できなくもないが、比較優位の原理に背く貿易制限は経済全体の生産性を減らすことも考えられる。

私は上記の実証研究をふまえ、技術革新、国際貿易、そして失業を考慮に入れた経済成長モデルをたて、その中で、関税が雇用や経済成長率にどのような影響を与えるのかについて分析を行った。本論文は、内生的成長モデルを用いて、流動性の罠における失業の存在を明らかにした最近の論文であるBenigno and Fornaro (2018)を参考にし、このモデルに貿易の存在を導入した。

このモデルにおいては、名目金利がゼロの状況のもと、デフレーションと名目賃金の硬直性により、人々が失業に苦しんでいるような状況が発生する。そしてこのような状況では、少額の関税を互いに掛け合うことで、成長率を下げることなく雇用を改善しうることを示した。しかし、同時に、関税をかけすぎると、雇用は改善せず、成長率が下がってしまうという悪影響が発生することも分かった。つまり、金融緩和に限界が発生し、その中で雇用が悪化しているような状況では、少し自由貿易に制約をかけることは社会にとってプラスになるということである。貿易と失業についての理論的研究は、労働市場のサーチモデルを開放経済で考えたHelpman et al. (2010)などあるが、流動性の罠の状況における、適度な関税が雇用を改善することを示したのは本論文が初めてといえる。

上述のように、米中では今貿易戦争が進行中である。本モデルにおいては、互いの国が協調しあって関税の税率を設定することを想定しているので、非協調的な関税の掛け合いは本論文の想定外であり、それが望ましくないのは明らかであろう。しかし、特に世界経済がゼロ金利制約下で雇用悪化に苦しんでいる場合、少額の関税をかけて自由な貿易に制限をかけるのは、有益な面もあるのではないかと筆者は考える。不況下での貿易の在り方については、今後も研究が必要であると考える。

表1:主要国の経済成長率と貿易依存度
国名
一人当たり実質経済成長率(%) 0.2 0.7 1.4 1.5 1.6
貿易依存度(%) 52 71 30 57 28
(備考)OECD ウェブサイトより筆者作成
参考文献
  • [1] Autor, D., Dorn, D., Hanson, G. (2013) "The China syndrome: Local labor market effects of import competition in the United States," The American Economic Review, Vol. 103, No. 6, pp. 2121-2168.
  • [2] Autor, D., Dorn, D., Hanson, G., Pisano, G. P., and Shu, P. (2016). "Foreign Competition and Domestic Innovation: Evidence from US Patents," NBER Working Paper, No. 22879.
  • [3] Benigno, Gianluca and Luca Fornaro (2018), "Stagnation Traps," Review of Economic Studies, forthcoming.
  • [4] Helpman, E., O. Itskhoki and S. Redding (2010), "Inequality and Unemployment in a Global Economy," Econometrica, 78(4), pp.1239-83.