ノンテクニカルサマリー

標準必須特許の戦略的な宣言について

執筆者 青木 玲子 (公正取引委員会)/新井 泰弘 (高知大学人文社会科学部)
研究プロジェクト 標準化と知財化―戦略と政策
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

法と経済プログラム(第四期:2016〜2019年度)
「標準化と知財化―戦略と政策」プロジェクト

技術の複雑化に伴い、技術標準に従って財を販売する場合にも特許権で保護された技術を使う必要性が増してきている。しかし、特許権者が高額なライセンス料を課したり、競争相手にライセンスを行わずに排斥したりすると技術標準の普及が阻害される恐れがある。そこで各標準化団体は標準に従って財を販売する際に必須となる特許を「標準必須特許」と呼び、そのライセンス料をFRAND条件(注1)に従ったものにすることで、こうした問題を回避しようとしている。

ところが、標準必須特許は、特許権者自らが所持特許を標準必須特許であると宣言することで認められるため、その必須性は事実上チェックされていない。既存研究よるとGSM(注2)や3G(注3)、W-CDMA(注4)などの通信系の標準では宣言された標準必須特許のうち、各通信規格に従って製品を生産する際に必ず必要となる特許は、宣言された標準必須特許のうちの三割弱であると言われている。

このように標準に従って生産を行う場合に利用しなくても済む特許や、そもそも標準技術と深い関係のない特許が、標準必須特許として過剰に宣言される「標準必須特許の過剰宣言問題」は標準に関わる利害関係者の取引費用を増大させ、技術の普及を阻害する可能性がある。欧州特許庁をはじめとする各政策当局者もこの問題に着目し、解決法を模索している。こうした過剰宣言問題を緩和するための方法として、事後的な必須性の審査が検討されているが①権利者のインセンティブに対して事後的な審査がどのような影響を与えるのか、②誰がどのように審査を行うかに関しては十分な議論が行われていない。そこで本稿では法と経済学的アプローチを用いて上述した2点について分析し、事後的な必須性の効果について考察した。

権利者がどのようなインセンティブをもって標準必須特許の過剰宣言を行うのかに関しては以下の図でまとめることができる。

図

所持特許を標準必須特許として宣言して多数確保することで、標準に従って開発や販売を行う上で他社から権利侵害で訴えられる確率を減らすことができる(FTO: Freedom to Operateの確保)というメリットがある。その反面で、宣言を行うためにかかる手続き費用の存在や、標準必須特許として宣言するとFRAND条件に従う必要があるためにライセンス料が低額に抑えられてしまうというデメリットが存在する。必須特許として宣言しない場合、高いライセンス料を得ることができるが、上述したFTOを確保することの便益は失われる。特許権者はこのようなトレードオフ関係に直面しながら、どの程度の割合だけ過剰宣言を行うかを決定しているものと考えられる。

以上のような権利者のインセンティブを踏まえた上で、事後的な審査がどのような影響を与えるかを考察する。宣言された必須特許の中から非必須な特許を排除することを考えた場合、第三者機関が必須特許の審査を行うか、標準実施者による訴訟を通じた必須性の審査の2つを考えることができる。

図

第三者機関が宣言された標準必須特許の必須性を審査したとすると、審査をクリアできなかった特許は、標準必須特許として認められなくなる。すると、権利者にとって必須でない特許を標準必須特許として宣言することによる限界収入が減少することとなる。そのため、権利者の過剰宣言率は減少し、その分非必須特許の割合が増加する。

事後的な審査のもうひとつの類型として、標準実施者からの訴訟を通じた審査を考えることができる。標準を実施する際、標準実施者はライセンス料金の支払いを減らす目的などから訴訟を通じて特許の無効化をはかってくることが考えられる。こうした訴訟は宣言された標準必須特許だけでなく、非必須特許の数も減少させる可能性がある。これは過剰宣言をした時の限界収入だけでなく、しなかったときの収入も減らすことに繋がるため、第三者機関の審査に比べて、必須特許の宣言率の減少幅は小さくなる。そのため、単純に過剰宣言数を減らすことだけを考えた場合、第三者機関による事後的な審査は、標準実施者による訴訟を容易にするよりも効果的だといえる。

しかし、こうした事後的な審査が社会厚生の観点から望ましいかに関しては議論の余地がある。上述した通り、事後的な審査を行うことで権利者の過剰宣言率は減少する。しかし、それは高額なライセンス料を設定する特許の割合が増えることを意味しており、特許を用いた財やサービスの価格を増加させる効果を有する可能性がある。既存研究においては、標準必須特許の過剰宣言が、社会的な観点から過剰な宣言なのかに関する分析が行われておらず、政策的な観点から分析する必要性があると思われる。

脚注
  1. ^ 公平で合理的かつ非差別的(Fair, Reasonable And Non-Discriminatory)な条件の略称。
  2. ^ 欧州電気通信標準化機構(European Telecommunications Standards Institute: ETSI) によって定められた規格に準拠した第二世代移動通信システムの略称。
  3. ^ 国際電気通信連合(International Telecommunication Union: ITU)によって定められた規格に準拠した第三世代移動通信システムの略称。
  4. ^ Ericsson, Nokia, NTT DoCoMo等が共同開発した3Gの規格の一つ。