ノンテクニカルサマリー

ベトナム国有鉄鋼企業の衰退とリストラクチャリング

執筆者 川端 望 (東北大学)
研究プロジェクト 現代国際通商・投資システムの総合的研究(第III期)
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

貿易投資プログラム (第四期:2016〜2019年度)
「現代国際通商・投資システムの総合的研究(第III期)」プロジェクト

本稿は、ベトナムの国有鉄鋼企業集団VNスチール(Viet Nam Steel Corporation)の衰退とリストラクチャリングを、市場経済化と国有企業改革の進展という観点から評価したものである。VNスチールは以前はVSCという英語略称で鉄鋼業界や開発援助関係者に知られていたが、2006年の改革以後、本略称が使用されている。

近年、通商政策の領域において、経済活動を行う国有企業のガバナンスが問題となっている。たとえばOECDは国有企業コーポレートガバナンスガイドラインを制定しており、そこでは国有企業が経済的活動を行う場合は、優遇措置を行わず、対等な競争条件(level playing field)を確保すべきことが強調されている(OECD[2015])。

ベトナムは社会主義という建前を放棄することなく漸進的市場経済化を進めてきた移行経済国である。そのため、多くの大規模国有企業が民営化されずに長く改革の過程を経てきた。一部の国有企業は国家経済集団(SEG)を形成して肥大化し、独占、不透明な経営、内部補助などの問題を引き起こしている(Vu-Thanh[2017])。それらに対する政策課題の基本的方向は、OECDガイドラインが示すような政府の支援・介入の削減であろう。他方、政府支援が削減されているが民営化は行われないため、市場競争の中で衰退して経営再建を迫られている国有企業も現れている。このような場合、政府が所有者のままであっては結局破たん処理や経営再建に乗り出さざるを得なくなり、再度政府介入が強まってしまうことが予想される。しかし、このような国有企業の実態は十分に研究されていない。VNスチールはそうしたケースとして研究する価値がある。

本稿では、(1)鉄鋼企業分析としては生産システム分析によって、VNスチールが投資競争において立ち遅れた様子とその原因を具体的に明らかにする。(2)国有企業分析としては、まず1)政府支援の後退と企業統治改革がVNスチールに与えた影響を明らかにし、そして、2)衰退が経営破たんの危機に至った場合に政府の支援・介入の再強化が生じる可能性を論じる。そして(3)VNスチールのみならず鉄鋼業の産業組織に対する経済改革の影響を評価する。

分析結果は以下のことを示している。

(1)VNスチールはベトナム鉄鋼市場で民間・外資企業との競争に敗れて大きく後退し、現在もリストラクチャリングの過程にある。主力事業のうち、安定して業績をあげているのは子会社1社(SSC=サザン・スチール)と、関連企業の中の日本企業との合弁企業(VKS=ビナ・キョウエイ・スチール)、SSSC=サザン・スチール・シート)であるが、他の主要子会社、関連会社の業績は芳しくなく、関連会社の投資プロジェクトが2つも(TISCO=タイグェン・アイアン・アンド・スチール、VTM=ベト・チュン・メタラジー・アンド・ミネラル)国の12大不採算プロジェクトに指定されている。

(2)同社が衰退した理由は、政府の中途半端で不整合な政策にある。すなわち、ベトナム政府は当初VNスチールに特権的な地位を与え産業政策の実施機関にしようとしていたが、2000年代半ばにはこの姿勢を放棄した。つまり、VNスチールを支援して成長させることを中止したのであるが、その際、企業統治の急速な改革を行わなかった。このためVNスチールの企業行動は国有企業の特徴を残したままであった。量的拡張を志向して次々と投資プロジェクトを実施したが、それに対する政府支援は得られなかった。その結果、大型の製鉄所は建設できず、競争力のない中途半端な工場が複数出現した。それらの投資プロジェクトも実施が遅延したことにより業績が悪化した。いったんは支援を放棄した政府は、経営再建への関与を強め、そのコストを負担せざるを得なくなっている。

(3)ベトナム政府の政策は、企業レベルではVNスチールの改革に失敗したが、産業レベルでは競争的環境整備に成功した。国際経済統合を背景とした制度改革によって、鉄鋼業における民間・外資企業の台頭は促され、VNスチールがこれを妨げることはなかったからである。VNスチールの衰退は、一方では国有企業改革の失敗の結果であるが、他方では民間・外資企業振興の成功の結果でもある。

以上の構図をまとめると図1のようになる。①②③は政策実施とその結果の時系列をあらわしている。

本稿の分析は、淘汰される国有企業への政府の関わり方という問題領域の重要性を示している。政府支援の後退と企業統治改革の遅れという不整合な組み合わせは経営危機を招き、結局は経営再建への関与へと政府を引き戻してしまうのである。VNスチールの事例は、市場経済化と対外開放は進めるが、国家所有はなかなか縮小しないという、漸進的移行経済においては重要な警鐘となる。また、国有企業についての国際的な政策論が、ともすれば政府支援の削減に関心を集中しがちであることに対して注意を促す事例ともなろう。さらに本稿は、国際経済統合への参加が移行経済の経済改革に及ぼした影響を評価する際に、国有企業レベルと産業レベルでの複眼的な評価が必要であることも示しているのである。

これらの教訓は、日本が競争的環境整備、企業統治改革において国際社会に貢献する上でも生かし得るものだと考える。

図1:VNスチールをめぐる問題の構図
図1:VNスチールをめぐる問題の構図
出所:著者作成。
文献
  • OECD [2015]. OECD guidelines on corporate governance of state-owned enterprises, 2015 edition, Paris, OECD Publishing.
  • Vu-Thanh Tu-Anh [2017]. Does WTO accession help domestic reform? The political economy of SOE reform backsliding in Vietnam, World Trade Review, 16(1), pp.85-109.