ノンテクニカルサマリー

避難通貨と市場の不確実性:円、人民元、ドルと代替資産

執筆者 増島 雄樹 (ブルームバーグ・エルピー)
研究プロジェクト 為替レートと国際通貨
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このノンテクニカルサマリーは、分析結果を踏まえつつ、政策的含意を中心に大胆に記述したもので、DP・PDPの一部分ではありません。分析内容の詳細はDP・PDP本文をお読みください。また、ここに述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織および(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。

マクロ経済と少子高齢化プログラム (第四期:2016〜2019年度)
「為替レートと国際通貨」プロジェクト

金融危機や紛争など投資家のリスク回避傾向が高まる(リスクオフ)時には、低金利で流動性が高く経常収支黒字国の通貨が一時的な「避難通貨」として買われる傾向がある。日本は「避難通貨」である円の性質によって、世界的な金融ショックや政治・政策の不確実性の高まりに伴う円高に悩まされてきた。一方、マクロショックへの耐性が低いと見られる新興国通貨は「脆弱通貨」として売られ、危機時には資金流出に直面する傾向がある。本研究では、2カ国間の金利差の変化による為替変動を考慮した上で。S&P500のボラティリティ指数である「VIX」で測定する市場不確実性の変化が為替レートに与える影響を避難通貨指数として測定し、金融危機などの際に買われやすい「避難通貨」か、売られやすい「脆弱通貨」であるかを判定した。

金利差やVIXの変化に対する投資家の反応は日々変化する。避難通貨の性質を持つ円の場合であっても、東日本大震災後の一時期はこの傾向を失っていた。しかし、本研究で算出した「避難通貨指数」の推移をみると避難通貨の代表であるスイスフランと比べても、安定的に避難通貨とみなされている傾向がうかがえる(図1)。「避難通貨指数」はVIXの1ポイント上昇に対する為替レート(価格)の変化を示し、マイナス幅が大きいほど避難通貨の性質が強い。同指数を用いると2008年9月のリーマンショック前後には、VIXが60ポイント上昇することによって、10%程度円高が進んだと計算できる。

図1:避難通貨・代替資産の避難通貨指数の推移
図1:避難通貨・代替資産の避難通貨指数の推移
図2:アジア域内の避難通貨指数の推移
図2:アジア域内の避難通貨指数の推移

オフショア市場の人民元(CNH)は対米ドルや対円では脆弱通貨と評価され、その傾向は人民元の国際化の進展や2016年1月の中国株急落などを経て高まっている(図2)。政治的な不確実性に加え市場の不確実性の高まりによって、金やビットコインのような代替資産・通貨が避難先としての需要を増進しつつある。

アジア域内に目を向けると、円の強い避難通貨としての性質は、金融危機時に円高による輸出不振から自国の景気回復の遅れにつながる。一方、脆弱通貨であるアジア新興国は、危機時の通貨安に加え円高により輸出競争力が増し、輸出主導の景気回復が進展する。日本の輸出の半分がアジア向けであることを考えると、円の避難通貨の性質はマイナスの側面だけでなく、アジア全体の安定的成長に寄与する側面もあるといえる。

過去の研究では避難通貨となるための要件として、経常黒字、対外純資産など経済のファンダメンタルな側面が重視され、中長期的に各通貨に投資した際の収益が「均衡」するように、金利が低い通貨ほど通貨高が進むとされてきた。しかし短期的には、日本円やスイスフランなど低金利通貨で資金調達を行い、高金利通貨に投資する「キャリートレード」などの投資家の投資行動によって、高金利通貨ほど通貨高が進み、低金利通貨は通貨安が進む。こうして積み上がった投資家の持ち高は、不確実性の高まり(VIXの上昇)によって巻き戻しが進み、低金利通貨の通貨高要因となる。こうした投資家行動と本研究の結果は整合的であり、現実的な前提条件を置くことで、短期的な通貨変動の際の政策的な評価や為替の予測に応用が可能である。

図3:米大統領選後の円の対ドル為替レートの動きと推計値との乖離
図3:米大統領選後の円の対ドル為替レートの動きと推計値との乖離

2016年11月の米大統領選後の動きを見てみよう。トランプ新大統領のインフラ投資に対する期待から、米国の長期金利は上昇、市場の不確実性指数であるVIXが低下し、円安ドル高が大幅に進んだ。景気の拡大局面など、投資家のリスク許容度が高まる(VIXの低下)時には、「避難通貨」が売られ、「脆弱通貨」が買われる傾向がある。

この間の為替の変動は、過去の投資家の平均的な反応から算出した避難通貨指数や金利差の為替への反応係数に基づく推計値から乖離し、大幅に円安が進んでいる(図3)。ただし、16年11月から17年1月までの変化をみると、避難通貨指数が安定的である一方、金利差の影響が急速に拡大している。つまり、政策的対応としては危機対応の強化より、金利変化を注視する必要性があることを示唆している。また、為替変動の評価としては、インフラ投資への期待により高まった日米金利差拡大の為替への影響が過去の平均的な水準に戻るとの前提に立てば、期待の縮小とともに推計値に近づくことが見込まれる。

本研究のモデルは為替の「均衡レート」を求めるものではないため、中長期的な為替レートの目標水準を示すものではないが、短期的な為替変動に対する政策対応、為替ヘッジや対外資産への投資の判断をする上での1つの評価基準となることが期待される。